ネギ・スプリングフィールドの目覚めは早い。
彼はまず目覚めると、眠っている木乃香を起こさないようロフトから降り、シャワー室へと向かう。
なお、アスナはもうこの時間には朝刊の配達に行ってるために不在だ。
シャワー室に向かったネギは、脱衣場でアスナに買ってもらった葱がプリントされたパジャマをおもむろに脱ぐと丁寧にたたみ、一糸まとわぬ姿になると浴槽に向かう。
浴槽は早朝故に当然ながら湯ははられていないのだが、ネギは気にすることなく椅子に座ると水温を冷水に合わせ、シャワーを頭上にセットするとそのまま蛇口をひねった。
シャワーから勢いよく流れる冷水は起きぬけのネギを覚醒させていくと同時に、寝汗の名残も洗い流して体を清めていく。
そして、冷水によって身を清め終えたネギは昨夜のうちにアイロンがけを終えたシャツに袖を通し、ズボンをはいて身支度を整えると再びロフトに登り、日課となった神への祈りをささげた。
「ふわー、ただいまー」
一通りネギが神への祈りと横島への呪詛を終えるころ、新聞配達を終えたアスナは眠そうな目をこすりながら帰ってきた。
ここで通常ならネギ曰くアスナによる宗教弾圧&異端審問が開催されることになるのだが、さすがのアスナも早朝から暴れるより睡眠が重要なのか、ちらりとネギに視線を向け、大きくため息をついただけで布団へと潜り込む。
そして、アスナが瞬く間に二度寝に入ると同時に、入れ替わりのように今度は木乃香が布団からもぞもぞとはい出してきた。
「あ、ネギくんおはよー」
「おはようございます木乃香さん。今日もいい天気ですよ」
「ほんまや、確かにいい天気、死ぬにはいい日やー」
「やだなー、木乃香さん。死んじゃったら何もできませんよ。こんないい日はまさに泥をすすっても生を満喫してこそじゃないですか!」
「んー、ま、それもそうやねー。泥をすすっても生きているからこそ、死は美しく尊いものになるんやー」
「ええ、まさに!」
晴れ晴れとした表情で、その実とんでもない事をほざく二人。
しかし、これは学園祭以後の本気で覚醒しつつある木乃香とネギの日常の挨拶に過ぎない。
故にアスナは早朝の突っ込みを諦め、これから始まるであろう日中の突っ込みの体力を温存するためにも今はただひたすら眠るのであった。
「ふわー、二人ともおはよう」
「あ、アスナさんおはようございます!」
「おはよー。ネギ君の分終わったらすぐアスナの分作るからちょっとまっとってなー」
あれからネギは木乃香を手伝って洗濯物を干したり、軽く部屋や祭壇を掃除したりしつつ、朝食を待つ。
そして、ちょうどアスナが朝食の匂いに誘われて眠りの園かはい出してきたころ、職員会議の関係で一足早く出発しなければいけないネギの朝食が完成した。
「はい、ネギ君の分出来たよ。熱いうちにたべてなー」
「ありがとうございます。では、お先にいただき……」
「いったーい!」
ネギが一足先にいざ朝食を食べようとしたその時、突如としてアスナの悲鳴が上がった。
見れば、アスナは机のそばで右足を抱えて転げまわっている。
「アスナー、大丈夫?」
「い、今机の角で足の小指を……ギャン!」
「あ、今度は棚に頭ぶつけたてもうた……」
「さらに雪崩式で棚からお盆が落ちて顔面直撃と……見事な3HITコンボですね」
「これが横島さんやったら、最低でも10連はいくけどなー」
「あははは、確かに」
「ってあんた達ちょっとは心配しなさいよー!」
早朝から吉本新喜劇や昔懐かしきドリフ並みのコント繰り広げるアスナ達。
ネギはそんなごく日常のやり取りを微笑ましく眺めつつ、心ひそかに今日の朝陽を無事拝ませてくれた神に感謝の祈りをささげる。
そして、今日をいかにして生き抜きくかを思案しつつ、近所のスーパーで買った冷凍シューマイを口に入れた。
だが、そんな何気ない行動が悲劇の始まりであった。
「……うぐ!?」
シューマイを咀嚼し、胃の中に入れた瞬間、ネギは急激な目まいと嘔吐感に襲われ、思わず胸を押さえる。
「ん? ネギ君どうしたん?」
「ちょっと、ネギ! あんた顔が真っ青よ……ってキャー!」
「え? なんで? なんでネギ君血吐いとるん?」
