ここは麻帆良女子中等部学生寮の一室。
 そこでは、一人の少女が身支度をしていた。

 少女は鏡で自らを入念にチェックしており、髪型が気に入らなかったのだろうか、再び髪をとかして整え、さらにそれが終わると、今度は手荷物のチェックを行いだした。
 少女と同室の娘は、昨日からすでに何度か行われている彼女の行為にちょっとあきれ気味だ。


「刹那、もう五回目だぞ。いくら修学旅行だからってやりすぎだ……というかお前は一体何を持っていくつもりなんだ」


 刹那と同室の龍宮真名は、刹那がなにやら長い棒状のものを袋に入れようとしているのに気付いた。


「いや、念のためにこの前手に入れた『蜻蛉切り』を持って行こうかと」

「夕凪ならまだ誤魔化しは効くが、さすがにそれは無理だろう。というかそんなものを持って修学旅行に行く女子中学生がどこの世界にいると思ってるんだい?」

「少なくともC4はもとより、手榴弾や重火器を携帯して行く女子中学生よりマシだとは思うが……」


 刹那は自分の傍らでなにやら巨大な拳銃を整備している龍宮に反論する。

 確かに武器の凶悪さという点では、明らかに龍宮のほうがたちが悪い。
 だが、どちらにせよ普通の感覚で考えればどちらもまともではない。


 龍宮は刹那の反論も涼しい顔で受け流す。


「甘いな刹那、私のはたとえ身につけていても完璧に誤魔化す事ができる。だがお前のはどうだ」


 龍宮はここでビシっと刹那を指差し、鋭い視線で彼女を貫いた。


「まずその手にした『夕凪』! さらには先ほどの『蜻蛉切り』、それだけでは飽き足らずその懐で自己主張著しい『小柄』! さらに極めつけはその背中に背負った『弓と矢』! まさに全身是武器也、本気でそんな格好で京都を歩くつもりか?」


 龍宮は刹那の装備をいちいち指差しながら刹那に迫る。
 
 刹那は、龍宮のあまりの迫力にジリジリと部屋の角に追いやられ、やがて背中を壁につけてしまう。


「だ、だが。京都は最悪の場合敵地も同然、これぐらいの装備は最低限手元に……」

「私が敵なら警察に通報してお前の身柄を確保するがな。ある意味これほど無力化が簡単な護衛はいないぞ」

「し、しかし……」


 刹那はなんとか反論を試みようとするが、確かに言われてみれば確かにこの格好では普通に街を歩くだけで通報間違いなしだ。
 下手をすれば寮を出た瞬間に警察相手に職務質問を受ける可能性もある。そんなことになって京都にいけなくなるようでは護衛失格もはなはだしい。

 刹那はここでようやく己の間違いを認め、いらぬ心配をかけた龍宮に侘びを入れようと、うつむいていた顔を上げ、そのまま凍りついた。


「だいたいだな、武器を隠すならこれぐらいはしないと」


 龍宮は凍りつく刹那を他所に、まるで見せ付けるかのようにその武器をとある場所から取り出す。


「……龍宮、ちょっといいか?」

「なんだ?」

「いまドコからそれを出した」




胸の谷間からだが、それがどうかしたか?」


 龍宮はさも当然とばかりに刹那に答えながら、先ほど胸の谷間から取り出した小型拳銃のデリンジャーと数発の弾丸を再び胸の谷間に戻す。


「……いや、なんでもない。確かにそれだけ有れば隠す場所には困ることはないだろうな。だが、私にはその方法は無理だ」

「ん……ああすまない、刹那はまだちょっと無理か」 

「気にするな、むしろ剣を振るには大きすぎるとかえって邪魔だ」


 刹那は特に怒ることもなく淡々と龍宮に答え、龍宮もからかいすぎたと素直に謝る。
 そして二人は改めて準備を進めていく。

 この時、刹那は龍宮に見えないようにこっそりと両手で胸を寄せて押し上げ、深い……とても深いため息をついたのだが、それは彼女のプライドのためにも秘密にしておこう。


 桜咲刹那、彼女は孤高に生きる剣士。
 それでもやはり同級生と比べてささやかな胸を気にする今時の女子中学生であった。




第10話 「京都へ行こう!」






「これは夢だ! 俺はまだ布団の中に……って確かに今も布団の中だけど」


 心地よい朝の日差しが部屋を照らす中、横島は頭を抱えながら苦悩していた。


「そうだ、これは夢なんだ。痛ー!!」


 横島はいまだ現実を見ようとせず、自分の頬をつねるが、その頬に走る痛みはこれが現実だと伝えていた。


 彼は今、いったい何をそんなにうろたえてるのだろうか。
 その答えは彼の目に映る部屋の状況と、自分の体にダイレクトに感じる暖かくやわらかい感触がその最たる原因であった。

