「いやあああぁぁー!」


 今日も今日とて麻帆良の空に絹を引き裂くかのような悲鳴が轟く。
 これが通常の田舎、もしくは都市部であるならば確実に通報ものなのだが、あいにくとここは日本で最も安全かつ、最もデンジャラスな都市、麻帆良学園だ。
 はっきり言ってこの程度の悲鳴で警察を呼ぶほど”やわ”な精神を持つ住民はいない。
 そして、同時にこの程度の悲鳴でどうにかなるような”やわ”肉体を持った被害者もいないのである。
 なお、ここであえて言及しておくが、この麻帆良の住人が全てが元々このように頑強なわけではない。
 その原因は主にとある集団の巻き起こす騒動に、大なり小なりと巻き込まれたが故のダーウィン的自己進化の結果という、何気に過酷な現実なのであったりする。
 ただし、自然淘汰ではなく自己進化というあたり、麻帆良に住む住民の特異さが表れているのではないだろうか。
 ともあれ、以上の理由により通行者及び近隣住民にあっさりとスルーされた悲鳴だが、その発生源は何気に自己の存在意義の危機に直面していた。


「そ、それだけは、それだけは勘弁して!」


 麻帆良学園内にあるとある一軒家で、先ほど悲鳴を上げた少女が命を賭さんとばかりに目の前の青年に必死で懇願する。
 しかし、青年は無情にも少女の懇願を一蹴し、懐からあるものを取り出す。
 それを見た少女は一気に顔を青ざめさせ、いやいやと首を振りながら後ずさりするが、すぐに壁に背中が当たり、それ以上後退することはできなくなる。
 青年は怯える少女の姿にサディスティックな笑みを浮かべながら、先ほどとは別の物を再び懐から取り出した。
 少女は迫る青年から逃れようと周囲を見渡していたが、青年が取り出したもの目にすると目を見開き、驚愕のあまり呼吸も忘れてそれを凝視する。


「そ、それは……」


 薄暗い部屋の中、絶望を帯びた少女の声が小さく響く。
 青年が手にした物、それは少女にとって希望であり、何物にも代えがたい宝石のごとく大事なものだ。
 本来なら少女はすぐにでも青年に飛びかかり、それを取り戻す行動をとるであろう。
 しかし、青年と少女の間にある微妙な距離のせいでたとえ少女が神速で飛びかかろうと、青年の方の動きが早い。
 故に少女は抵抗はおろか逃げる事も出来ずに、ただ視線のみを青年に向けることしかできなかった。
 そして青年もまた、少女が抵抗できない事をよく知っている。そして、手にした宝石を破壊される事を最も恐れているという事をよく理解しているのだ。
 故に、彼は一切の躊躇もなく少女の目の前で全ての希望を打ち砕くがごとく、その宝石を最初に手にしていたものにものに放り込んだ。


「あ……」


 その瞬間、あまりにもあっけなく訪れた絶望に少女はただ呆然と声を上げ、その絶望のあまり少女は膝の力が抜けたのか、がっくりと床に倒れこもうとした。
 しかし、床に倒れる直前、少女の腕がなにかに引っ張られ、強引に立たされる。
 そして、彼女が気付いた時には離れた場所にいた青年がまるで恋人のように少女を抱きしめていた。
 だが、その抱擁にはひとかけらの愛情もなく、ただ事務的に少女を支えているにすぎない。
 その証拠として、少女の目に映る青年の目は、まるで屠殺場送られるブタを見るかのように無感情であった。
 少女は青年が自分に対してひとかけらも慈悲の心がない事を感じ取ると、力の入らない膝に無理矢理力を込め、青年の腕から脱しようとする。
 いや、その行動は少女の気性を考えれば脱出ではなく、青年に対する反撃に移るための動作であったかもしれない。
 しかし、青年は腕に力を込めて少女の動きを完全に封じると、壁際に少女の体を固定する。
 そして下卑た笑みを浮かべながら、ゆっくりと右手を少女の顔に近づけていった。
 少女の目に映るのは彼の右手と、彼女の宝石。
 しかし、いまやその宝石は元の面影もなく完膚なきまでに汚され、おぞましさしか残っていない。
 故に少女は少しでもそれから逃れようとするが、青年によって拘束された少女に逃げる事は不可能である。
 そして、彼女はゆっくりと迫る汚れた宝石を見つめたまま、次の瞬間に襲ってきた口腔内の衝撃にその意識を手放したのであった。





「だーっはっはっは、思い知ったかタマモ! 霊体になって一晩じっくりと反省するがいい!」


 とある日の夕方、先ほど響き渡った悲鳴の発生地点で今度は横島の高らかな笑い声が響き渡る。
 そんな彼の足元には恋人にして義妹であるタマモが、幽体離脱バーガーこと「チーズあんシメサババーガー+油揚げ」を口に入れたまま完全に気を失っている。
 ただし、彼女の口元はお揚げを残してなるものかとばかりに、もそもそと動いてバーガーを食し続け、そのたびにおそらく拒絶反応であろう痙攣が体を襲っていたが、横島はまったく気にしていない。
 横島はただひたすら霊体となったタマモへの説教に集中するのみである。
 もっとも、タマモとて伊達に麻帆良最凶の生物として君臨しているわけではない。
 今でこそ彼女は「チーズあんシメサババーガー+油揚げ」を食したショックで呆然としているが、彼女の真骨頂を発揮する時はすぐ傍に迫っていたのである。


「横島ー!」

「ってこらっ! 霊体のままコブラツイストをかけるな! というか、霊体のくせになんか微妙に柔らかいものが背中にー!」

「あーたーしーのーお揚げ返せー!」


 タマモは大好物のお揚げをゴミ同然にされたという正当なる怒りをもって、反撃ののろしを上げたのであった。





「なんというか、珍しい展開ですわね」


 横島とタマモが霊能バトルという名のドツキ漫才を始めると同時に、今まで呆然と事の推移を見守っていたあやかが傍らにいる小太郎にそっと呟く。
 だが、それも無理もない事であろう。
 普通なら横島がなにかをやらかし、そこをタマモがドツキまわし、刹那がその看病をするというのが横島事務所おけるテンプレート、様式美というヤツであったはずなのだ。
 ところが、今目の前で繰り広げられる光景は攻守が完全に逆転し、あまつさえ横島はネギから盗んだ順逆自在の術で霊体のタマモに対して器用にコブラツイストをかけ返している。
 あやかと小太郎はそんな珍しい光景に口をあんぐりと開け、二人を引き離す事も出来ずにただ見守るのみだ。