ネギはすぐ近くでアスナと木乃香の悲鳴を聞きながら、ゆっくりと倒れていく。
そして薄れ行く意識の中、最後にネギが見たものは泣きながら自分にしがみつく木乃香とアスナの顔であった。
二人?の異邦人IN麻帆良 外伝
「ふぁいなるですてぃねーしょん」
「ふわー、二人ともおはよう」
「……え?」
「おはよー。ネギ君の分終わったらすぐアスナの分作るからちょっとまっとってなー」
再びネギが気がつくと、何故か自分は食卓についていた。
目の前には木乃香が作った出来たての朝食が、いざ心して食せとばかりに整然と並んでいる。
「えっと……夢?」
ネギは今見た物が夢だったのではと考える。しかし、夢にしてはリアリティがありすぎた。
ふと目をつむれば、内臓すべてと焼き尽すがごとくの激しい痛みが思い浮かぶほどだ。
だが、ネギは現実に生きている。
となれば、やはりアレは夢だったという結論に達するしかないだろう。
「いったーい!」
と、ようやくネギが現実を受け入れた瞬間、何故か妙に聞き覚えのある悲鳴が響き渡る。
見れば、夢の中と同じようにアスナが右足を押さえ、転がっていた。
「え? これは……」
「アスナー、大丈夫?」
「い、今机の角で足の小指を……ギャン!」
「あ、今度は棚に頭ぶつけたてもうた……」
「この後棚からお盆が落ちて顔面直撃3HITコンボ……って本当に?」
「これが横島さんやったら、最低でも10連はいくけどなー」
「ってあんた達ちょっとは心配しなさいよー!」
ネギの目の前で繰り広げられるやり取りはどこかで見覚えのある光景。
いや、見覚えのあるというどころではない。
つい先ほど、ネギが夢と断じたものとまったく同じ光景が繰り広げられていたのだ。
ここで、普通の人間ならこれはただの偶然の一致、もしくは気のせいという事で自分を誤魔化し、小首をかしげながらも普通の一日を過ごそうとするだろう。
しかし、ネギは不思議の世界の住人の代名詞である魔法使いである上に、隣り合わせの灰と青春な日常を送るべく生まれた幸薄い少年である。
そのため、この事態を単なる偶然とは考えず、なんらかの予知夢であると判断したのだ。
「とりあえず、このシューマイはヤバイっと。二人ともこのシューマイは食べないでくださいね、なんか変な臭いがしますし」
ネギは足の痛みにのたうちまわるアスナを尻目に、シューマイの入っていた皿を持つとおもむろに立ち上がり、しっかりアスナ達に警告を与えたうえで料理途中の物も含めて全て生ゴミに捨ててしまう。
「あやや、なんか変やった?」
「なんというか、アーモンドの匂い……みたいなのもしますし、それ以前にこう……嫌な予感がするんですよ。これを食べたらヤバイって」
「まあ、ネギがそう言うんなら確かでしょうね。あんたの生存本能というか、危機に対する動物的勘はもう勘を通り越して半ば予知じみてるし」
「その予知じみた勘をもってしても、横島さんとタマモちゃんからの災厄は避けられへんけどなー」
「でもまあ、そのおかげで私達が助かってる分はあるから感謝なんだけどね。そういえばあの時も……」
会話が雑談に流れていく中、ネギはアスナ達に気付かれないように冷や汗をぬぐう。
アスナ達には言えないが、シューマイに入っていたのはアーモンド臭からして青酸カリではないかとあたりをつける。
なにしろ、いかに一般物理攻撃無効化スキルを持つネギとは言え、毒物に関しては未だ経験していないために耐性が付いていないのだ。
何も知らずにあのシューマイを食べていたら、確実に夢の内容が現実になってなっていたことだろう。
こうしてはからずも死の危機から脱出したネギは、この幸運をもたらしてくれた神に感謝し、暗黒の未来を変えるための布教活動にまい進していく事を決意するのであった。
なお、この毒物事件は後にしっかりと警察沙汰になり、全国を震撼させることになるのだが、本気を出した魔法使いによって犯人は実にあっさりと捕まる事になるのは余談である。
「ふう、今日も死ぬにはいい日やなー」
「……ねえ木乃香……お願いだから刹那さんが絡んでないときは目覚めないで。今までの純粋な木乃香のままでいてよ」
「もはや麻帆良の癒し系じゃなくて、むしろ壊し系ですもんね……壊れ系じゃなくて」