 その感触とは、具体的には人肌の感触である。しかも布越しではないやわらかく暖かい感触が横島の煩悩を刺激する。

 横島がいる部屋、この部屋は見覚えがあるのだが、少なくとも彼は夜には絶対に入らない場所であり、ましてや朝を迎えることなどありえない、いやあってはならないはずの部屋だった。
 だが、今その部屋には自分の服が脱ぎ散らかされ、さらに自分のではない衣類も目に付く。


「うそやー! 昨夜おれにいったい何があったんだー!」


 現実を認めることのできない愚か者の声が部屋にこだまする。
 だが、その声は更なる混乱の呼び水となるだけであった。


「うーん……うるさいわねー」


 横島を苦悩させている元凶、彼の戸籍上の妹であるところの横島タマモがついに目を覚ました。
 そう、ここはある意味禁断の聖地、タマモの部屋とそのベッドである。

 タマモはモゾモゾとベッドから這い出し、シーツを身に纏いながら寝ぼけた目で横島を見上げる。
 そしてしばし呆然としていたが、やがて目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。

 どうやら現在の状況を把握したようである。


「あ、あのな、タマモ……これは何かの間違い……」


 横島はなんとか事態を収拾しようとタマモに話しかけるが、タマモは状況を理解すると顔を朱に染め、シーツを胸元に引き寄せながらうつむいてしまう。


「横島……私と……」


 タマモはうつむいたまま、小さく横島の名を呼ぶ。その表情は横島から見ることは出来ないが、その姿はまるで恥ずかしさに消え入りそうになる、はかなき少女のそれであった。


「違う、違うんだー! 俺は何もやってない……たぶん」


 横島は最早錯乱しまくった状態でなんとかタマモに言い訳しようとしている。
 

「横島……あなたもしかして昨日のこと忘れちゃったの?」

「へ、昨日のこと?」


 横島にとって昨日のことと言われてもまったく寝耳に水である。
 そのため先ほどから、なんとか昨日の記憶を掘り起こそうとしているが、それは一向にうまくいかず、昨日の玄関をくぐってから後の記憶がどうにもあいまいである。
 

「ねえ、もしかして昨日あんなに私を愛してくれたことを覚えてないの?」

「なんですと!」


 横島はタマモの衝撃発言を聞いて硬直する。
 そして硬直から解けると、おもむろに自分の愚息に目を向けた。
 その愚息は朝だと言うのに、いや、朝だからこそなのだろうか、今日も元気に自己主張をしている。
 
 それはいつもと変わらぬ、とても見慣れたものだった。
 だが、今日の横島にはその愚息が、何かとてつもない大偉業を達成し、誇らしく漢を主張しているかの様に見えた。





<フ……>



 横島はこの時、何故かその愚息が自分を見下し、小さく笑ったのを確かに聞いた。いや、聞いてしまった。

 横島の中の何かが切れた。


「うぉぉぉのぉぉぉれぇぇぇぇ! 俺の息子の分際で勝手に大人の階段を登りくさり、あろうことか俺を笑うかー!」



 横島は血涙を流しながら20年来の友であり、愚息と共に苦楽を感受した右腕を振りかぶり、今は憎き敵に成り下がった物に情け容赦なく振り下ろした。







「……えーっと……さすがにこの展開は読めなかったわ……」


 タマモの呟きには、あまりの事態に横島を止める事が出来なかった己に対する自戒の念がたっぷりと込められていた。
 そのタマモの視線の先には、横島が己の股間に右腕を突き刺した状態で沈黙している。

 おそらく完全に気を失っているのだろう、その姿はピクリとも動かない。


「ちょっと悪戯が過ぎたわね……」


 どうやら先ほどまでの騒動はタマモの悪戯が原因のようだ。





 ここは横島の名誉のためにも真相を究明しておこう。

 時間は昨夜酔っ払って横島に背負われたタマモが部屋に帰ってきたときにさかのぼる。
 ちなみに、タマモの耳掻きの名を騙った拷問による傷は、すでに修復済みのようだ。


「みゅー、ヨコシマー……寝よー」


 タマモは横島の背中に頬を擦り付け、ねだる様に横島を誘う。


「へいへい、ちょっとまてって。お前着替えてもいないだろうが。ちゃんと着替えてから寝ろよな」

「うん、わかった……だから寝よ……いっしょに」


 本来の横島ならここで己の煩悩に苦悩することになるのだが、現在の横島は保護者モードに移行しており、タマモの誘惑に全く動じていない。
 もっとも、それは上辺のことであり、横島の心の奥底では巨大な煩悩が解き放たれる時をじっと待っている状態である。
 それでも現在のところ煩悩をうまく封じている。


