スコープの照準が、相手の姿を捉えた。
 敵は、隠れていた岩の上から頭を出して周囲を見回していた。私が見ているとも知らずに。川をはさんで反対側の、雑草の中に伏せているだけだが向こうは気付きもしない。
 おそらく、今私が撃たなくとも、別の位置に待機している仲間が撃つだろう。だが、私は今までサポートに回っていたため、スコアはゼロに近い。最後ぐらいは、花を持たせて欲しい。仲間もそのつもりなのか、誰も彼を撃たなかった。
 では一輪だけ、花を摘むとしよう。
 引き金を引く。軽く銃身が跳ね上がった。
 飛び出した薬きょうが地面に落ちる音と同時に、敵の顔面に赤い塗料がぶち撒けられる。彼は悔しそうに顔を歪め、立ち上がって両手を上げると、ヒット、と大声で言った。三百メートル離れた私にも、その声は聞こえていた。
 そして、ゲーム終了を知らせるアラームが鳴り響いた。

『チーム「まきしまむ」の全滅を確認。予選Bグループの決勝戦を終了いたします。予選Bグループ代表は、チーム「スティールガンナーズ」に決定いたしました。本戦で、その実力を活かんなく発揮して、勝利を勝ち取ってくださいね。各チームは、本拠地テントに集合して、そのまま係員の指示を待っていてください。』

 放送が終わった。放送の声がクラスメイトの朝倉だったことに気付いたのは、私以外に何人いるのだろう。いや、ほとんど気付いているか。彼女とは仲が良いだろうし。
 レミントンのスコープから目を離して薬きょうを回収し、仲間と合流するために本拠地のテントに戻る。装備を肩に担いで歩きだそうとしたとき、木々の隙間から射し込む光に一瞬目がくらんだ。
 手で光を遮りながら上を向く。
 学園都市より遠く離れた山の中。空は清々しいほど快晴だった。





第壱話「賽は投げられた」







 私が、麻帆良祭イベントのひとつである『麻帆良ファイナルウォーズ』に参加することになったのは、クラスメイトの勧誘がきっかけだった。
 軍事研が中心となって企画された、学園都市内の敷地を利用した史上最大の一大サバイバルゲーム。それが『麻帆良ファイナルウォーズ』。
 優勝賞品は、スターブックスカフェのコーヒー券一年分と、食堂の食券三十万円相当。
 魅力的だった。喉から手が出るほど欲しかった。銃やその他装備の費用とその維持費、学費や生活費で常に金欠気味の私からすれば、夢のような賞品だ。
 だが、誘う人間がいなかった。私の友人やクラスメイトに、サバイバルゲームを喜んでやってくれるような人間がいるはずがない。刹那や楓は、論外だ。銃なんて握ったことないだろうし、そもそもこんな道楽に付き合うような性格ではないだろう。刹那は特に。気真面目だし、お嬢様の護衛で忙しいだろうから誘えるわけがない。
 途方に暮れていた矢先、意外な人物から声をかけられた。

「龍宮さん、わたくしと一緒に戦っていただけませんか?」

 それは、学級委員長の雪広だった。私の射撃の腕を見込んで、共にチームを組んでほしいと誘ってきたのだ。私はかまわなかったが、雪広が参加する理由が思いつかなかった。私は、率直に聞いてみた。なぜ参加するんだ、と。
 彼女は、ため息交じりに語り始めた。
 雪広が麻帆良ファイナルウォーズに参加する理由。それには、雪広の実家が関係していた。
 雪広財閥の傘下には、エアガンやモデルガンを専門とする企業がいくつかあった。それらは日本国内だけでなく、世界の国々でも人気が高い。世界中のサバイバルゲーマーたちが持っているエアガンは、四割ほど雪広財閥の息がかかっていると言ってもいい。
 その会社が今、サバイバルゲームでの使用を目的としたペイント弾と専用のエアガンを開発しているという。
 それらの製品のデモンストレーションとして、『麻帆良ファイナルウォーズ』の舞台が選ばれたらしいのだ。確かに、日本中から観光客が来る麻帆良祭は、よい宣伝の場だろう。
 そこで雪広財閥の社長、つまり雪広の父親が彼女に出てくれと懇願した。
 財閥傘下の会社が作ったエアガンを、財閥の令嬢がデモンストレーションの大会で使用して戦う。
 つまり彼女は、格好の宣伝材料なのだ。
 雪広はこの事実を興奮気味に、まくし立てるように私に説明した。不満と怒りが詰まった早口で、しかしわかりやすく簡単に内容を伝えてくれた。
 その気持ちはよく分かる。体良く利用されるのは、あまりいい気分ではないからな。