「タマモちゃん、この時ばかりはほんとに恨むわ……あの頃の木乃香を返して……ネギはもう諦めたから……」
毒物事件が人知れず終結してより数日後、今日も今日とてネギ達は微笑ましい朝の会話を繰り広げながら駅へと向かっていた。
駅に向かう過程でネギ達の微笑ましい日常会話に力なく突っ込みを入れるアスナの姿。
それはこの麻帆良学園都市においてはごく日常に見られる光景だ。
ネギはそんなアスナを微笑ましく見つめながら、今日も無事一日の始まりを迎えられた事を神に感謝し、これから送るであろう修羅の日常を生き抜くために気合いを入れる。
そして、ようやく到着した駅を前にした時、何気なく視線を動かしたネギの視界に奇妙なものが映る。
ネギの視界に映った奇妙なもの、それはネギの影であった。
この時、午前中の太陽に照らされたネギの影は道路に延びていた。
そして、夏の暑さ故にだろうか、おそらく車であろう四角形の影と接触した瞬間、妙に歪んで見えたのだ。
「……ん?」
「ネギ、あんた何してんの? 早くしないと電車に乗り遅れるわよ」
ネギは何故か視界に入ってきた影が妙に気になるのか、その場で小首をかしげる。
しかし、その気になる理由の正体にまで考えが伸びる前に、アスナがネギの襟首をむんずと掴み、改札口へと向かい出したためにネギは深く考えるのをやめた。
出勤や通学で混雑する駅の構内。それはもはや麻帆良学園の風物詩ともいえる登校風景の原点だけあって、人の数はハンパではない。
そんな雑踏の中をアスナ達はネギを先頭にしてラッセル車のごとく雑踏を掻き分け、改札口を踏破して列車のホームへと駆け抜けていく。
当然ながらそんな無茶をすれば、どこかに影響もでる。
事実、ネギによって掻き分けられた影響で何人かはバランスを崩し、転びかけた人や、カバンを取り落とす者、はては飲んでいたジュースを吹きだす者もいるぐらいだ。
そして、まき散らされたジュースは一時的にホーム内に水溜まりを作り、運悪くそれを踏んでしまったサラリーマンは盛大にずっこける。
そのズッコケ仕様は今なおファンを爆笑の渦に巻きこむドリフのごとく華麗で、鋭く、何よりも鮮やかだった。
そして、その鮮やか過ぎるズッコケを披露してくれたサラリーマンはそのまま着地するかに見えたのだが、あいにくと彼はタダで転ぶつもりは無いらしく、せめてもの抵抗とばかりに空中で手をばたつかせた。
溺れる者は藁でもつかむという言葉がある。
この場合、彼がつかんだものは藁ではなく、幸か不幸かそばにいた女性のスカートだった。
当然ながら、この後に女性の悲鳴と頬を叩く鋭い音が駅の構内に響き渡ったのは無理もない事であろう。
だが、そこから先に起こった出来事はまさに予想外だった。
頬に赤い紅葉模様を貼り付けたサラリーマンはそのまま空中を飛び、遠巻きに見ていた人物に衝突する。
そして、衝突された方はその衝撃を受け流す事も出来ずにまともに食らったため、そのままバランスを崩して後方へと転んでしまう。
場所は通勤通学ラッシュでにぎわう駅のホーム。
そんな密集地帯で人を押したらどうなるであろうか。
答えは簡単、ドミノ倒しである。
もっとも、ドミノ倒しと言っても人が怪我をするような壮絶なものではない。せいぜい、その影響を受けた対象が1、2歩後退する程度だ。
しかし、その悲劇はその一歩がもたらした。
「ふう、今日の予定はP42からで……アスナさん、予習ちゃんとやってます?」
「ちゃんとやってるわよ! というか、あんた放課後無理矢理あたし達捕まえて一通り予習復習終わるまで帰さないじゃない」
「まあ、そのおかげでアスナの成績が最近上がってきとるんやけどなー」
「あははは、最初はアスナさん達への補習を言い訳にタマモさんと横島さんとの接触時間を可能な限り減らそうという、苦肉の策だったんですけどね……まさにひょうたんからコマと」
「タマモちゃんは横島さんと合流せんかぎり、単独なら授業中おとなしうしとるからなー」
「そのおかげで休み時間が思いっきり削られてるけどね……安息の時間を少しでも伸ばそうと言う涙ぐましい努力なんだろうけど」
「その授業中、一番妨害してくるのはアスナさんなんですけどね」