「何をいってるんだか。ほら、おろすぞ……ってこら手を離せ!首が絞まってるって」


 横島はベッドにたどり着くとタマモを降ろそうとするが、タマモは首にしがみついて離れようとしない。


「だからーいっしょに寝よー。ぎゅーってしめてあげるからー」

「いや、だから首を絞めるんじゃねー。耳に息を吹きかけるな! 甘噛みするな! 背中に感触がー!」


 横島はどんどん絞まってくる首の息苦しさと、背中に感じる最高の感触でもはや何も考える事ができない。
 もはや己の煩悩が解放されるまで一刻の猶予もなかった。


「うふふふ……」


 横島は薄れる意識の中、己の中から今まさに煩悩が飛び立とうとするのを感じた。

 彼は焦った。このまま煩悩を解放したら18禁突入は間違いない。しかも相手は戸籍上とはいえ妹で、さらにまだ中学生である。
 本来ならタマモが実力をもって横島の煩悩を叩き潰すのだが、今のタマモではシャレになりそうもない、むしろ嬉々として受け入れそうである。

 それを覚った横島は、ここでタマモへの抵抗を諦め、素直に意識を手放すのだった。


「ぐ……ぐるじ…気持ちい……きゅ……」


 いかな横島であっても脳に血流がいかなくてはどうしようもなく、タマモによりその煩悩が解放される直前に落ちてしまった。
 

「うにゅ、寝ちゃったの? じゃ私も、その前に着替えを……あ、横島も着替えないとね」


 しばらくの間、部屋の中からゴソゴソと音がする。











「わーこれが横島の……けっこうすごいわねー」


 何についての感想なのか明言は避けよう、たぶんそれが横島のためだろう。


「えへへへ、明日から修学旅行だし、この大好きな匂いもしばらくお預けだから堪能しとかないとね。それじゃお休みー」


 そして部屋の明かりが消え、星明りが差し込む部屋に互いに抱き合うような格好で眠る二人の姿が映し出されていた。






 タマモは目の前で泡を吹いて気絶している横島を見つめながら、昨夜の回想を終えた。


「えっと……どうしよう?」


 タマモは少々途方にくれながら時計を見上げる。
 まだ集合時間には十分に余裕があるが、それでもあまり時間は掛けられない。

 かといってこのまま横島を放っておくことは出来ない。


「ええっと、とりあえずヒーリング……って出来るわけないじゃない!」


 タマモは横島にヒーリングをかけようとしたが、即座に顔を真っ赤に染め、頭を振って先ほど浮かんだ映像を振り払う。
 ちなみにタマモのヒーリング方法とはイヌ科の妖怪の宿命なのか、患部を舐めることによって発動する。
 そして現在の横島の患部は股間である。

 それを実行した場合、シャレにならない絵面が発生することは間違いない。


 その後、タマモは横島からお守りとしてもらっていた文珠により横島を治療し、事の顛末を話すことになった。

 ちなみにここで急遽開催された被告人タマモ、検察及び裁判長横島、弁護人なし、1審制の裁判は目出度くタマモの有罪と決まった。
 量刑はお揚げ抜き2週間、執行開始までの猶予として修学旅行期間があてられたのは横島の温情あふれる措置であろう。もっとも、いかに温情あふれる措置といえど、三度の飯よりお揚げが好きなタマモにとっては極刑とほとんど変わらない。それゆえ――


「そんなー! 私のお揚げー!」

「やかましい、これでも軽くしたほうじゃ、こんの悪戯ギツネがー!」


 ――この日の朝は珍しく、本当に珍しく麻帆良の空にタマモの悲痛な叫び声がこだましたのであった。



AM9:30大宮駅


「みなさーん!それでは点呼を取ってから乗車してくださーい」


 ネギの先導でぞくぞくと新幹線に乗車する3−Aの生徒達。
 もっともタマモは今朝のお揚げ抜きが効いているのか、微妙に魂が抜けていたりする。

 その後、グリーン車にネギをひっぱりこもうとする者もいたが、全員無事に乗車を完了した。
 ちなみにタマモは朝倉、あやか、那波、村上、長谷川達の班である。


「ネギ先生」

「あ、桜咲さん……とザジさん」


 ネギが生徒の最終確認をしていると、背後から刹那がネギに話しかけた。
 どうやら班の半数以上が欠席のため班員が二人となり、新しく班を組み直す必要があるようだった。


「うーんそれでは桜咲さんはアスナさん達の班へ。ザジさんは柿崎さんにお願いします」

「あ、せっちゃん。一緒の班やなー」


 ネギの脇にいた木乃香は、刹那が一緒な班になると聞いて嬉しそうに刹那に話しかけた。
 しかし、刹那はそんな木乃香に軽く頭を下げただけで、特に会話もなく席に向かっていった。
 ただし、その表情はどこか悲しそうであった。