「せやな……それにしても兄ちゃんも容赦ないな、正直アレはきっついで」

「あのチーズあんシメサババーガーというのはそんなに不味いので?」

「なんせ口に入れた瞬間、額から後頭部まで食材の不味さとエグみのみが一気に突き抜けるからな……魂が抜けるのも納得や」

「そこまで言われるとむしろ食べたくなってきますわね。好奇心的な意味で」

「やめとき、というかあやか姉ちゃんが食べようとするなら、俺は全力でそれを妨害するで」

「……その方が良さそうですわね。ところで、何故このような事態に?」

「俺が帰ってきたらもう大げんかが始まっとったからな、兄ちゃん達と一緒におった刹那姉ちゃんと死神ならたぶん……」


 二人はここでゆっくりと自分達の右横へと視線を向けた。
 すると、そこにはどこか上の空な刹那が横島達の喧嘩をとめるでもなく、ただじっと二人を見つめている。


「えっと、刹那さん?」

「……」


 刹那はあやかの呼びかけにもまったく反応せず、ただ横島達を見つめるのみだ。
 あやかはどうした事だろうと、次に刹那の頭上に浮かんでいる死神に視線を向ける。
 しかし、死神はあやかの視線を受けると自分もわけがわからないと言っているのか、ただ首を横に振るだけだ。


「刹那姉ちゃん? あかん、反応があらへん」

「いったいどうしたんでしょうか?」


 二人は背後で行われている喧騒をよそに、刹那の様子のおかしさに首をひねった。
 ちなみに、現在彼女達の背後ではタマモが横島にレッグラリアートを放ち、ふらついたところにおオパンツ丸見えのフランケンシュタイナーを決めようとしているが、二人はそれをあっさりとスルーしている。
 そんな喧騒の中、今までなんの反応も示さなかった刹那が小さな声で呟いた。


「いいな……タマモさん」

「……どええええ!?」

「せ、刹那さん……個人の趣味にとやかく言うつもりはありませんが、あなたにそんな性癖があったなんて……」


 刹那の小さなつぶやき、それは喧騒の中でもはっきりとあやかと小太郎の耳に入ってきた。
 そしてその意味を理解した瞬間、小太郎は叫び、あやかはどこか生温かい視線で刹那を諭すように抱きしめたのであった。


「ターマーモォォォー!」

「よーごーじーまー!」


 ちなみに彼女達の3人の背後では、フランケンシュタイナーを決めようとしたタマモに対し、信じがたい事ではあるが横島は煩悩を見せる事もなくタマモのフトモモから頭を引っこ抜くと強烈なパワーボムで切り返し、レフェリーと化した死神3カウントが無情にも響き渡っていたが、これもやっぱり小太郎達はスルーしていた。
 横島達と付き合うことで様々な能力向上を見せた刹那、小太郎、あやかであったが、何気に一番上昇したのはスルー力なのかもしれない。





二人?の異邦人IN麻帆良 外伝
「私の名前を言ってみて」








「いえ、違います! そういう意味で言ったんじゃありません!」


 背後で横島が麻帆良頂上決戦において見事勝利し、コミッショナー役の死神の手によってチャンピオンベルトを腰に巻いているころ、刹那は盛大に誤解しまくったあやかと小太郎を必死に説得していた。
 とは言え、刹那の放った言葉のタイミングと、その発言内容を考えれば誤解するなというのが無理な話だろう。
 そのため、刹那はやはり背後で行われている横島のマイクアピールを完全に無視しつつ、先ほどの発言の真意を二人に説明していくのだった。
 刹那曰く、事の発端は昼食の木乃香の唐突な質問だった。


「なあせっちゃん……横島さんとはドコまでいったん?」

「ブフっ!」

「みぎゃー!」


 刹那はあまりにも唐突にしてぶっ飛んだ内容に、思わず飲んでいた牛乳吹きだす。
 その直撃を受けたアスナは顔面を白濁色に染めながら悲鳴を上げ、グレート・ムタの毒霧を受けたレスラーのごとく床でのたうちまわっている。
 そして昼休みに突如巻き起こった混乱の発起人は、いつもと変わらぬ頬笑みを浮かべながらニコニコと見守っているだけだ。


「げほっ、ごほっ……す、すみませんアスナさん」

「あー、うん大丈夫よ。で、いったいどうしたのよ木乃香、藪から棒に」

「んー、だってせっちゃんと横島さんがつきあって2カ月、夏休みも終わったやろ。その夏休みの間に進展したんやないかなーと」

「し、進展って……というか、付き合ったしょっぱなからキスかましてたから、そこから進展っていったら……まさかもうキメちゃったの!?」

「ぶふー!」

「うやあああー!」

「ああああ、お嬢様もうしわけありません!」


 アスナがそこまで言った瞬間、彼女の隣で再び白の毒霧を吹きだす音と、その直撃を受けた木乃香の悲鳴が上がった。
 アスナは刹那の吹きだした牛乳によって真っ白に染まる木乃香を見つつ、これで心の中まで本当に真っ白になってくれないかと埒もない事を考る。
 だが、牛乳でコーティングした程度で木乃香が白くなるはずもなく、木乃香は取り出したハンカチで元通りの艶やかな黒さを取り戻し、うろたえる刹那の肩をがっしりとつかんだ。


「で、せっちゃん……実際ドコまでいったん?」

「いや、あの……ドコまでと言われましても……特には……」


 木乃香は妖しく目を光らせながら刹那に迫る。
 しかし、刹那の様子を見るに特に進展が無いのは明らかだ。 
 木乃香はそこまで察すると、刹那の肩から手を離し、失望したように首を振ると大きくため息をつく。


「あかん、あかんでせっちゃん。せっかくちゃんと恋人になっても、その後なーんにも進展せんかったら意味無いえー」

「し、しかし……進展と言われても、その……恥ずかしいというかなんと言うか……」

「せーやーかーらー、それがいけんと言うとるんよ。そんな悠長にしとったら、ただでさえでも同居しとるタマモちゃんにどんどん置いて行かれるえ」

「そう言われましても、そこは仕方が無いというか……それに今は横島さんとお嬢様のそばにいるだけで十分幸せですし」
 

 刹那はそう言うと本当に幸せそうに微笑み、胸の前で手をぎゅっと握りしめる。
 その姿を見る限り、刹那は確かに現状で十分幸せを感じているのであろう。
 しかし、刹那の幸せを願う木乃香としてはいささか不満が残る。
 ただでさえ刹那は幼少のころから木乃香の護衛として自らの感情を殺し、文字通り幸せを捨てて尽くしてきたのだ。
 そんな刹那の幸せがこの程度で良いわけがない。もっとも、下世話なおせっかいまで働く気はないが、それはそれ、これはこれ。
 女子中学生としての好奇心も多分に含んでいるのはご愛嬌であろう。
 ともあれ、木乃香はそんな使命感と共に、何故か暗黒の瘴気をまきちらしながら刹那に迫る。


