「なあ、アスナ。なんかお風呂場からすごい音せーへんかった?」


 それは、今まさに大浴場の入り口をくぐろうとした時だった。

 アスナと木乃香の二人が、入浴セットを片手に互いに見つめあう。


「な、なにかしらね。音というより、何かがひき潰されるような声だったような気もするわ」


 アスナと木乃香は、浴室の中から現在進行形で伝わってくる悲鳴、いや絶叫、いや断末魔、むしろ地球外生命体チックな声を聞き、中に入るのを躊躇していた。


「中でなんがあんのやろーね」

「うーん(たぶん、いや間違いなくネギがまたなんかやらかしたわね。それで今はタマモちゃんがお仕置き中っと)きっと清掃中の音よ。とりあえず部屋に帰らない?」


 アスナは、浴室の中で引き起こされている惨劇を正確に予測していた。


「清掃中とはちがうよーな気がするんけどなー。札もでてへんし」

「きっと札をかけるのを忘れたのよ。さ、いきましょ」


 アスナは再び木乃香のトラウマを刺激するのを避けるため、一刻もはやく大浴場から離れようとしたが、その努力を無にする声が聞こえてきた。


「タマモさんごめんなさーい!」

「た、タマモさん。もうその辺で……」

「そうね、これぐらいで勘弁してあげますか」

「あれ、せっちゃんや」


 木乃香は刹那の声に反応して大浴場に入ろうとするが、その浴室の向こうから聞こえてきた声にその扉を開ける手を止めたのだった。






「ふう、ネギ先生はこれぐらいにしてっと……ねえ刹那、さっき木乃香のことで何か言いかけてたわよね。あれはなんだったの?」


 タマモは足元に沈むネギと、白い毛皮が今や真っ黒にコゲた小動物に一瞥をくれると、改めて刹那のほうを向いた。


「それは……私と木乃香お嬢様は、いわば幼馴染のような関係でした」

「過去形なのね」

「ええ、木乃香お嬢様はさる高貴な血筋を引くお方であり、今の私はその護衛なんです」


 刹那は手にした夕凪を握りしめ、ややうつむきながらタマモに答える。 


「護衛対象には近づかず、離れず護衛に徹する……か。だから木乃香と一線を引いてるわけなのね」

「はい」


 タマモは刹那が感情を押し殺しているのを敏感に察知する。
 そしてここでチラリと脱衣場の方に目をやり、小さく微笑む。


「じゃあ、あなたはもし木乃香の護衛じゃなかったら木乃香から完全に離れるの?」

「そんなことありません! 私にとってお嬢様はかけがえのない人なんです!」

「ふーん……よかったわね木乃香! あなた刹那に嫌われてないみたいよ」


 タマモは刹那の焦ったような反応に満足そうな笑みを浮かべると、脱衣場のほうへ向かって歩き出し、扉を開ける。
 そこには呆然と立ち尽くす木乃香とアスナがいた。


「え……お嬢様」

「せっちゃん……」

「あ、いや、その……失礼します!」


 刹那はそういうと、呆然とした木乃香を残し、着替えを引っつかんで脱兎のごとく逃げ出していった。

 残された木乃香は、先ほど聞こえてきた会話で刹那から嫌われていないとわかり、少し嬉しそうだ。



 一方、アスナはというと……




「いやあああ、ネギー!」

「ア、アスナさん……たふけ……」


 心身ともに、いろいろな意味で逝きかけているネギを発見していた。
 だが、この時発したアスナの悲鳴は失敗だった。

 この時アスナがやるべき行動は、悲鳴を飲み込み、ネギを即座に木乃香の目から隠すことだ。
 しかし時既に遅く、アスナの悲鳴に反応した木乃香は、死者すらまだ血色がいいというくらいのネギの状態を目の当たりにするのだった。