「いまごろ奴らは新幹線か」

「マスターは呪いのせいで修学旅行に行けず残念です」


 新幹線が出発するころ、学校ではエヴァと茶々丸が屋上でまったりと過ごしていた。


「オイ、なにが残念なんだ? 別にガキどもの旅行なんぞ……」

「いえ、行きたそうな顔をしていましたので」

「アホか……まあ、退屈であることは確かだしな。終わったら街にでもいくか」

「ハイ」


 麻帆良学園は平和であった。




 新幹線が京都へ向かう中、生徒達は思い思いに楽しんでいた。ある者は本を読み。ある者は外の風景を眺める。
 そして一番にぎやかなグループはと言えば……


「お姉ちゃんソレ出すですよー!」

「えーここはこっちのカードだよー」


 カードバトルに熱中していた。どうやらオヤツを賭けての勝負らしい。


「はい、氷の呪文。風香に5点の攻撃ね。次は裕奈の番だよ」

「うむむむむ」


 明石裕奈が自分の番が来て悩みだす。のこりの生命点も心もとなく、かといって回復のカードはない。
 攻撃をしようにも決定打に欠ける状態だ。


「ねえ、裕奈」

「なに? タマモちゃん」


 後ろからゲームを見ていたタマモが裕奈に話しかける。


「このカードだして、次にこっち。それで最後にこのカードを出したらどう?」

「え、う……うん」


 裕奈はタマモの言うとおりにカードを出した。
 そして2順後、裕奈は見事にコンボを決め、早乙女にトドメをさしていた。


「勝っちゃった……タマモちゃんありがとー!」


 裕奈は勝てると思っていなかっただけに、自分に勝利をもたらしてくれたタマモに抱きつく。


「ねえねえ、タマモちゃんもやってみない?」


 タマモが裕奈に抱きつかれて目を白黒させていると、まき絵がタマモをゲームに誘う。


「いいの?」

「もちろん!」

「今度は負けないよー!」


 まき絵達はタマモを仲間に入れてカードバトルを続ける。
 タマモにとって、それは横島で遊ぶのとはまた別のとても楽しい時間だった。





 30分後

 タマモ以外のメンバーは全員見事なまでに頭から煙を上げていた。


「ぜ、全部すっちゃったー」

「タマモちゃん強すぎ……」

「なんで出すカード全部がカウンターで帰ってくるですか」

「あ、あはははは。1ターンで負けた」

「あーんオヤツがもう無いよー」

「史伽ーオヤツ頂戴! 今度こそー!」


 上から明石、佐々木、綾瀬、早乙女、桜子、風香である。
 どうやらタマモに全部むしりとられたようだった。


「ちょっとやり過ぎちゃったかしら、後で返すねオヤツ」


 タマモはさすがに勝ちすぎたかと反省し、オヤツを皆に返そうと戦利品の入った袋に手を入れた。



ムギュ




 おかしな感触がタマモの手に伝わってきた。
 その感触は冷たく、妙にヌルヌルしておりはっきり言って気持ち悪いものだった。

「あれ?」


 タマモが嫌な予感を覚えつつその手のひらを開けると、そこには巨大なカエルが鎮座しており、そのカエルとタマモはしばしの間目を合わすことになった。



「「「「キャー!!!!」」」」


 それと同時に車両の後ろのほうでも悲鳴が響きわたる。
 ネギがあたりを見回すと、カエルの大群が車両を埋め尽くし、そこかしこで生徒達がカエルの直撃を受けて気絶していた。

 カエルの大群の出現、それは世間一般の女子中学生にとってはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。




 5分後、ネギとアスナ、クーフェイが中心となってカエルの確保に成功し、あたりを見回す。


「蛙107匹全部捕まえたアルよ」


 ネギはすぐに混乱を収め、失神した生徒の介抱を始めていると、何か違和感があるのに気付いた。
 その違和感の正体を見極めるべく、ネギが思案しているとあることに気付く。

 そう、こういう事態になった場合、真っ先に何かリアクションを起こす人物が足りないのだ。
 ネギはそれに気付くと車両の中を見渡す。

 アスナとクーフェイは目の前にいる。
 楓は視界の隅で双子に介抱されている。どうやらカエルの出現に気絶したようである。
 その他のバカレンジャーの隊員達は、車両の角に体を寄せ合ってカエルから逃げ出していた。


「あれ?」


 ネギはここでタマモがいないことに気付いた。
 先ほどから車両を見渡しているが、タマモのあの特徴のある金髪はどこにもない。


「ね、ねえネギ……」


 アスナは何かに気付いたのか、キョロキョロとタマモを探しているネギの視線をとある場所に誘導する。


「アスナさんどうしたんですか?」

「ねえ、アレってタマモちゃんじゃないの?」


 ネギがアスナの指差したほうを見ると、そこでは黄金のごとくの金髪を真っ白にし、元々白かった肌がさらに白くなったタマモが、顔面を蒼白にして立ったまま気絶していた。
 その姿はまさに塩の柱のごとくである。