「やるからには、全力で参りますわ。ええ、やってみせますとも」

 彼女はそう言った。
 喜んで宣伝の材料になってやる。やるからには勝ってやる。
 雪広の目には、煮えたぎる熱意と固い意志があった。それらは渦巻く豪風のように押し寄せて、私に伝わってきた。こんな感情を抱いたのは久しぶりだった。
 私は、その話に乗った。勝たせてやりたいと思った。

「雪広、私がお前を勝たせてやるよ。任せておけ」

 雪広は一瞬驚いた表情を見せ、だがすぐに満面の笑みで手を差し出した。
 私はその手を、しっかりと握った。





 本部テントには、すでに雪広が戻ってきていた。
 ヘルメットを外していたが、ゴーグルは着けたままだった。カーキ色の服は所々に汗が滲み、特に脇と背中はバケツの水を被ったかのように濡れている。前半戦で、かなり無理をさせてしまったので、私や他のメンバーに比べて疲労はあるだろう。今も、肩で息をしているのが後ろからでも見てわかる。

「勝ったな。これで予選突破だ」

 声をかけると、振り向いた。さも当然と言った顔で、口元を微笑ませている。

「当たり前ですわ。わたくし達にとっては、本戦がスタートラインなのですから」

「ふふ、そうだな」

 汗でべたついた金髪を振り整え、雪広はミネラルウォーターを飲む。それを見ていると、喉が渇いた。テントにあったクーラーボックスを開けると、中にはコーラやカルピスなどが入っていた。
 とりあえず、カルピスを飲むことにする。久しぶりに飲みたくなった。

「皆さん、まだお戻りになられませんわね」

「かなり広範囲に配置したからな。時間はかかるだろう」

 冷たいカルピスがのどを通る。体の中を冷たい風が吹くように、火照りが消えていく。もう一杯飲もうとしたとき、林の向こうから複数の足音が聞こえてきた。有り余る元気がこちらまで伝わってくるような声もする。

「あ、帰ってきましたわ」

「そのようだな。それにしても元気なことで」

「まあ、元気が取り柄の方々ですから」

 確かに。
 クラスが賑やかなのは、彼女達が中心となって盛り上げている節がある。
 全体的に、二年A組の女子は元気である。一部物静かなクラスメイトがいたり、皆は知らないだろうが人間ではなかったりといるが、基本は雰囲気がとても明るい。ただ、テスト前になると一気にどんよりとなるのだが、盛り上げ役が何人かいるため、すぐに元に戻る。
 ムードメーカー、とでも言うのだろうか。例えるとそんな感じだ。

「勝ったね、勝ち抜いたね! アタシらはやったぞ、くぎみー!」

「いや、これ予選だから。今からがスタートだから。っていうか……はあ、もういいよ」

 明石がM16ライフルを肩に担いで、いつものように釘宮を茶化す。釘宮は、いつものようにあだ名に対して言い返そうとしたが、面倒くさくなったのか溜息をつき、M4ライフルで明石の腹を小突いていた。
 私は二人にペットボトルのコーラを投げ渡す。二人とも、片手で見事に受け止めた。

「あ、龍宮さん。私にはレモンスカッシュちょうだい。確かあったはずだから」

 二人が出てきたのと同じ林の奥から、木の葉まみれになって早乙女が出てきた。
 泥で顔が汚れていたが、本人はさほど気にしてはいないようで服の木の葉を手で払い落していた。なぜか、眼鏡だけは妙に綺麗だった。レモンスカッシュを投げ渡すと、両手でキャッチしてすぐに飲み始める。
 そして、早乙女はヘルメットに胸ポケットから出した犬のスタンプを押しつけた。