「ネギ君……大丈夫なん?」


 木乃香はゆっくりとネギに近づいていく。
 そしてこの時、木乃香は何かを見た。

 それは今まで蓄積されたトラウマがもたらした幻なのだろうか、ネギの向こうで影を背負った神々しい女性が手招きしている。


「木乃香、見ちゃダメ! またトラウマが!!」


 アスナは木乃香のトラウマが復活することを恐れ、ネギを見せまいとするが、木乃香はそれをすり抜けてネギの元へ向かった。




 この時、木乃香は何かの扉を開いた。



「ネギ君、もう大丈夫やー、今楽にしてあげるからなー」


 木乃香はネギの元にやってくると、アスナに背を向けた状態でネギの頭を抱える。
 その姿は、まるでどこぞの女神のよう美しく清らかだった。


「こ、木乃香……大丈夫?」


 木乃香のトラウマが復活することを警戒していたアスナは、戸惑いながらも木乃香の正面にまわり、あらためてネギを確認する。
 そのネギは木乃香に抱きしめられ、安らかに目を閉じていた。


「あれ?」


 その時、アスナはネギの姿がおかしい事に気付いた。

 どうも先ほどからネギの体が二重に見えるのだ。
 しかも、なにかの気配を感じて上を見上げると、ネギと木乃香の頭上に女性らしき人影がうっすらと見え始めてきた。

 アスナの心の中で、先ほどから警報装置がボリュームMAXで鳴り響く。


「ねえ、タマモちゃん……ひょっとして手加減間違えてない?」

「まさか、ネギ先生なら5分後に全快するように調節したはずよ」

「じゃあ、あれなに?」


 呆然としたアスナとタマモの目の前でネギの姿が二つに別れ、うっすらとした魂ちっくなネギが空に浮かんだ女性に手をひっぱられていこうとしていた。


「えっと、昇天している……のかしら?」

「ま、まさかー」

「でも、あれってネギ先生の霊体よ」

「……ねえ、それってまずくない?」

「まずいわね……」


 アスナとタマモは事態を理解すると顔を青ざめさせ、即座に衝天しようとするネギに呼びかけた。


「ネギ先生、その人についていったら燃やすわよ!」


「ネギー! その人について行っちゃダメー!」



 タマモとアスナの声が功を奏したのか、ネギの魂は弾かれたように体に戻っていった。
 はたしてどっちの声に反応したのかは不明だが、妙におびえた表情に見えたのは気のせいだろう。


 アスナ達はネギの魂が体に戻ってくると、安堵のため息をつくとともに空を見上げる。
 その空にはいつもと変わらぬ星空が浮かんでおり、先ほどまで空に浮かんだ女性は、影も形も見えなくなっていた。