「せっちゃん、ほんとにそれでええんか? せっちゃんはもっともっと幸せになってええんよ」

「そうよそうよ、さすがに最後まで突っ走るのはどうかと思うけど、せめて二人っきりでデートとかすればいいじゃない」

「でも、それだとタマモさんが……ともかく、私は横島さんとタマモさんがいて、その隣にいられたらそれだけでもう十分なんです」

「うーん、刹那さんは本当に欲が無いというか、幸せ慣れしていないというか……せめてもう少しタマモちゃんみたいに積極的になればいいのに」

「そうやなー、アスナの言うとおりもう少し積極的に……といっても、せっちゃんの性格考えたら無理強いはあかんし」


 木乃香とアスナの二人は当事者である刹那を置き去りにして、いかに刹那を積極的にさせるかという命題に頭をひねる。
 ただし、この時点で二人に恋愛経験など皆無なため、頭に浮かぶのはどこの少女漫画か格闘漫画のストーリーかといった、突拍子のないものしか出てこない。
 そして、いい加減二人の頭から知恵熱と共に煙が吹き出そうとしたころ、木乃香の脳裏に電流が走った。


「そうや、これや!」

「ん、なにかいい案浮かんだ?」

「今ふと気付いたけど、せっちゃんって横島さんと会ってからずっと『横島さん』って呼んどるやろ。そんで、タマモちゃんも『横島』って呼んでる。せやから、この機会に一歩踏み込んで……」

「あ、わかった名前で呼ぶってわけね! 確かにそれは恋人としては基本よね」

「は、はあ……名前で……ですか?」


 刹那は二人の剣幕にいったいどんな過激な事をやらされるの不安だったが、実際に出された提案は意外にまともであり、いささか拍子抜けしてしまう。


「ただの呼び方だと思うて甘くみとったらあかんえー、基本は大事なんや。というわけで、今日横島さんと会ったら……」


 木乃香は刹那の手を取り、恋愛経験が無いのにも関わらず妙な迫力を醸し出しながら愛の手ほどきを施そうとした時、突然教室の扉が開き、朝倉がアスナのもとへと駆け込んできた。


「アスナー、さよちゃんから情報が入ったよ。どうやら今視聴覚室で下級生集めてミサっぽいものを開いてるらしいけど……止めなくて大丈夫?」


 朝倉からの御注進、それはネギの動向をスパイさせていたさよからの情報だった。
 最近のネギは3−Aでの表立った布教活動を徹底的にアスナにつぶされているため、夏休み明けから完全に地下にもぐり、活動内容をアスナに把握されないようにしていたのだ。
 もっとも、アスナの方もネギの表立った動きが無い事に逆に怪しみ、朝倉経由でさよの協力の元、ネギの動向を把握しようと努めていた。
 もはや二人の関係は魔法使いの主従ではなく、むしろゲシュタポと反ナチのレジスタンス、もしくは政府軍とゲリラの関係である。
 そして今、アスナの放ったスパイの網が実を結び、ついにネギの尻尾をつかんだ。


「で、どうするの? 今から行っても逃げられる確率が高いよ」

「そう、最近おとなしくしてたから逆に怪しいと思ってたけど、まさか本当に……しかも下級生を相手に……くくく、本当にいい度胸じゃない」

「ア、アスナさん……なんか笑い方が怖いですよ。具体的には覚醒したお嬢様並みに……」

「な、なんやろう……今一瞬ウチも背筋が凍ったで」

「怖! なんかすっごく怖!」


 顔をうつ向かせて不気味に笑うアスナに、刹那達は一気に壁際まで後退してお互いに抱き合う。
 いや、彼女達だけではない。
 既にこの段階でネギやタマモ達によって、危険察知能力に長けてしまった3−Aのクラスメイトは言い知れぬ恐怖と不安に襲われ、一部魔法関係者を除いて脱兎のごとく教室から逃げ出していく。
 そして、一気に閑古鳥が鳴いた教室の中で、薄気味悪く笑い続けるアスナは懐から一枚の紙を取り出すと呪文の様なものを唱えた。
 すると、アスナの取りだした紙から煙が吹きだし、その煙の中から小さなデフォルメされたちびアスナが飛び出す。
 そう、先ほどアスナが行ったのは刹那やタマモが使う、式神作成の呪文であった。
 アスナはこんな事もあろうかと、タマモから式神作成の呪を教わり、それを身につけていたのである。
 ただし、アスナの式神は何故かちびタマもやちび刹那と違い、仮契約のスカカードと同じデザインであったが。


「ギタギタよ!」


 ちびアスナは机に着地すると同時に、凶悪なまでに吊上がった目を光らせて非常に物騒な事をのたまう。
 アスナはそんなちびに満足そうに頷くと、懐からこれまた一体の人形を取り出し、それをちびに渡した。 


「アレは?」

「えっと、ネギ君の人形だね……さよちゃんと同系統の」

「という事は、まさかあの中身は呪いの……」

「うん正解、あの中身はアスナが夜なべして作ったワラ人形やー♪」


 刹那達はちびアスナに手渡された人形の正体を正確に看破すると、この後確実に起こるであろう惨劇を予想し、静かにネギの冥福を祈り、黙とうする。


「アスナー……ばすたぁー♪」


 そして、目をつむって祈り続ける刹那達の耳に、ちびアスナの楽しそうな声が聞こえてくるのだった。
 それから5分後、何故かネギはミサを開始する直前に首と背骨を骨折し、股関節を脱臼するという謎の重傷を負い、救急車で搬送される事となる。
 いかに強靭なネギとは言え、怪我の結果のみをダイレクトに伝える呪いの類に対しては、アスナの魔法攻撃無効化と対を成す物理攻撃無効化を発揮できなかったようだ。
 そして、そんなインパクトの有りすぎる事件のため、その後刹那への恋の手ほどきはうやむやとなってしまうのであった。







「という事がありまして……その事を思い出して、その……思わず」


 刹那の説明を簡潔にまとめると、今日の昼に木乃香とアスナによって横島の呼び方を意識したところに、先ほど横島がタマモの事を呼び捨てにし、それに対する羨望という事であったらしい。
 あやか達はその説明に一応の納得を見たようだが、説明のさなかにオマケとして付いてきたアスナとネギの暗闘に二人は絶句してしまう。
 特に、ネギの被災時にタマモと共に外出していたあやかの衝撃は大きい。
 

「ええっと、なんと言いましょうか……先ほどの刹那さんの発言の意味は理解しましたが、午後の休講の理由も同時に判明いたしましたわね」

「なんやろう、最近アスナ姉ちゃんが益々人間離れしてきたような気が……というか、本職の呪術師も真っ青のワラ人形をどうやって……」


 二人はネギとの壮絶な抗争の結果、ネギや横島達とは別の意味で加速度的に人間を凌駕しつつあるアスナに戦慄する。
 しかし、事の本題は超人に進化しようとしているアスナではなく、あくまでも刹那だ。
 故に二人はとりあえずアスナの事は聞かなかった事とし、改めて本来の話題である刹那の問題へと話を強引に戻していく。
  