「それはあんたが授業中に布教活動なんかするからでしょうがー!」
アスナはいつものごとくネギに突っ込むべく、ほとんど条件反射で取り出したハリセンでネギの頭をはたこうとする。
しかし、ちょうどアスナがハリセンを振り上げたその瞬間、アスナの背中を誰かが押した。
アスナの背中を押したもの、それは後方で起こったドミノ倒しの影響によるものである。
その押された力は決して強いものではなく、普通の状態ならよろめく事すらない些細な力でしかない。
しかし、この時ばかりはタイミングが悪かった。
背中を押されたことにより、通常より半歩多く踏み込んでしまったアスナは、その違いに気付くことなくハリセンを振り下ろす。
そして、その半歩のためにハリセンはむなしく空を切ることになるのだが、その代わりにアスナの拳の部分がネギの顔面に命中してしまう。
通常、ネギならばハリセンが命中しようが木刀、もしくは真剣が命中しようが傷一つつかない。ましてや今回のように軽い突っ込みをミスったアスナの拳程度では痛痒も感じさせることはできないのだが、予想と違う衝撃が来たためにネギは驚いて思わず一歩下がってしまう。
そして、その一歩が致命的であった。
ネギがいる場所、それはホームの最前列。
その最前列でアスナから離れるように一歩下がればどうなるであろうか。
答えは明白、線路に落下するしかない。
そして、さらに間の悪い事に時はまさに先頭車両が入ってこようとするその瞬間であった。
「え?」
それは誰の声であったろうか。
ホームから足を滑らせたネギの声なのか、それともその瞬間を間近で見たアスナと木乃香の声だったのだろうか。
ただ一つわかるのは、その声の次の瞬間、アスナの視界からネギが消え去り、それと入れ替わるように列車の車体が視界を覆い尽くした事だけであった。
「……嘘」
「ネギ……君?」
二人が呆然とする中、緊急ブレーキの音と非常事態を知らせる汽笛の音が鳴り響いた。
アスナ達の周囲はようやく事態を把握したのか、次第にざわつき始める。
そして完全に放心したアスナがへたりこんだその瞬間、誰かがアスナの肩を叩いた。
「あの、どうしたんですか? アスナさん」
「今、ネギが電車にひかれ……ってネギー!?」
アスナが振り返ると、そこにはたった今電車にひかれたはずのネギが無傷で立っていた。
いや、この際無傷である事は驚くべきことではない。
冷静に考えてみればほぼ毎日タマモのハンンマー、それもひどい時にはメガ単位に至る打撃を食らってなおネギは生きているのだ。
それを鑑みれば電車にひかれた程度で傷つくはずもないのである。いや、むしろこの場合電車の方に深刻なダメージが行っている可能性が高いだろう。
アスナはニコニコと笑うネギの顔を呆然と見詰めながらも、改めてネギの特性を思いだしてほっと息をついた。
「あーびっくりした。こっちの心臓が止まるかと思ったわよ。で、電車の方は無事なの? 壊してたらアンタ弁償よ」
「でも、それだと一応突き落とした形になるアスナも弁償やなー」
「うぐ……」
アスナはネギが無事だとわかると、心配していたのを誤魔化すように今度は電車の方を心配する。
確かに、下手をするとどころか、確実に超人硬度10を超えるネギが電車と激突すれば電車の方がただでは済まない。下手をすれば先頭車両が壊滅している可能性すらあるのだ。
故にアスナは誤魔化しついでで弁償の事に言及するのだが、そもそもの原因となった事態がアスナに責任があるために、その事を木乃香に突っ込まれると沈黙せざるをえない。
そして、ようやく自分もヤバイ事態だという事を理解して顔を青ざめさせているアスナに対して、ネギは慈しむような慈愛の表情を浮かべ、アスナの肩を叩いた。
「あ、それなら大丈夫ですよ。ひかれる直前に順逆自在の術でカモ君と入れ替わっておきましたから、電車に被害は出ないはずです」
「なんだそれなら安心……ってエロガモー!」
実にいい笑顔でとんでもない事をほざくネギ。
その発言の意味を遅まきながら理解したアスナは、先ほどまで自分の肩にいたエロオコジョがいない事に気付き、悲鳴をあげるのであった。
本名カモミール・アルベール、通称エロガモ。