「京都って不思議ねー……」

「こんな不思議があってたまりますかー!!」


 タマモとアスナは女性が消えた空間を見詰めながらポツリともらす。

 京都の夜はまだ終わらない。




第12話 「動乱、混乱、大乱闘」




 所変わって麻帆良学園

 横島は電話で呼び出され、学園長室に来ていた。


「こんな時間に呼び出してすまんのー」

「用件については大体想像できますけどね、時間が時間ですし」


 横島はジーンズにポロシャツというラフな格好で学園長の前に立っている。


「それなら話が早い、さきほど学園内の結界に魔力反応があった。おそらく魔物じゃろう」

「で、私めにそれを退治しろと? ほかの人たちはいないんすか?」

「なにせ修学旅行のせいで、かなりの人手が散らばっておるからの。まあ、今回のことも手薄になった隙を狙った何者かの威力偵察の可能性が高い」


 学園長は事態が切迫しているためか、やや厳しい表情で現在の状況を説明する。
 一方、横島にはあいかわらず緊張感は見られず、どことなくやる気がなさそうだ。


「きついっすねー……タマモがいれば楽なんだけどなー」

「ま、そうだろうと思って助っ人は手配しといたぞい」

「助っ人すか? 野郎ならおれは帰りたいなー」

「安心せい、助っ人は女性じゃよ」

「マジっすか! 美人すね! 美女ですね! いや絶対そうだ! そして一晩のアバンチュールを!」

「予想はしとったが……なんちゅーかアレな反応じゃのー。ま、ともかく引き受けてくれるかの?」

「お任せください、全力挙げて敵を殲滅してごらんに入れましょう」


 横島の妄想がどんどんエスカレートしていく中、部屋にノックの音が響き渡る。


「おや、ちょうど来たようじゃな」

「カムヒアー! マイハニー!!」


横島の期待の声と、学園長の深いため息が満ちる空間に入ってきた女性は……












「よろしくお願いします、横島さん」


 茶々丸だった。


「どうせこんなこったろうと……って普通、このパターンだとあのお子様吸血鬼じゃなかったんすか?」

「私もちゃんといるぞ」


 茶々丸の後からエヴァも入ってきた。


「ぬう! 時間差のボケとはやりおるな!」

「だれがそんな手の込んだことをするか! 今日は貴様の腕前をじっくりと見せてもらうぞ、さっさと来い!!」

「へーい」

「では二人ともたのんだぞ」


 横島とエヴァ、茶々丸による即席トリオが結成された瞬間だった。





 麻帆良学園内の森の中、横島とエヴァたちは目の前を埋め尽くす妖魔たちを前にしていた。


「さて、横島忠夫。さっき言ったように貴様の実力を見せてもらうぞ。私と茶々丸は自分の身しか守らんからあてにするなよ」

「できれば手伝ってほしいなー」

「まあ、本当にやばくなったら死なないうちに助けてやる。安心して逝って来い」

「へいへいっと。まったくこのお子様は……」


 横島はやる気なさそうに妖魔の前にでた。


「なんや、退魔士がでてきたと思ったら、お子様に小娘に青二才か、けがしとーなかったらどきーや」

「こっちも仕事なんでそうも行かないんでね」

「こっちは30体以上いるんやで、おとなしうしとったほうが身のためやと思うんやがな」

「ま、おしゃべりはこれぐらいにしよーぜ。それに俺達を甘く見てると痛い目にあうぞ」


 横島はそう言うと、陸上単距離のクラウチングスタートのような体制をとり、妖魔のボスを睨みつける。


「面白い、そんな構えでどこまで戦えるか見せてもらおうやないか」

「ほんじゃま……教育してあげるとしますか、本当の霊能者の戦いというものを」


 今、横島と妖魔による壮絶な戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。





 再び京都

 ネギ達はアスナ、刹那、タマモで3−Aガーディアンエンジェルズを結成していた。


(よーし、アスナさんと刹那さんがいれば百人力だ、さらにタマモさんが今回は完全に味方だし……たぶん……きっと……めいびー」


 ネギはまるで横島のごとく自分の心の内を漏らす。
 そんなネギの背中は10歳にして哀愁を漂わせている。


「ネギ、あんた思ってること口に出してるわよ」

「へう! ああああああ僕さっそく外の見回りをしてきます!!」


 ネギはあわてて周囲を見渡し、タマモが背中に炎を背負ってるのを見ると、逃げるようにしてホテルから出ていった。
 だが、当のタマモは逃げ出していくネギを一顧だにせず星空に向かって吠えていた。


「クククク、見ていなさいよ。私に恥をかかせたこの償い、お揚げ禁止令のフラストレーションも追加してたっぷりと復讐してやる。さっきは逃がしたけど、私の狩りから逃げられる獲物なんていないのよ! そして捕まえたら美神直伝の数々の技を見せてやる!!」