「まあそれはともかく、言われてみれば確かに横島さんが名前を呼び捨てにするのはタマモさんだけですわね」

「言われてみれば刹那姉ちゃんにも、あやか姉ちゃんにも『ちゃん』付けやしな」


 あやかと小太郎はここで初めて、横島がタマモと刹那の名を呼ぶ時と違いに気付く。
 たしかに言われてみれば横島はタマモの事を『タマモ』と、刹那の事を『刹那ちゃん』と呼ぶ。
 横島にしてみれば呼び方に違いはあれど、二人の扱いに差をつけているなどということは無いのだろう。
 しかし、はたから見ればどちらに対してより気易く接しているのかは一目瞭然。
 ましてやたった今、背後で始まった第二回麻帆良頂上決戦のごとく壮絶なお付き合い――もとい、ドツキアイを刹那に対して行うなど天地がひっくり返って横島には不可能だろう。


「……やはり、私もタマモさんのようになにか必殺の突っ込みを会得しなければ、横島さんのパートナーとしてふさわしくないのでしょうか? ならばいっそ……」

「まった! お願いやから刹那姉ちゃんはそのままで……ってそのバーガー食ったらあかーん!」

「刹那さん、はやまってはダメですわー!」


 何やら深刻に思いつめた挙句、アスナやネギのように人類の階梯から一段上に登ろうと決意し、どこからともなく幽体離脱バーガーを取り出した刹那だったが、あやかと小太郎は一瞬のアイコンタクトの後に見事なまでに息を合わせ、刹那を拘束するとそのまま抱え上げて部屋を出ていく。
 そして、そんな彼女たちの背後では――

  
「てめー! 霊体になってまでハンマー使うんじゃねー!」

「そのアンタはか弱い霊体のあたしに容赦なく栄光の手を使ってるじゃないのよ!」

「貴様ごときがか弱いなどと言うな! そう言うのは刹那ちゃんみたいな癒し系の娘が使ってこそだ!」

「なんだとー!」


 ――横島とタマモのドツキアイが佳境へと向かいつつあった。
 ちなみに決着は10分後、タマモの狐火でこんがりと焼かれながらも、横島の放ったドラゴンスクリューから四字固めのコンボによって見事にギブアップを取り、王座防衛を果たすのだが、これはあくまでも余談である。
 そしてさらに余談ではあるが、完全に忘れ去られたタマモの本体はと言えば、無意識のままお揚げ入りのチーズあんシメサババーガーを完食し、ゆっくりと命の火を消し去ろうとしていた。
 どうやら本来タマモの霊力源であるはずのお揚げが、チーズあんシメサババーガーと合体したことにより、味どころかその属性すらも反転させ、タマモにとってこれ以上ない毒物と化したようである。
 それにしても、たとえ毒物に変質していようと、そこにお揚げがある限り意識が無くてもそれを食すとは、げに恐ろしきお揚げ魂と言えよう。
 なお、タマモの安否だが、間一髪で事態に気付いた横島に手により、九死に一生を得、事なきを得ていた。
 そして、そんな毒物を食させた横島は土下座を持ってタマモに謝罪するのだが、へそを曲げたタマモはその謝罪を拒否する。よって、横島は泣く泣く防衛したベルトをその日の内にコミッショナーである死神に返上し、かくしてこの麻帆良学園のヒエラルキーは元の平穏を取り戻すのであった。
 













「さて、それでは皆さん! 他に何かいい案はございますかしら?」


 刹那の目の前にはいつの間にかクラスメイトの主だったメンバーが集まっていた。


「あの……どうしてこうなったのでしょうか?」


 横島家においてタマモが生死の境をさまよっているころ、刹那はいつの間にか女子寮に拉致され、今にいたっていた。
 彼女の目の前には寮の談話室で埋め尽くすクラスメイトと、なにやら取り仕切っているあやかと小太郎、そして何故か木乃香とアスナがいる。
 アスナ達はいつの間に作ったのか、ひな壇の上に刹那を座らせ、どこからか持ってきたホワイトボードに何やら書き綴っていく。
 おそらく、その内容は横島に刹那の名前を呼ばせようとする手段が書かれているのだろうが、刹那はそれをどこか遠くで行われている事のようにただ呆然と見ているだけだ。
 どうやらあまりにも場面が急展開したせいで、思考が追い付いていないようだ。


「はいはいはい!」


 と、そこにひときわ元気よく桜子が手を挙げる。
 すると、ようやく意識が覚醒してきた刹那は反射的に桜子の方を見た。
 そして、司会進行をしているあやかに指名された桜子は、おもむろに立ち上がると爆弾を放り投げたのであった。


「いっその事既成事実決めちゃって、その流れで名前を呼び合うというのは?」


 ――ボン!


 その瞬間、談話室の一角から何かが爆発したかのような奇妙な音が響き渡った。
 発生源は当然ながら、桜子の発言の内容を想像し、ゆでダコのように真っ赤になった刹那。
 彼女は真っ赤になった顔をうつむかせ、声もなく頭から煙を上げている。
 彼女の仕草を見るに、どう考えても先ほど桜子が言ったような行動は不可能なのだが、書記を担当する木乃香はおもむろに提案を板書していく。
 そんな最中にも、アグッレシブさで音に聞こえる3−Aのメンバーは様々な提案をするのだが、30分もするとネタが出尽くしたのか、部屋の中を静けさが取り囲む。


「さて、一応皆さんの案も出尽くしたようなので内容を検討していきたいと思います。ですが、その前に……ここからここまでは全て却下ですわ!」

「ええー!? いいんちょ横暴ー!」


 司会役のあやかは、ネタが出そろったのを確認するとその取りまとめに入ろうとする。
 しかし、その前に彼女はホワイトボードに歩み寄ると、問答無用で5割近くの実行案を削除していく。
 そんなあまりにも横暴な行動に、桜子を筆頭に朝倉等お祭り大好き人間達はブーイングをかましていくが、あやかはそんなブーイングを気にも留めない。
 いや、むしろ削除した提案の発案者に対して、覚醒した木乃香並みの迫力を醸し出しながら睨みつけていく。