由緒あるオコジョ妖精にして、かつて行われたマスコット戦争でちびーずに敗れて以降、某虎のごとく影の薄くなった彼は、今ここに無念の最期を遂げることとなる。
「あ、兄貴……俺っちは某ゲームにでてくる緑のトカゲじゃ……」
いや、彼はまだ生きていた。
考えてみれば、ネギが打たれ強くなる以前からあやかの車にひかれても無事であったのだ。
それだけの頑健さの素養があったのに加え、昨今の事情でネギと共に打たれ、焼かれ、昇天したために、その結果としてネギや小太郎に及ばないとはいえ日本刀のごとく折れず、曲がらずの強靭な肉体を手に入れていたのだった。ただし、本人は全く望んでいなかったであろうが。
正直、カモはもうネギの使い魔をやめてもいいのかもしれない。
しかし、彼にとってこの麻帆良はエロスの楽園と化しているのだ。
吹きすさぶ風と共に舞うスカート、その奥に潜む神秘の布地。そして運が良ければ女子中学生、はては女子高生の全裸。
そんな夢の楽園がすぐ傍にあるのに、彼がそれを手放す選択をするだろうか。いや、ない。
故にたとえこの身を削られようと、合法的に麻帆良にいられる身分を捨てるわけにはいかないのである。
カモはかつて金銭と身の安全と引き換えに、エロスの世界を求めた男と同じ決意を今新たにしているのであった。
「よっし、今日も頑張って生き残るぞー!」
そして、結果として全員が無事である事を確認したネギは、頬を叩いて気合いを入れ、今日も何時ものように修羅の日常を生き抜くべく、平和な学園生活という名の戦場へ赴く列車へ乗り込むのであった。
その日は思い返せば何かがおかしかった。
あれからネギは学校に到着する間に2回ほど車にひかれ、さらに落ちてきた看板が直撃し、挙句の果てに突然切断された電線に接触したことによって感電したりと、おかしなことばかりが続いていた。
そして、それらの異変は学校でもおさまる事は無かった。
中庭を歩けばネギの頭に鉢植えが落下し、昼休みに散歩をすれば弓道部とアーチェリー部から同時に飛んできた流れ矢が命中し、放課後に校庭を歩けばすっぽ抜けたバットや砲丸、挙句の果てに槍投げの槍が命中するという事件が続出したのだ。
もっとも、ネギはこの程度の事では傷一つつかない。
むしろヤバかったのは外でアスナ達と昼食を食べていた時にどういうわけか理科室からシアン化化合物のビンが割れ、その中身がいくつかの偶然が重なって雨どいに流れついたために、雨どいの出口に置いておいたネギの弁当が汚染された事件だった。
当然ながらネギはそんな事があった事も気づかずに汚染された弁当を食し、あわや命の危機という状態に陥ったかのように見えた。
しかし、あいにくと朝見たリアルすぎる夢によってネギの体は毒物を経験したと判断したのか、しっかりと毒物に対する抵抗力をも身に着けていたために、毒物を食した事も気づかぬままに完食していたりする。
かくして、はた目から見たらジェットコースターのごとくすさまじく流れる命の危機に対して、ネギはその事実に気付くことなく日常を過ごしていく。
ただし、その危機が訪れる時に何故かネギはその危機を象徴するサインの様なものを目撃していたりするのだが、結果的に危機になりえていないために全てを黙殺していた。
そして、ようやく一日の仕事を終えたネギは、同じく部活で遅くなったアスナと共に帰路へとつく。
「……奇跡だ」
「ん、どうしたのよ。突然に……」
ネギは駅へ向かう道すがら、ふと何かを思い出したかのようにつぶやく。
「いえ、思い返してみたら今日はすごく平和だったと」
「ああ、そういえば今日は一度もハンマー食らわなかったものね」
「ハリセンもありませんでした!」
「いっつもこの調子なら私も楽なんだけどねー」
正直、今日のイベントが平和だったのかと聞かれると首をかしげざるを得ないのだが、本人がそう言う以上、今日は彼にとって平穏で平和な一日だったのであろう。
まあ、実際タマモのハンマーを食らえば冗談抜きで生死に直結している事を考えれば、あながち間違いというわけでもないのであろう。
そう考えれば、確かに今日の一日はネギにとって比較的平穏な一日だったかもしれない。