 ゲコゲコゲコ


 気絶していたタマモの手のひらの上では、車両にいる中で最大のカエルが元気に喉をならしていた。



「……タマモさん」

「ものすごく意外ねー」


 ネギは不思議な物を見るかのようにタマモを見上げる。


「タマモさんも女の子だったんですねー、カエルで気絶するなんて」

「ネギ、もし今のを聞かれてたらたぶん命無いわよ」


 ネギとアスナが危険な発言をしている横で、カモがネギに話しかけてきた。

「兄貴、これはきっと関西呪術協会のしわざだ」

「本当かい? カモ君。でも、なんで蛙なんだろう」

「きっと最大の脅威であるタマモの姐さんを一番最初に無力化するためだぜ。それに兄貴、親書は大丈夫か? さっきのドタバタで掏られた可能性もあるぜ」


 ネギはカモの発言に不安になり、懐に入れた親書を取り出す。
 だが、それは失敗だった。
 ネギが懐から親書を取り出すと、何か鳥のようなものが飛んできてネギの手元から親書を奪っていった。


「まてー! 親書を返せー!!」


 ネギは親書を取り返すために鳥を追いかけていた。しかし、鳥の動きは速く、さらにネギは販売員にぶつかるといったアクシデントもあり、突き放されてしまった。

 鳥の式紙がネギを突き放し、車両の後方に差し掛かった時、式紙の前に人影がスっと現れる。
 その人影は式紙を居合いのようなもので両断すると、落ちていた手紙を拾い上げた。
 すると、そこにネギがやってきた。


「あ、桜咲刹那さん……」

「ネギ先生、落し物ですよ」


 鳥の式神から親書を取り戻した人影とは、桜咲き刹那だった。
 刹那は拾い上げた親書をネギに手渡し、そして去り際にポツリともらした。

「気をつけたほうがいいですよ、先生。特に向こうについてからは……」

 刹那はネギに助言を与えると、颯爽と自分の席に戻っていく。
 刹那を呆然と見ながらネギ達は、刹那の怪しい言動に刹那に対する警戒感を上げていった。






「えっと……タマモさん、しっかりしてください」

「あ、刹那……」


 刹那が自分の車両に戻ると、塩の柱と化したタマモに気付き、活をいれてタマモを正気に戻す。


「タマモさん、いったい何があったのですか?」

「あは、あはははカエルが……カエルが手に、ムギュって握り締めて……うふふふふふふふ、うあはははははははは!」


 どうやらタマモの背負った傷は思いのほか大きいようだった。




 麻帆良学園都市


 横島はタマモから開放された自由を満喫するために、今日もナンパにいそしんでいた。

 だが、横島は気付いているのだろうか。
 自分がナンパしている女性の平均年齢が最近だんだん低下して行っている事に。

 タマモの作戦はボディーブローのように横島を捕らえつつあるようだ。



 横島はナンパに失敗した後、気分転換にいつものカフェテラスで小休止をしていた。


「む! 貴様は横島忠夫!!」


 横島は急に声をかけられ振り向くと、そこにはエヴァと茶々丸がいた。


「おお、エヴァちゃんに茶々丸じゃないか。どうしたんだ?」

「貴様こそ、こんなところで何をやっている」

「ただのナンパだ、でエヴァちゃんは?」


 横島は、肩を怒らせて詰問するエヴァを気にすることなく話を続けていく。


「エヴァちゃん……慣れ慣れしく話す間柄になった覚えは無いがな」

「まあいいじゃないか。この前は仕事だったんだ、もう敵対する理由はこっちにはないぜ。あ、茶々丸もこっちに座るかい」

「はい、ありがとうございます」


 横島が茶々丸に席を勧めると、茶々丸は横島に礼を言いながら席に付く。
 それを見たエヴァはそのことが気に入らないのか、茶々丸をしかりつける。


「こら茶々丸、なごんでるんじゃない! こいつは私をさんざんおもちゃにしたんだぞ!