「お黙りなさい! 私達が責任が取れる年齢ならともかく、中学生の身空で18禁など言語道断です!」


 あやかはひと睨みで桜子達を黙らせると、さらに同系統の案件を消していく。
 その内容はあやかが言った通り18禁物が大多数なのだが、ちょっと冒険すれば出来なくもない15禁ぐらいの物もある。
 しかし、いまだにゆでダコ状態の刹那を見るに、15禁でも実行不可能なのは明白だ。
 その反面、クラスメイトの何人かは、自分の発案や過激な内容が消されていくたびに残念そうな声を上げていく。
 ちなみに、削除された内容の中で最も過激なものの発案者は、きわめて高度にカモフラージュされているが実は千鶴であったりする。
 彼女の提案したものはいくつかの小道具とシチュエーションを利用したものだ。
 それは、『犬』『首輪』『自転車』『散歩』の四っつである。
 さて、この道具と状況だけを考えると別段おかしくはないように見えるかもしれない。
 特に小太郎などは自分がダイレクトにあてはまるだけに、何故その案が却下されたのか理解できずに首をかしげているくらいだ。
 しかし、横島の同位体であるあやかは千鶴がその小道具を使うと言った時点で明確なエロの匂いを感じ取り、千鶴の謀略を未然に防いでいた。
 そんなこんなで、せっかく出された提案の大部分が削除され、ホワイトボードが隙間だらけとなったのだが、その内容は刹那でも実行可能な穏やかなものばかりだ。
 あやかはこれなら安心だろうと満足そうに刹那を見る。 
 しかし、他のクラスメイトは少し不満そうだ。
 なにせ確かに奥手ぎみの刹那でも実行可能なほどゆるい提案ばかりなのだが、その反面としてインパクトと成功率は低いと見るしかない。
 朝倉達はその辺をついて、もう少し過激な案件を通そうとあやかに声をかけようとする。
 しかしその直前、今までただ沈黙しているだけだったネギがおもむろに立ち上がり、かかとをそろえてつま先を45度に開いて直立不動の姿勢を取りながら挙手をした。


「アスナさん、僕にいい考えが!」


 アスナは突然のネギの行動にすこしだけびっくりしたようだったが、すぐに気を取り直すとネギへと視線を合わす。
 そして、10歳の少年であるネギの純粋で吸い込まれるようなきれいな瞳を見つめ――


「ネギ……言っておくけど、『いっそ横島さんを亡き者にすれば、そんなわずらわしい悩みも全部解決』と言ったらぶっちめるわよ」


 ――その奥にある黒よりもなお黒いその思考を完全に読み切っていた。

 
「……あは、あはははは。いやだなーアスナさん、僕がそんな事言うはずが無いじゃないですか」

「さっきの微妙な間はなんだったのかしらねー。ま、いいわ……で、どんな案があるのかしら? 当然おかしなものだったらわかってるわよね?」


 アスナは明らかに挙動不審なネギに対して、実に冷たい視線を向けながらその先を促していく。
 しかし、ネギがしようとしていた提案は完全にアスナに見抜かれたために言うことはできない。
 ここであえてアスナを無視して強行に発言すれば、ネギは確実にアスナによってぶちのめされ、もしその話が横島伝わったら幾度目かの宇宙遊泳、最悪な場合は人類初の太陽への有人飛行すらやらされることになりかねない。
 ネギは自ら死地に飛び込んでしまった事を激しく後悔する。
 だが、望むと望まざるとに関わらず横島と密度の濃い付き合いがあるだけに、無自覚でそれなりの芸人体質を備えてしまったネギは気がつけば死の引き金を自ら引いていたのだ。
 これが本職の芸人であり、その後で食らうペナルティが常識的なものであれば、ネギの行動は実に”おいしい”と言えるかもしれない。
 しかし、現在のネギの状況はリアル地雷原の真ん中で一人放置されたピン芸人のごとくだ。
 本人にしてみればとても笑えるものではない。 
 故に彼はこの状況を脱すべく、天才と称された頭脳をフルに駆使し、古今東西の文献。
 それこそ日本に来て読んだ漫画やラノベ、はては霊能者の青年と狐少女が異世界に迷い込み、そこで教師をしている少年を含めた少女達と過激なドタバタを繰り広げると言う、実にハートフルなネット小説の内容すら思い出しながら刹那の願いを叶える案を検討していく。
 しかし、いかにネギが天才であろうとまだ年端もいかぬ少年。
 焦れば焦るほど頭は空回りし、いい案が浮かんでこない。
 そして、いい加減焦れたアスナがもういいとばかりに首を振り、とりあえず座らせようとしたその時。
 ネギの脳裏に天啓のごとく光が走り、神が下りてきた。


「えっと……えっと……そ、そうだ! まず刹那さんが鉄火面をかぶって、それからショットガンで脅しながら『俺の名前を言ってみろ』と……アレ?」


 ただし、降りてきた神は暗黒神どころか笑いの神であった。
 どうやら切羽詰まったネギは、これまた無自覚で突っ込み上等のネタを披露し、自ら進んで地雷を踏んでいく。
 もし横島がこの場面を見ていたら、芸人として成長し、ボケる時に見事にボケて見せたネギに対して免許皆伝を与えていた事であろう。
 そして、ボケをかまされた以上、そのボケを受け止め、笑いという芸術を完成させる突っ込み担当の少女はおもむろにネギに近づき、逃げる間もなくその小さな体を逆さまに抱え上げる。
 ネギを逆さまに抱え上げたアスナの姿。
 それはもはやアスナの必殺技となった『アスナバスター』の体勢だ。
 アスナの細い両腕はネギの足をしっかりとつかみ、逆さまの状態で肩に抱え上げたネギの首を始点にギリギリと背骨を圧迫していく。
 しかし、まだこの段階ならば両手が自由なために脱出する手段が無いわけではない。
 事実ネギは手をばたつかせながら、なんとか脱出しようと試みている。
 だが、アスナとてここでネギを逃がすわけにはいかない。
 ここでアスナはネギの手を封じるべく、あろうことか本来意のままにならぬはずの髪、見事なまでのツインテールを操り、ネギの手に巻き付けてその動きを封じるのに成功したのだ。


「さて……ネギ、覚悟はいいわね?」


 アスナは一言だけ言うと、そのままネギの答えも待たずに空高く跳躍する。
 しかし、ネギとて伊達に今まで修羅場はくぐっていない。
 彼はこの段階でもまだ脱出する事を諦めてはいなかったのだ。
 手足を完全に拘束し、動きを封じたまま背骨と両腕、股関節に深刻なダメージを与えるアスナバスター。
 そんな一見完璧な技に見えるアスナバスターであるが、実はこの技はあやかとの抗争の折に何度か破られていたのだ。
 ネギはアスナに対抗するためにあらゆるつてを使って情報を手に入れ、はては誰かが撮影したあやかとアスナの戦いの動画――映像の八割がパンチラシーンのため、後にアスナによって没収――を見てこの技の弱点を解明していた。


「甘いですアスナさん! 手足を完全に拘束するアスナバスターは一見完璧な技ですが、首の固定が甘いです!」


 アスナバスターの弱点、それは首の固定だった。
 手足を完全に拘束するため、一見脱出不可能な完全な技に見えたアスナバスターであったが、あやかは首の固定が甘い事に気付き、この技から脱出していたのである。
 その映像を見たネギもまた、あやかと同じくアスナの肩から首を外し、この技から脱出しようと試みる。
 しかし、この時のネギはいくら首に力を入れようと、この技から脱出することが出来なかった。