ネギはそんな平穏な一日を与えてくれた神に思わず跪いて感謝の祈りをささげている。
ただし、そんなネギの心の奥底にほんのちょっぴりだけ刺激が足りないという喪失感があったりすることは内緒だ。
ともあれ、そんな感じで感謝の祈りをささげていたネギであったが、この時今日何度めかになるサインらしきものを目撃する。
ネギが目にしたサイン、それはすぐ横の川で遊んでいた子供達だった。
子供達は川に流れる人形を見つけ、その人形を目標に石を投げて遊び、いくつかを命中させて人形を破壊してしまっていた。
「ん、どうしたの?」
「いや、なんでもありませんよ。さ、早く横島さん達と遭遇しないうちに帰りましょう」
アスナは突然黙り込んだネギを心配するそぶりを見せるが、当のネギはすぐに気を取り直すと先ほど見た事をあっさり忘却の彼方にうちやって家に帰ろうとする。
そしてネギが一歩踏み出したその瞬間、ネギの後頭部に向けて空中から凄まじい速度でこぶし大の何かが直撃した。
突如としてネギに命中した謎の物体。
それは大宇宙から流れてきた流星、いわば隕石である。
正直、日常生活において隕石が直撃する確率は宝くじどころの確率ではない。その上、落下速度は音速を超えるため、ただでは済まない事は明白だ。
しかし、そんなほとんどゼロに近い確率をぶち抜いてネギへとたどり着いた隕石は、ネギの頭に直撃した瞬間、あっさりと木っ端みじんになるのであった。
「……アスナさん、また僕に消しゴムぶつけました?」
「まだそれを言うか……というか、なんで今更私が消しゴムぶつけないといけないのよ」
ネギは微妙に衝撃のあった後頭部をボリボリとかきながら小首をかしげる。
驚くべき事に――すでに驚く価値もないかもしれないが――ネギは隕石が命中した事そのものに気付いていなかった。
そして、それはアスナも同様のようだ。
隕石の直撃に気付いていない二人は、そのまま何気ない会話を続けながら、駅へと向かって歩いて行く。
なお、この後駅に到着するまでの15分間にさらに三回ほど隕石がネギに直撃したが、やはり三回ともネギはかけらも気づくことは無かったという。
「さて、いよいよ最後の難関ですね」
「まあ、確かに今までの傾向を考えるとここは最後の難関よね」
ネギは頬を叩きながら気合いを入れ、どんな場合でも敏捷に動けるように入念に準備運動をして筋肉をほぐしている。
アスナはそんなネギを呆れたような目で眺めつつ、盛大なため息をついた。
彼らがいる場所、それは女子寮に帰るためには決して避けて通れぬ場所、ネギ曰く生と死の最前線。
それは麻帆良学園中央駅と言う名の難攻不落の要塞だった。
ここで何故この駅がネギにとって死地と言えるのかを説明しよう。
まず、重要なのがこの麻帆良学園には基本的に美女、美少女が多いという事。そして、さらに押さえて置かなければいけないのが、ここは女子校エリアである事である。
なぜこの二つが重要なのか、そろそろ勘のいいかたは気付くであろうが、駅であるという性質上、この場所には無数の人間が往来する。
そして、その大部分がこの女子校エリアに所属する美女達なのだ。
さて、ここで美女、美少女、女子校、駅、このキーワードが集まると何を想像していただけるだろうか。
さらにヒントとして、駅の周りには小洒落た喫茶店やファーストフードの店、に加えてアミューズメント施設がある事も申し添えておこう。
ここまで言えば理解できるであろうが、見事なまでのナンパスポットの形成である。
そして、ナンパと言えば横島忠夫が出てこないわけがない。
つまり、麻帆良学園都市中央駅に入るという事は、ネギの天敵である横島忠夫のテリトリーの中に入るという事なのである。
しかも、それに加えて放課後の横島には高確率でもう一人の天敵であるタマモもセットでついているのだ。
これで何故ネギがこの場所を恐れているか、理解いただけだろうか。
要するにネギはこの場所では高確率で横島がナンパを行っており、それを見つけたタマモの制裁の巻き添えを恐れているのだ。
「それではアスナさん、覚悟はできてますか? 僕はできてます」
「いったいなんの覚悟なのよ」
「千雨さん曰く、Dドライブと外付けHDを消去した時と同じ覚悟だそうですが」