 エヴァの発言でカフェテラスから喧騒が消えた。


「おもちゃとは人聞きが悪い、せめてエヴァちゃんで遊んだと……」

「なお悪いわー!」


 当人達は自分の発言が回りにどのような誤解を与えているか、まったく自覚は無いようだ。




 エヴァはひとしきり叫んだ後、やがて何かを諦めたのか、首を一つ振ると横島に勧められた席につく。
 そして不遜にも、自分をからかい倒す横島を睨みつけながら横島に気になっていたことを聞いた。


「先ほどからの無礼な物言い、貴様は私が怖くないのか? 私は貴様なんか簡単に殺せる存在なんだぞ!」

「でもエヴァちゃんって所詮吸血鬼だろ。いまさら吸血鬼相手に恐怖ってのもなー」


 横島にとって吸血鬼と言えば同級生のヴァンパイアハーフのピートと"あの"ブラドー伯爵しか思い浮かばない。
 その結果、吸血鬼に対して恐怖というものがまったく感じられないのである。
 ましてや目の前にいるのは、傍目で見たらただのお子様、これのいったいどこに恐怖を感じろというのだろうか。

 そして何よりも横島には秘策が有った。

 その秘策とは、エヴァとの決戦が終わり、タマモの修学旅行行きとエヴァの居残りが分かった時点で用意したものだった。


「それに俺を簡単に殺せる……か。さて、エヴァちゃんにそんな事が出来るかねー?」

「私を見くびるな、ナリはこれでも貴様なんぞ及びもつかないような死線をくぐり抜けてきたんだ。貴様を殺す事など私にとっては児戯に等しい、せいぜい月夜の晩は用心するんだな」


 エヴァは横島に侮辱されたと思ったのか、すさまじいプレッシャーを横島にぶつける。


「ふーん、そりゃーすごいなー」


 当の横島はそのプッレシャーにまるで気付いていないのか、飄々とエヴァと話を続ける。


「で、俺を殺すとして、エヴァちゃんはいつまで生きていられるつもりかい?」

「なに?」

「いや、俺を殺すんだろう? けどエヴァちゃんは力を封印されている。満月じゃなきゃ碌に魔法も使えないくらいに……で、もう一度聞くけど」

「な、なんだ?」


 エヴァは横島の口調に違和感を感じた。
 まるで世間話をしているように普通に会話しているのに、その口からつむぎ出される言葉にひどく寒気を感じる。










「エヴァちゃんは次の満月まで、自分が生きていられる事が出来ると思ってるのかい?」




「な!!」




「俺だって簡単に殺される訳にはいかないからねー。そうするとエヴァちゃんが魔法を使えない今が最大の好機ってわけだ。だからエヴァちゃんが俺を殺すって言うなら……」


 横島は淡々と、子供に言い聞かせるように語っていく。


「俺は今この瞬間に君を"滅ぼす"」

 横島は最後の言葉と共にすさまじい殺気をエヴァにたたきつける。
 その殺気はエヴァに恐怖を感じさせるのに十分だった。











「私を見くびるな、ナリはこれでも貴様なんぞ及びもつかないような死線をくぐり抜けてきたんだ。貴様を殺す事など私にとっては児戯に等しい、せいぜい月夜の晩は用心するんだな」


 横島の目の前で、エヴァは身もすくむような殺気を横島にたたきつける。

 この時、横島の内心では、今にも条件反射で土下座してしまいそうになる自分を必死で押さえつけていた。


「ふーん、そりゃーすごいなー」


 横島は己の体に染み付いた丁稚根性をなんとか制御するのに成功し、さも余裕であるかのようにエヴァに答える。
 実際はもはや泣き出しそうにビビっているのだが、そこは彼とて美神事務所で伊達に修羅場はくぐっていない。
 全身のなけなしの勇気を総動員すれば、この程度の腹芸をこなす程度には成長しているのである。

 そして横島は事前にタマモとシュミレートしていた中で、エヴァとの緊張状態が発生した場合のセリフを言う。


「で、俺を殺すとして、エヴァちゃんはいつまで生きていられるつもりかい?」

「なに?」


 横島の目の前では、お子様吸血鬼が不思議そうな顔で自分を見上げる。
 それを確認した横島は、タマモの策が成功したことを確信しながら次のセリフを口にした。


「いや、俺を殺すんだろう? けどエヴァちゃんは力を封印されている。満月じゃなきゃ碌に魔法も使えないくらいに……で、もう一度聞くけど」

「な、なんだ?」


 エヴァはこの時横島から違和感を感じ、殺気が全く感じられないことをいぶかしがっていた。
 だが、殺気が感じられないのは当然である。

 横島はエヴァをどうにかする気持ちなどカケラも持ち合わせてはいないし、ましてやエヴァをどうにかできるなど、物理的に不可能である。
 だから横島から殺気などと言う物騒な代物を感じられるはずはないのだが、エヴァはタマモの術中にはまり、横島を只者ではないと感じ始めていた。