「な、何故? いいんちょさんはこれで脱出できたのに!?」


 ネギは不測の事態に焦り、もう一度状況を確認しようと逆さまになった周囲を見渡す。
 そして、そのネギの瞳に信じられないものが映りこんだ。


「ギタギタよ!」


 ネギの瞳に映った信じられないもの、それは以前アスナとかわした仮契約のスカカードに描かれていた凶悪なデフォルメをされたアスナの姿をした式神、ちびアスナであった。
 ちびアスナはこの時、アスナの肩に乗りながらその小さな両手でネギの首をしっかりと押さえ、動かないようにしている。
 これによって、唯一の弱点である首の固定の甘さが完全に克服され、文字通り完璧な技となったのだ。


「さあ、食らいなさい! これがいいんちょに勝つために考案した新必殺技、改良アスナバスターよ!」

「た、助けてバッファローマーン!」

「カーッカッカッカー!」


 麻帆良学園女子寮にアスナの不気味な笑い声とネギの悲鳴、さらにあやかの盛大なため息が響き渡る。
 そしてこの騒ぎの事後収拾のため、再び刹那の悩みはうやむやとなるのであった。







「ふーん、刹那の呼び方……か。確かに盲点だったわね」


 時は移り、現在は翌日の放課後、刹那はもはや定番となっているタマモ、アスナ、木乃香、そしてあやかと共に帰路についていた。
 今までタマモは今回の刹那の騒動に加わっていなかったのだが、船頭多くして船山に登るではないが、結局今日の放課後にいたっても建設的な案は出来ないかった。
 なにしろ、いかにアスナ達は頭を振り絞って知恵をめぐらせようと、いかんせん恋愛経験がほとんどないメンバーでは心もとない。
 そこで、困った時の神頼みとばかりに、タマモにアドバイザーとしての白羽の矢が立ったのであった。


「うん、そこでタマモちゃんなら、なんかええ案があるんやないかなーと」

「そもそもあ、タマモさんはいつから横島さんに呼び捨てにされたんですの? あと出来ましたらきっかけも教えていただけるとありがたいですわ」

「いや、いつからと言われても……ってそう言えばアイツ初対面からアタシの事呼び捨てにしてたわよね。本来、この私への呼びかけはタマモ様であるべきなのに」

「いや、それは違うと思うわよ」


 木乃香達はタマモが実際に横島に呼び捨てにされていることに注目し、そのきっかけを参考に作戦を立てようと考えたのであろう。
 しかし、タマモから帰ってきた答えはあまり参考になるものではなかった。
 なにしろタマモにしてみれば初対面から呼び捨て状態であり、それが意識しなくなるほど自然なことであったため、改めてきっかけはと問われても困惑するだけだ。
 いや、むしろ一番最初に幻術で横島をだまくらかし、カゼをひかせ、さらに二度目の対面時には横島の仇敵に扮していたために命の危険を感じたほどの殺気をあびたのだ。
 よくよく考えて、本当に今の様な関係に落ち着いたのが不思議でたまらない。
 タマモが改めて自分と横島との出会いを思い出し、色気も何にもないその内容に今更ながら苦笑するのと対照的に、タマモを最後の希望とみていたアスナ達は意気消沈気味だ。


「うーん、タマモちゃんでもダメか。となれば、あと参考になりそうな知り合いは……いないわね」

「あ、それならせっちゃんの先生であもある葛葉先生とかどうなん? 色々とおっとなーやし、後々の参考のためにもお話聞いとくのはアリだと思うえー」

「たしかに大人な方からの意見も重要ですわね。葛葉先生でしたら恋愛経験も豊富そうですし……ただし、結婚生活等については禁句ですわよ」

「あの……みなさんもそこまで深刻にならなくても……というか、話がだんだん大げさに」


 刹那はどんどん広がっていく話に戸惑う。
 話の発端は彼女のほんの些細なわがまま。
 いや、わがままと呼ぶにもささやか過ぎる願い。
 しかし、それがほんの少しだけ口を滑らしただけでクラスを巻き込んだイベントに発展し、今度はその話を教職員にまで広げようとしてるのだ。
 刹那は事態の拡大規模に戦慄しながら、なんとかアスナ達を思いとどまらせようとする。
 そんな姦しい少女達の集団の中で、ただ一人冷静な人物がいた。それはもちろんタマモである。
 彼女はアスナ達が色々と騒いでいる間にも、頭の中でいかにして刹那に協力するか考えていたのだ。
 そして、そんな彼女がふと前を見た瞬間、今までのアスナ達の悩みは何だったのだと言いたくなるぐらい、実にあっさりと答えが出たのであった。


「ねえみんな、色々と他の人にアドバイスをもらったり、ここでぐだぐだ悩んだりする間にはっきりと言っちゃった方がいいんじゃない?」

「ん、どういうこと?」

「いやね、結局はどうあれ本人同士の問題なわけなんだし……それに何より」


 タマモはここで言葉を切り、不思議そうに自分を見つめる刹那達に苦笑しながらとある方向を指差した。
 そして刹那達はタマモにつられて指差された方へ視線を向けると、一斉に硬直する。


「よ、横島さん!?」


 刹那達の視線の先には横島がのほほんとあるいていた。
 彼の後頭部にある二つのタンコブを見るに、おそらくナンパしていた所をちび達にとがめられたのだろう。
 そして、そんな横島が視線を刹那達に向けた瞬間、彼女達は一斉に物陰に避難した。
 ただし、タマモは特に隠れようとはしなかったため、あやかがその首をひっつかみ、微妙にスリーパーホールドを決めながら物陰に引きずり込む。


「ふう、危なかったですわ……」

「どうやら見つかっていないようですね」 

「ちょ、いいんちょストーップ! タマモちゃんが泡吹いてるー!」


 もはやこれで何度めだろうか、あやかによってタマモが昇天しそうになっていたが、危ういところでアスナがそれに気付き、あやかの魔手からタマモを救出するのに成功する。
 そして、かろうじて命を取り留めたタマモは微妙にあやかを恨めしげに見上げ、後できつねうどんをおごらせる事を決意しつつ、改めて刹那と横島を交互に見た。
 横島は相変わらずタマモ達の方へ向かってのほほんと歩いており、刹那は横島を目にしただけですでに顔が真っ赤である。
 タマモはそんな刹那の姿に盛大にため息をつく。
 刹那はこと戦いに関しては麻帆良でも上位にあり、決して臆病というわけではない。
 しかし、事が恋愛沙汰になると途端に臆病になってしまう。
 タマモにしてみればそのへんのギャップがたまらなく可愛いと感じるのだが、いかんせん今の状態ではタマモが提案したように横島への直接の突撃などとても無理であろう。
 となれば、タマモのやるべきことはただ一つ、いかに臆病でも引き返す事が出来ない谷底に落としてしまえばいいのである。