「余計意味わかんないわよ!」
ネギは微妙にわけのわからない事を口にしつつ、どこから取り出したのかダンボール箱を取り出すとおもむろにそれをかぶると、横島ほどではないがタマモから逃れるために身に付けた隠行で気配を殺していく。
そして、ダンボールを被ったまま匍匐前進で駅の構内へと向かっていくのだった。
なお、駅の構内に行く際に、ネギは目の前で車に踏みつぶされたカエルを目撃するが、それをあっさりスルーする。
そして、予想通り道路を渡る際に数回ほどタクシーやバスに踏みつぶされているが、隠行のために踏んだ方は気付く事もなく、ましてネギも踏まれた事に気付いていない。
ダンボールを被りながらゆっくりと、確実に駅の中に入るネギ。アスナはもう色々と諦めているのか、もはや突っ込みすらしない。
そして、ネギがようやく構内にたどり着いたその瞬間、アスナの目の前からネギの姿が消えた。
いや、正確にはたった今までネギがいた場所に巨大な何かが突き刺さり、ネギの姿を覆い消したのだ。
「タ、タマモ! ちょっとタンマ! いくらなんでも100Gtは洒落にならん!」
「よーこーしーまー! アンタ、私と刹那がいるにもかかわらず、目の前でナンパとは良い度胸をしているじゃないの……」
「いや、でもアレほどの乳を見たら男としてナンパせんわけには……というか、70台と95超級の間には越えられない壁とその美しさが……いや、まあ70台のお前にもやはりそれ相応の美しさは認めるが、やはり迫力と言う点で……ってタマモさん?」
「……殺す!」
「うっぎゃぁぁぁぁー!」
「ちょ、ネギ……ってタマモちゃんに横島さん!?」
突如として視界から消えたネギにアスナはしばしの間呆然としていたが、声の主が横島とタマモである事を理解すると再び盛大にため息をついた。
「アスナさん、いつもお騒がせしてすいません」
「あはははは、まあいつもの事だかからね。いいかげん慣れたわよ……で、止めなくていいの?」
「まあ、アレは横島さん達のスキンシップみたいなものですしね……それに、あの様子ならあと5分ぐらい十分に耐えられるでしょう。回復時間は……30分ですか」
「そ、そうね……」
アスナが盛大にため息をついていると、怒れるタマモとは対照的に落ち着いた感じの刹那が話しかけてきた。
一見刹那は怒っていない様に見えるのだが、それなりに濃密な付き合いのあるアスナには刹那もしっかりと怒っている事に気付く。
特に、冷静に横島の耐久力と回復力の限界値を見定めているあたり、実に侮れない。
ともあれ、平和だったネギの一日は最後の最後で例によって災厄に見舞われることになった。
アスナは刹那と共にしばしの間人間の形を崩していく横島を眺めていたが、いいかげん諦めたのかハンマーによって押しつぶされたネギのもとにむかう。
なお、本来ならタマモによる本気のお仕置きショーを目撃すると、ネギや木乃香のように重大なトラウマを背負い、最悪の場合神の世界を垣間見ることになるのだが、アスナはもうすでに慣れているために平気だ。
その上、一般人対策としてすでに刹那が結界を張り巡らしているため、誰も横島の惨劇に注意を放つ者はいない。せいぜい少しだけ寒気がしたり、人によっては吐き気とひきつけを起こす程度だ。
アスナは横島の断末魔の声を鼻歌まじりに聞きながら、ゆっくりとネギのもとへとむかう。
ネギがいた場所はハンマーによってすっかり陥没し、特にネギがいた場所にはちょうど人が入れる程度の深い縦穴が開いていた。
おそらく、ハンマーの直撃を余すことなく受けたネギが地面に陥没した穴であろう。
アスナは穴のふちまで来ると、自分も穴に落ちないように注意しながら覗き込む。
その穴はどこまでも深く、試しにこぶし大の石を落してみても地面に当った音は返って来ない。案外、どこかのドクターでスランプな漫画ではないが、地球を突き抜けてブラジルあたりにでも到達していても不思議はないだろう。
彼女はそんな事を考えつつ、ネギが這い上がって来るのを待っているとふと足元から妙な音が響いているのに気付いた。
「……何?」
アスナは不思議そうに足元を見つめていると、突然足元の床石にひびが入りだし、次いで子供の握りこぶしが地面から生える。