「んふふ、三人倒してこれでスコア14人っと。大量、大量」

「へえ、そんなにもか。ビギナーズラックだな、早乙女」

「いやあ、龍宮さんの指導あってのスコアだよ。ありがとう」

 胸の奥と顔の表面が熱くなるのを感じた。心臓も、いつもより大きく鼓動した気がする。

「れ、礼を言われるほどでもない」

「あれ、龍宮さん顔赤いよ。もしかして、恥ずかしがってる?」

「そ、そんなことはないっ」

 思わず大声をあげて言い返した。早乙女は口元に手をやって、くすくすと猫のように笑っていた。もっと顔が熱くなった。

「わ、笑うな。何がおかしいんだ」

「いやぁ、龍宮さんがそんな顔するの珍しいからさ。眼福、眼福」

「拝むな。私にご利益はないぞ」

 どうも、こういった雰囲気は苦手だ。自分が持っているペースを狂わされてしまう。
 でも、悪くはない。むしろ、この雰囲気に呑まれていくのは、気持ちがいい。友達っていうのは、本当はこういう感覚だったんだな。長いこと、忘れていた気がする。
 ああ、みんな、私の大切な友達だ。

「早乙女さん。龍宮さんが困っているじゃありませんか。いい加減にしなさい」

「あ。ごめんイインチョ。龍宮さんも、ごめんね。ちょっと言い過ぎた」

「いや、いい。別に気にしてない」

 早乙女の言うことに悪意がないのは、最初から分かっていた。普段からクラスメイトを茶化すことはあっても、馬鹿にすることはない。人の気にしていることをあえて言って面白がっていることはあっても、それはその当人を不快にするのが目的ではない。その悩んでいる心を少しでもリラックスさせようとしているため。早乙女は、他人の心の踏み込んではいけない線を、ちゃんと分かっているのだ。
 早乙女は実に友達思いだ。友達が悩んでいたり困っていたりすると、一緒になってなんとか解決しようとする。それが彼女にとって厄介事になることが多いのだが、早乙女自身はそれを気にすることはない。友達のためなら自分が困ってもかまわない、そう考えているのだろう。宮崎と近衛、綾瀬は本当に良い友人を持ったものだ。

「そういえば、まだ帰ってこないね。アスナたち」

「そうですわね。そろそろ帰ってきてもよろしい頃ですが……」

 神楽坂が戻ってこない理由に、私は思い当たることがあった。
 それは彼女の装備。エアガンとはいえ、重量四キロはあるM240機関銃とその弾薬を担いでいるのだ。いくら力自慢の彼女でも疲れてしまったのだろう。今頃は足腰が疲労しきっているのではないだろうか。「でっかくて派手な銃を撃ちたい」などと言っていたが、せめてもう少し小さめの機関銃でもよかったろうに。
 M60やミニミで十分だ。

「アスナさんはともかく、大河内さんが戻ってないのは心配ですわね」

「あ、アスナの心配はしないんだ」

「アスナさんなら熊に襲われたって勝てますわ」

 そういえば、雪広は神楽坂と幼馴染だったな。よく理解しているようだ。長い間親交があると、何も言わずとも互いのことがわかるものなのだろう。
 噂をすればなんとやら。明石達が戻ってきたのとはまた別の林から、神楽坂と大河内が姿を見せた。二人とも疲れ切っていて歩みが重く、神楽坂にいたっては銃を構えきれずに引きずっている。大河内は神楽坂の装備のほとんどを背負っていた。それにも関わらず、大河内は神楽坂に肩を貸していた。

「たーだーいまー……戻ったよ隊長殿ぉ」

「だ、大丈夫。神楽坂さん?」

「うーん、だいじょばなーい」

 神楽坂は重症だ。明らかに重症だ。そもそも日本語がおかしい。日本人なのに。
 ちなみに神楽坂は、なぜか私のことを「隊長殿」と呼ぶ。なぜそう呼ぶのかと尋ねたら、雰囲気が隊長っぽい、だそうだ。まだゲーム中ならともかく、学校生活でそう呼ばれることがあるからたまったものではない。
 でも、龍宮隊長……か。良い響きだ。