「やっほー、横島ー」

「ぬあ、タマモ!?」


 タマモは横島が自分達のそばを通りかかった瞬間、物陰から飛び出て横島の前に出る。
 すると横島は突然の登場に驚いたのか、それとも心に何かやましい事でもあるのか、妙に慌てる仕草をした。
 当然ながら、タマモは横島の後頭部に燦然と輝く二つのタンコブと、ちび達のブロックサインによって横島が慌てている原因は後者であると見抜いているのだが、今回ばかりは刹那のためにそれの追及は保留とし、かわりに獲物を狙う肉食獣のような笑みを見せる。


「えーっと、タマモ……さっきからなんか背筋がゾクゾクするようなプレッシャーを感じるんだが……」

「まあそんな些細な事はどうでもいいじゃない。それよりも、ちょっと横島に話があってね」

「話? ここでか?」

「んー、まあどこでもいいんだけどね。それに……話があるのは私じゃなくて刹那だし」

「刹那ちゃんが? というか一緒にいたのかお前ら」


 タマモはニンマリとした笑みを崩さぬまま、背後の電柱の方を見る。
 すると刹那はどこから調達してきたのだろうか、いつぞやの横島のようにダンボール箱をひっかぶり、その身を隠しているが、いかんせん横島の様な隠行を身につていないためにその存在はバレバレだ。
 タマモにしても、刹那の恥ずかしい気持ちもわからないでもない。
 しかし、今彼女は心を鬼にして相変わらず隠れている木乃香にサインを送った。
 そして、サインを確認した木乃香は花の様な頬笑みを浮かべつつ、無情にも刹那の身を隠すダンボールを引っぺがすのであった。


「タ、タマモさん!? お嬢様!?」


 ダンボールを奪われた刹那はもはや横島にその所在がバレているにも関わらず、木乃香からダンボールを取り返そうと手を伸ばす。
 しかし、木乃香は笑みを浮かべたままダンボールをアスナに手渡し、アスナは受け取ったそれを今度はあやかにパスした。
 刹那はもはや完全にテンパっているのであろうか、もはや何の意味もないダンボールを必死に追いかけ、現在それを手にしているあやかへと矛先を向ける。
 そして、矛先を向けられたあやかはこれまた実に良い笑みを浮かべながら、ダンボールを横島へと手渡すのだった。


「はい、横島さんパスですわ」

「えーっと……これをどうすんだ?」


 横島はいきなり手渡されたダンボールに困惑し、次の行動がとれない。
 その一方で完全に視野狭窄気味の刹那は、ただ身を隠すものが欲しい一心でダンボールを追いかけ、困惑する横島の手からダンボールを奪い取ろうとして横島の手に触れた瞬間、ようやく自分が横島の前に出ている事に気付いて顔を赤くしたまま起動停止してしまっていた。


「なんというか……こりゃいったいどういう事だ? まあ、どうせタマモの悪だくみなんだろうが……」


 横島は自分の目の前で真っ赤になり、煙を吹きだす刹那にただひたすら困惑していたが、事の元凶はタマモであろうとあたりを付け、彼女を睨みつける。
 しかし、タマモは横島の視線などどこ吹く風とばかりにあっさりと無視し、相変わらず動かない刹那の肩を抱きながら横島を見上げた。


「悪だくみだなんて人聞きの悪い。私は刹那の背中を押してあげただけよ」

「背中を押したって……それでこの状況か?」

「うん、この状況。で、この状況を打開するために刹那のお願いを聞いてあげてほしいってわけ」

「刹那ちゃんのお願い? お金がらみは昨日お前が俺の小づかい全額を高級お揚げにつぎ込んだおかげで、スッカラカンだから簡便してほしいんだが」

「いえ、別にお金がかかるとか、そう言うのではなくて、あああのその……」


 横島は刹那からのお願いと聞いて小首をかしげつつも、同時に自らの懐事情から限度がある事を提示する。
 正直、男としてはここはどんな願いでもどんと来いと言うぐらいに見栄を張るのが甲斐性と言うものなのだが、あいにくと赤貧生活を続けていた横島にそのような金銭的な見栄など無い。
 しかし、幸いにも今回の刹那の願いは金銭的なものではないため、その心配は無用なものだった。
 ただし、同時に昨日の喧嘩の原因をしっかりと暴露されたおかげで、タマモに対してあやかとアスナから白い目がこれでもかと突き刺さっているが、ようやく起動再開しつつ刹那にとってそこまで気を回す余裕などない。


「ならドンと来い、刹那ちゃんの頼みならなんでもOKだ」

「ああああ、あの……その、わ、わたたたたた!」


 刹那は緊張のあまり言語中枢がマヒしたのか、まともな言葉が出てこない。
 そして、完全にテンパってしまった彼女は修学旅行の時のように、この場から逃げ出そうとする。
 しかし、何故か逃げ出そうとした刹那の足は一歩も動く事は出来なかった。
 ふと足元を見れば、彼女の足元にはいつの間に現われたのか、ちび達がそれぞれミニバージョンの1tハンマーを自分の体にくくりつけ、刹那の両足にしがみついている。
 いかに刹那であろうと、合計2tもの足枷を付けられてはとても動けるものではない。
 それでも刹那はその場から逃げようともがくのだが、彼女はふとプレッシャーを感じて背後を振り返った。
 すると、そこには微妙に黒い瘴気をまきちらしながら、涙目で刹那を見つめる木乃香がいた。
 両足をとらえて絶対に離そうとしないちび達、それに加えて何故か背筋が寒くなりつつもどうしても放っておけない涙目の木乃香。
 この二つを見た瞬間、刹那は完全に逃げ出す事を諦め、隣で微笑みながら自分を見つめるタマモの方を向き、少しだけ恨みがましげに見つめた後、改めて横島の方へと振り向いた。


「えーっと、どうした?」


 横島はいまいち事情が呑み込めず、頭にハテナマークを浮かべながら刹那を見る。
 すると刹那は再びわたわたと手を動かしていたが、やがて顔を真っ赤にしながらうつむき、そっと横島の服の裾をつかむ。
 そして、そのまま横島を見上げると大きく深呼吸し、自らの勇気を振り絞って声を張り上げた。


「わ、私の……私の名前を呼んでください!」


 刹那が自らの願いを打ち明けた瞬間、背後にいたアスナ達は歓声を上げて互いに抱き合う。
 しかし、そんな彼女達とは対照的に、思いを打ち明けられた横島は未だに頭にハテナマークを浮かべ、事情を飲み込めないでいた。


「え、えーっと名前? 刹那ちゃんって?」

「いえ、その……あの……出来れば、タマモさんみたいにちゃんづけでなく……呼び捨てにしてほしいと」

「……!?」


 いまいち事情を理解しきれていない横島であったが、刹那も自分が説明不足であった事に気付いて慌ててフォローする。
 そして、ようやく刹那の言った意味を理解した横島はものの見事に凍りつき、それから1分後にようやく再起動を果たすのであった。