そして次の瞬間、アスナがその場からどく暇もなく見覚えのある頭が地面からズボリと生えたのだった。
「ふはははは! この風、この肌触り、この匂い。これこそまさに日常よ!」
地面から生えた頭、それはやはりネギであった。
彼はようやく得た大地の風を堪能しながら、地面からはい出そうともがく。
そして、ふとなんらかの気配を感じて視線を上に向けた。
「……えっとパインのパンツ……略してパ○パン?」
ネギがはい出した場所、それはアスナの足元だ。
故に、その場所で頭上を見上げれば当然ながらアスナを見上げる事になる。
そして付け加えるならアスナは制服姿、つまりスカートをはいている。
となれば、ネギの目に何が映ったのか、もはや説明するまでもないであろう。
「うふふふふ、ネーギー」
「な、何でしょうか?」
ネギが微妙に怯えるなか、アスナはネギの頭を片手でむんずと掴むと一気にネギを引っこ抜く。
そして、無言のままスタスタと横島のもとへと歩いて行った。
「さて横島……覚悟はいいわね? 食らえ、狐眼流奥儀『雷鳴槌』!」
「ちょっとマテ! 刹那ちゃんの奥儀をパクるなー!」
今まさに横島が天に召されようとしているころ、そんな修羅場な空間にアスナはあっさりと割り込み、手にしたネギを横島へと押し付ける。
「横島さん、これ使ってください!」
「おお、アスナちゃんサンキュー! ネギ、頼むぞ!」
「えう!? っていやぁぁぁぁぁー!」
当然横島に押し付けられたネギは、予想通りに横島によって盾として扱われ、タマモの必殺の打撃を余すことなくその身で受ける事になるのであった。
ネギが横島の身代わりになっているころ、その頭上では死神があんぐりと大口を開け、呆然とネギを見下ろしていた。
ただし、死神と言っても横島に憑いているコミカルな死神ではない。
確かに姿は鎌を持ち、黒いフードをまとった髑髏なのだが、その造形はいつもの死神と違ってホラー系だ。
おそらく、彼はこの世界に土着する死神なのであろうが、何故彼はそんなに呆然としているのであろうか。
その理由は、今日のネギの不可解な事故の原因が全て彼の手によるものだからである。
本来、この死神にしてみればネギは数日前の朝の段階でシューマイに含まれた青酸カリを食し、その命を神に返すはずであったのだ。しかし、どういうわけかネギは死の運命を回避した。
故に彼は本来死すべき運命であるネギの命を刈るために、死のシナリオを用意したのだ。
もっとも、せっかく用意した死のシナリオは何故かネギに通用することなく今にいたる。
そして、今度こそはとばかりに芸術的で凄惨な死のシナリオを書きあげている最中、当のネギは死神の意図しない事象が原因で天に召されようとしていく。
死神はすっかり困惑する。
今まで、死神の死のシナリオから逃れられたものは一人としていなかった。
そして同時に死のシナリオから関係ない事で死ぬ人間もまた初めてだ。
死神がすっかり困惑する中、ふと誰かが彼の肩を叩く。
振り返ると、そこにはいつもの死神、横島に取り憑くどころか、むしろ最近は守護神化しつつあるコミカルな死神が佇んでいた。
そして、その死神に気を取られている隙に、どういう手段を使ったのか、天に召されようとしていたネギが無理矢理魂の尾を引っ張られ、息を吹き返していた。
その非常識極まる事象に再び硬直し、呆然とする土着の死神。
横島の死神はそんな彼を元気づけるかのように再び肩を叩き、これまたいつも通り取り出したプラカードに何やら書き込むとそれを死神に見せる。
『君の死はまだまだ彼の日常に及ばない』
横島憑きの死神が見せたプラカードには、ただ簡潔にそう書かれていた。
そして、すっかり死神としての自信をなくした土着の死神はこれ以後横島憑きの死神を師匠と呼び、何故か姉弟子であるまき絵と共に新体操にいそしむ事になるのであった。
end
<あとがき>
とあるジェットコースターなホラー映画と世界陸上を見たせいか、死と書かれたハードルを悠々となぎ倒しながらトラックを走るネギを夢に見た。
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