「俺だって簡単に殺される訳にはいかないからねー。そうするとエヴァちゃんが魔法を使えない今が最大の好機ってわけだ。だからエヴァちゃんが俺を殺すって言うなら……」


 横島はエヴァが作戦通りのリアクションをしていることにホッとすると、最後の仕上げをするべく仕上のセリフを読み上げた。


「俺は今この瞬間に君を"滅ぼす"」


 ここであることを説明しておこう。
 事後催眠というのをご存知だろうか? 事後催眠とは、対象に催眠術をかけ、その場で催眠術を解くのだが、その時設定したキーワードを引き金として再び催眠状態に移行すると言うヤツである。

 ここでは、横島はあえてエヴァに対して『滅ぼす』という単語を使った。
 そしてこれこそがタマモが仕掛けた秘策の総仕上げであり、重要なキーワードであった。


 横島の視界にはエヴァはいない。

 先ほどまでエヴァがいた場所には、この場にいないはずの人物が横島の目に映っていた。

 それは特徴的な人物だった。



 風にたなびく黒く長い髪。

 すらりと伸びた手足。
 
 異性に好かれるであろう整った顔立ち。

 その手に握る西洋の拵えを施した剣。




 その人物とは、西条輝彦であった。

 西条とはかつて、いやこの世界にくる直前まで美神をめぐって争い、横島にとって不倶戴天の仇敵と言える人物であった。


 そして横島は目の前の西条に向かって嫉妬の、そして憎しみの全ての感情をぶつけた。



 ちなみにこれはもちろん幻覚である。
 タマモは横島がキーワードを唱えると、一回だけ西条が幻覚として見えるように横島に術を施したのである。

 なぜここで西条を選んだのかと言うと、これはタマモのかつての実体験による。

 タマモはかつて、美神に保護される前は横島の元から逃げ出し、一人で生活していた。
 ただ、その時に味わったキツネうどんの味が忘れられないのか、ちょくちょく人里へ降りては葉っぱを一万円札に変えてうどんを堪能していた。

 ある時、横島達は山の中で自分達の姿をした妖怪が食い逃げをしているというのを聞きつけ、それがタマモであると確信して保護しにいくのだが。
 その時タマモは西条に扮しており、横島は中身がタマモであると分かっていながら、ほとんど条件反射で西条の姿をしたタマモにすさまじい殺気を振りまきながら捕らえようとしたのである。


 タマモはこの時の恐怖が身にしみていたのか、今回の策の仕上の幻覚として、迷わず西条を選んだのであった。

 







 時間にして10秒間、この場を沈黙が支配した。だが、暫くすると横島はまるで何かに耐え切れなくなったかのように笑い出した。


「くくくく、冗談だって。俺がみたいなのがエヴァちゃんをどうこう出来る訳ないだろ。俺はエヴァちゃんに殺されないように、ご機嫌を取る事しかできないって」


 エヴァは暫くの沈黙の後、話しかけた。


「お、お前はいったい何者だ……」

「ただのしがない警備員だよ、まあ探偵もどきもやってるけど、開店休業状態だしなー。稼ぎが悪いとタマモにお仕置きされるし……ちくしょーお兄ちゃんだって頑張ってるんだぞー!!!」


 エヴァは唐突に天に向かって叫びだした横島を呆然と見つめていた。


「だいたいなんでタマモが金の管理をしてるんやー、おかげで俺はイヤーンなDVDすら碌に見ることできないんだぞー!」


 横島が人生の不条理に対してエヴァをそっちのけで愚痴っていると、何者かがその肩を叩いた。


「あー……ゴホン。ちょっといいかね」


 横島が振り返ると、そこには青っぽい制服を着た四人組みが横島から微妙に距離をとり、半包囲しながら睨みつけていた。
 そしてその中で代表らしき最も年長の男が続けて横島に質問する。