「まったく、アスナさんったら。ほとんど大河内さんに持たせているではありませんか」

「ううん、神楽坂さんは悪くない。私が持つって言ったから」

 大河内は、とてもお人好しだ。困った人を見過ごせない性分らしいが、一度物事を頼まれると断れないという困った部分がある。優しすぎるが故の欠点といったところだ。
 二人にミネラルウォーターを渡してやる。神楽坂は砂漠で遭難した冒険家かと思うほど、水をかぶりつくように飲んでいた。

「大河内さん、断ることも大事ですわよ。アスナさんは自分でも持てるんですから」

「むっ、何よその言い方。まるで私が無理やり持たせたみたいじゃない」

「あら、そうではありませんの?」

「な、なんですってー! あなたこそ自分は楽して戦ってたんじゃないの!?」

「馬鹿なことを。わたくしはサポートに徹していたのですわ。どこかの誰かさんがやみくもに突っ込むから」

「むっきー!」

 また始まった。何かあるとこの二人はすぐにこうなる。普段なら別の誰かが止めに入るが、この場合は私だろうな。

「二人とも、とりあえず落ち着け。雪広、神楽坂は疲れているんだからあまりつっかるな。神楽坂も、すぐにそうやってムキにならない。私達はチームなんだ、仲良くしよう」

「あっ、そ、そうですわね。申し訳ありませんわ」

「わ、悪かったわよ。ごめん、なさい」

 二人とも分かってくれたようで、大人しくなった。まったく、こう言うのは柄じゃないんだが。
 とりあえず、全員が無事に戻ってきた。まさか、予選の最終戦で死亡者ゼロで勝ってしまうとは予想外だ。第一戦は三人、第二戦は四人死亡と逆に増えていたのに。彼女達が成長した証だ。
 さて、ここからが本当の戦いだ。本戦に勝ち上がってくるチームはどこも強豪ぞろいだろう。噂では、主催側の軍事研からも複数名参加していると聞く。油断はできない。さらに本戦での戦いは、これまでのチームデスマッチ以外に新たなルールが追加されるという。それがいったい何なのか、私には皆目見当もつかない。
 だが、なぜだろう。このメンバーなら、必ず優勝できる自信がある。根拠はない。ただ、そう思うのだ。絶対勝てるという確信にも似たものが、私の中にはある。

「雪広、明石、釘宮、早乙女、神楽坂、それに大河内」

 一人ずつ、ゆっくりと名前を呼んで行く。自分の仲間であることを確認するように。しっかりとその顔を、生涯忘れないと脳裏に焼き付けるほどに見つめる。

「勝つぞ、絶対。目指すは優勝だ」

 皆が、当たり前だ、とでも言いたげに微笑む。口元が自然と綻ぶのが、自分でもわかった。

「いまさら、ですわ。わたくしの目標は当初から優勝のみ。それ以外に興味などございません」

 腕を組んで自信満々に息巻く雪広。

「私も、そのつもりだよ。やるからには、絶対勝ってやる! 絶対優勝!」

 天高く突き上げた明石の拳には、絶対勝利の文字が見える。

「いつも応援でみんなを見守ってきたけど、今回はみんなと一緒に勝利を掴む!」

 笑う釘宮の瞳に宿るのは、鋭い活力と熱気。そして、仲間を思う素直な気持ち。

「あったりまえよ。どんだけ強い奴が相手でも、負ける気がしないわ! 相手にとってふそ……なんたらよ!」

 ちょっと言葉は惜しい神楽坂。だが、そのやる気と気合は火山のように噴き上がる。

「賞品でクラスのみんなと、文化祭の打ち上げしたい。みんなの喜ぶ顔が見たい」

 大河内の素直な気持ち。それは私も同じだ。皆で、勝利を分かち合おう。
 神楽坂が、自分の前に手を差し出した。その上から、皆が次々に手を重ね合わせていく。私は一番上に手を置いた。七人が、円形になって互いを見つめ合っていた。

「絶対優勝するわよー!」

『オー!』

 陽光がさんさんと照りつける、雲ひとつない空。
 私達の声は、どこまでもどこまでも、響き渡っていた。








二〇〇二年、六月一日。
 第七七回麻帆良祭まで、あと一九日。
 麻帆良ファイナルウォーズ本戦まで、あと一七日。


 賽は、投げられた。



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