「よ、呼び捨て!? いや、改めてこう考えるとめちゃくちゃ恥ずかしいというか……」

「ダメ……なんでしょうか」


 刹那は何やら挙動不審な横島を上目遣いで見つめる。
 その際に彼女の目にうっすらと涙が浮かび、なにかを願うように両手を組んでいるのは作為的なのかそれとも素なのか。
 作為的なものだとしたら、それは間違いなくタマモの薫陶によるものであろう。
 逆に素であるとしてら、これまた別の意味で恐ろしい。
 ともあれ、刹那のそんな仕草は当然ながら横島をとらえ、刹那の背後からは死神が天使の矢を放って横島のハートを打ち抜く。
 その結果、横島はいともあっさりと刹那に全面降伏するのであった。


「い、いやダメとかそういうわけじゃないから」

「じゃあ、とっとと刹那の願いを叶えてあげなさい」

「そやでー、せっちゃんも待ってるんやからキリキリとなー」

「ってお前らなんだそのニヤニヤとした微妙な顔は!」


 刹那の萌え攻撃にあっさりと開門落城した風雲横島城であったが、ここでようやく周囲にタマモ達がいた事を思い出し、横島はタマモ達を見渡す。
 すると相変わらず真っ赤になっている刹那とは対照的に、タマモと木乃香は実にいい笑顔で横島の肩を叩き、あやかとアスナは片手をあげて謝る仕草を見せながらも、どこかワクワクとした表情を見せている。


「えっと……くぅぅ、なんやこの羞恥プレイは!? タマモの陰謀か?」

「別に違うわよ。いいじゃない、呼んであげれば。刹那が願ってるんだから、叶えてあげるのが男ってもんでしょ」


 横島は刹那と同じように顔を真っ赤にし、思わず叫ぶ。
 しかし、このまま時間を消費してうやむやにしたり、いつものようにセクハラギャグをかましてこの場から逃げると言うわけにはいかない。
 なにせ時間がたてばたつほど、背後にいるとある一人の少女か発せられるプレッシャーが絶賛増大中なのだ。
 ここで恥ずかしさのあまり逃げようものなら、間違いなく命はない。
 となればやる事はただ一つ。
 横島はついに覚悟を決め、刹那の両肩に手を置くと恥ずかしさを振り払うように叫ぶのだった。


「せ……刹那!」

「あ……」


 刹那の耳に横島の声が響く。
 それは刹那が待ち望んだ声。
 横島がただ自分の名前を読んだだけ。
 たったそれだけのことで刹那の背筋に電流が走り、体温が上昇し、鼓動が早鐘のように響いてくる。
 そして刹那は万感の思いを込め、横島に返事をしたのであった。


「あ、ありがとうございます……忠夫さん」

















「おーい刹那ちゃーん、冷蔵庫のお茶取ってくれー」

「あ、今持っていきますね。えっと、お茶受けはっと……はい、横島さんお待ちどうさま」


 横島が刹那の名前を読んだ翌日の放課後、珍しくあやかと共に事務仕事をしていた横島は刹那が持ってきたお茶を美味しそうにすすっていた。
 そして、横島の頭の上でこれまた珍しく狐形態でくつろいでいたタマモは二人の呼び方に小首を傾げる。


「なによ二人とも、呼び方が元に戻ってるじゃない」


 タマモは横島の頭から飛び降り、元の人間形態に戻るとこか不満そうに二人を見つめる。
 すると二人は恥ずかしそうにタマモから目をそらした後、そのわけを話すのであった。


「いやな、なんと言うか言いなれないというか、気恥ずかしいというかな……それに昨日の刹那ちんの破壊力が凄まじすぎて、お前達があの場にいなかったら暴走してそのままお持ち帰りしかねんかったからな」

「わ、私もその……あの時の事を思い出しただけで……正直昨日のは刺激が強すぎまして……」


 二人は昨日の事を思い出したのか、顔を真っ赤にしている。
 特に横島などは今にも地面でのたうちまわりかねない。
 普段はセクハラ上等であり、純情という言葉が裸足で逃げ出すほどの横島であったが、こと刹那に関してはまるで少年のようであった。
 まあ、それだけ刹那の事が大事である証拠なのであろうが、普段とのギャップにタマモは人格障害でも起こしたかと疑いたくなる。


「小学生か中学生のカップルでもないのに、名前を呼び合うだけで何を今更と言う気がするのは私の気のせい?」

「あの……タマモさん、横島さんはともかく少なくとも刹那さんは中学生なのですが」


 タマモの一言にあやかの鋭い突っ込みが入るが、彼女はあっさりとそれを無視する。
 ともあれ、正直このまま元に戻ったのでは昨日までのあやか達の苦労はなんだったのだろうかと言いたくなるのも無理はない。
 タマモはここで幻術でも使って、お互いの呼び方を脳にすりこませてやろうかと一瞬考えた。
 しかし、ここでタマモはふと気付く。
 確かに横島と刹那の呼び方は元に戻った。しかし、二人の空気がどこか今までと違うのだ。
 いや、空気だけではない、心の距離と言うべきものが今までよりもずっと近くなった。
 そんな感じをタマモは二人から受けたのだ。
 この事はあやかも感じているのか、タマモがふと視線を送るとあやかはただうなずいてタマモの視線に答える。
 タマモは相変わらず恥ずかしそうにしている横島達を見つめつつ、どこか呆れたように笑った。
 

「まったく、せっかくお膳立てしてあげったってのに、もったいないわねー」

「す、すみませんタマモさん。色々と相談にのっていただいたというのに……」

「まあ二人がそれで良いって言うなら私がとやかく言う事じゃないしね……それにしても、横島って意外にヘタレよね」

「どやかましー! ちゃんを付けるかつけないだけだが、いざ改めて言うとメッチャ恥ずかしいやぞー!」


 タマモは横島をからかいつつ、ふと思う。
 思えば横島の最初のころの刹那の呼び方は『桜咲さん』だった。
 それを思えば、自然に名前を呼んでいる今はずいぶんとした進歩だともいえる。
 ましてや今現在進行形で、何気なく隣にいる刹那の肩を無意識で抱いてるあたり、やはり二人には強固な結びつきがあるのだろう。
 しかし、タマモにしてみればここでこの騒動をただ単に終わらすわけにはいかない。
 刹那が少しだけ横島との関係をステップアップさせた以上、次は自分の番なのだ。
 だからタマモは――


「というわけで横島、あんた今日から私の事をタマモ様と呼びなさい!」

「全力で拒否するわこのボケ狐ー!」



 ――今日も全身全霊をもって横島で遊ぶのだった。



end




(あとがき)
NEXTや前回の「ふぁいなる・ですてぃねーしょん」とかでは結構積極的というか、ギャグ的描写が過ぎてましたが、こういうのが本来の刹那の恋愛スタンス……だと作者は思ってます。
さらに追記、刹那メインのはずなのになんでネギとアスナのほうが輝いているような気が(汗


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