「君かね、いたいけな幼女を監禁している変質者というのは」




「「へ?」」


 横島とエヴァの間抜けな声がカフェテラスに響き渡る。


「おまわりさん、こいつです。こいつがこの少女をもてあそんだとか、おもちゃにしたとかいうペド野郎です!」

「ちょ……誤解だー!」

「誰が幼女だー!」


 どうやら客の一人が、横島達のやり取りを完璧に勘違いして警察に通報したようである。

 横島とエヴァはその客に吠えかかるが、警察はそれに動じることなくじりじりと横島への包囲を縮めていく。


「お嬢ちゃん、早くその男から離れて! 今助けてあげるからね」

「人の話を聞けー!」

「問答無用!確保ー!!!」


 先ほどの警官が号令を掛けると、一斉に横島に向かって飛び掛ってきた。


「冤罪だー!」

「ええい、大人しく捕まれ!このペド野郎」

「ぬおおおおお捕まってたまるかー!!」


 横島は叫びながら警官の間をすり抜け、『奥義 ゴキブリ歩法』を使って高速で離脱していった。さながらドムの様に地面を滑りながら。

 取り残されたエヴァはしばし呆然とした後、茶々丸に話しかけた


「なあ、茶々丸。あいつは何者なんだ……」

「横島忠夫、タマモさんの兄です。記録によると4月1日をもって警備員として専属契約。それ以前の経歴は兄妹共に一切不明です」

「ふむ、兄妹ともにか……まともな兄妹というわけでもなさそうだ。面白い、この私に恐怖を感じさせる兄妹か……今年はどうやら退屈な時間というヤツとおさらばできそうだ」


 エヴァは口元に笑みを浮かべると、今だに繰り広げられてる逃走劇を観賞する事にした。


「横島忠夫、横島タマモ……私を退屈させるなよ」


 エヴァの呟きが閑散としたカフェテラスに吸い込まれていった。








「ええい、まどろっこしい。総員銃撃用意!!」

「ちょっとまてー!!」


 警官隊は号令と共に銃を抜き、横島に照準を合わせる。


「逃走犯につぐ……以下略!」

「マテやこら、以下略ってなんだー!」


 横島はたとえ命がかかっていても突っ込み魂は忘れない。
 相手がボケなければ自分がボケ、相手がボケれば自分が突っ込む。
 まさしく彼は関西芸人の鏡である。


 だが、警官隊はボケているつもりもないし、観客の笑いもありえない。
 横島に向かうものは、警官隊の冷たい視線と、その手に持つ銃口だけである。


「犯人は降伏の意図なし! 発砲を許可する!」

「ちょ! まった撃つなー降伏……」


 横島が真剣に命の危険を感じ、降伏しようと警官たちの方へ振り返ると、そこにはここ最近見慣れてしまった存在がいた。


 そう、横島の視線の先では、指揮官らしき警官に取り憑いた死神が、嬉々として号令を下すところだった。


「まてや死神、それは反則だー!」



「ファイヤー!」

「うぎゃああああー!」



 今日もかわらず麻帆良の空に横島の悲鳴が吸い込まれていった。




第10話 end



 新幹線の中にて。


「ねえ、ネギ……いつまでそれ持ってるの?」


 アスナは、先ほどからビニール袋を手放さないネギとカモから微妙に距離をとりながら聞いた。


「アスナさん、ただのお守りですから気にしないで下さい」

「いや、正直私もかなり気持ち悪いんだけど……」

「我慢してください、ようやく反撃の糸口がつかめたんですから。これさえあれば僕は安全なんです」

「そうですぜ、姉さん。これさえあれば俺たちは解放されるんだ」


 ネギとカモは手にした袋をまるで大事なものが入っているかのように抱きしめ、アスナを説得しようとしていた。
 アスナはそんなネギを呆れたような目で眺めていたが、ふとネギの背後にいる人物を確認すると顔を青ざめさせた。


「そ、そう?……ところでネギ『やぶ蛇』って言葉知ってる?」

「いえ、知りませんけど」

「そうなの? けどたぶんこれから身をもってその意味を思い知ることになるんじゃないかしら……」


 アスナはそういいながらネギ達からジリジリと距離をとる。
 そして視線は決してネギの背後から外さない。



「そう……そのナマモノは貴方達の仕業だったの……」

 ネギとカモは背後からの声に一瞬硬直し、そしてギギギとさび付いた機械のような音をたてて振り返った。

 そこには……













 日本最大の荒神、スサノオをその身に降ろしたタマモがいた。


「タ、タマモさん。誤解です!」


 ネギは手にした袋をタマモの前に掲げながら後ずさる。
 ちなみにネギが手にした袋の中には、先ほど捕まえた巨大カエルがおり、カモの持つ袋にはそれより小ぶりなアマガエルが入っている。


「俺たちはただ、タマモの姐さんがカエル嫌いみたいだから護身用に……」


 ネギ達はなんとかタマモから逃れようと袋を突きつけるが、タマモは怒りのあまり我を忘れているのか、カエルを前にしてもただ怒りを増すばかりである。
 もはや今のタマモは目の前のカエルと、それを持つ悪を滅ぼすことしか頭になかった。


「クスクスクス……じゃあ貴方達は私の敵ね。大丈夫、痛いのは一瞬よ、いえ、これから放つのは全力の一撃、そのエネルギーは全て熱エネルギーに変換されるわ。だから痛いと思うより熱いと感じるだけよ」

「「いやあああああああ、ごめんなさーい!」」


 ネギはこの時本当の地獄をかいま見たようなきがした。

 この時、ネギの目に映った最後の光景は、自分に向かってうなりを上げながらもゆっくりと迫り来る巨大なハンマーであった。


「あはははは、消えろー!」


「「ぎゃぁぁああああああああ!!!!」」


 その悲鳴は、奇しくも麻帆良の空に吸い込まれた横島の悲鳴とまったく同時であったことをここに記しておこう。


 
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