 とりあえず、タマモに捕まったら敵の命の保障が無い事は確実であろう。


「この上なく心強いんだけど……ものすごくマズイ状況のような気が……」

「あははは、アスナさん。気にしたら負けですよ、きっと」

「なんか本当に京都が火の海になりかねないわねー。後は神頼み……いや、神様もあてに出来ないか」

「そうですね、また変な関西弁が聞こえてきかねませんし……」


 刹那は先ほど聞こえてきた声を思い出す。


「刹那さんも聞こえたの? ていうか関西弁?」

「え、ええ。怪しい関西弁なんですけど、なんか妙に神々しい声が聞こえました。アスナさんも聞こえたんですか?」

「ええ、ただ私の場合は標準語だったわよ。なんか妙に偉ぶって禍々しい感じがしたけど……」

「「………………」」


 しばしの間、二人は沈黙する。
 この時、刹那が聞いた声が魔王であり、アスナが聞いた声が神の声だという真実を知ったら二人はどんな反応をするのだろうか。
 だが、この場にはその真実を伝える者はいない、しかしそれはある意味で幸いだったのかもしれない。



「とりあえず、気のせいよね」

「そうですね、気のせいです。たぶん……きっと」


 どうやら二人とも気のせいと言うことで誤魔化すつもりのようだ。





 アスナ達はとりあえずタマモと別れ、自室にもどっていた。


「アスナさんは先に休んでてください。私は廊下で各部屋を見回ります」

「うん、じゃあ何時間かごとに交代ね、タマモちゃんはネギ先生と一緒に外の見回りをしてるし、これならきっと大丈夫よ」

「そうですね、では……」


 刹那はそう言うと見回りにいった。



 そのころ、タマモとネギはカモによる仮契約カードの講習を受けていた。


「ふーん、能力やアイテムの発動に念話に召還か……けっこう便利そうね」

「だろ、姐さん」

「けど、念話だったら携帯のほうが早くない?」

「う……」

「あらためて思うけど、科学って発展すると魔法と変わらないんですねー」

「まったくね……うん?」

「どうしたんです?」

「アレは……猿? それに木乃香!!」


 ネギはタマモが指す方向を見ると、そこには月明かりに照らされた巨大な猿が、何かを抱えた状態で着地した所だった。


「あら、さっきはおーきに、カワイイ魔法使いさん。それにそっちの娘は風呂場で世話になった娘ね」


 猿のきぐるみのようなものを着込んだ女性が、ネギとタマモを見つけ、そうのたまった。


「木乃香さんを返せ!ラス・テル・マ・スキモガガガ!!」


 ネギがすかさず魔法を使おうとしたが、小猿の式神に邪魔されて魔法が使えない状態になってしまった。
 そして小猿の集団はネギを抑えると、次はタマモを目標にして殺到する。


「ネギ先生、ついでにカモ! ちょっと熱いけどガマンしてね」

「「もがが!!(いやー!!!)」」


 タマモは自分にもまとわりついてきた小猿をネギ&カモごと焼き払おうとしていた。
 そしてタマモが放った炎は、小猿を一瞬で蒸発させる。


「こ、小猿を一瞬で! それも躊躇なく味方を巻き込むなんて……」


 猿女はネギごと式神を燃やし尽くしたタマモに戦慄を覚え、その恐怖に追われるようにその場を後にする。


「せいぜい逃げなさい、狐の狩りは相手を決して逃がさないのよ!」


 逃げ出していく猿女を険しい目で睨みながら、タマモの気勢は燃え上がっていた。

 そしてネギとカモは、そのタマモの足元で物理的に燃えていた。






「ふん、西洋魔術師言ーても大したことあらへん、木乃香お嬢様まで楽に手に入れてしもたわ……なんかヤバそうな小娘もおったけど逃げ切れたようや」


 猿女はネギ達を引き離して安心していた。
 だが、それはタマモ達をあまりにも甘く見すぎた希望的観測だった。


「木乃香さーん!」

「このかー!」

「お嬢様ー!」

「うふふふふ、アナタは絶対に逃がさないわよ!」


 猿女がその声に振り返ると、ネギ達はすぐそこまで追いついていた。


「ち、もう追いついてきたんか……ヒィ!」


 この時、猿女は自分の追っ手の中の一人に言いようのない恐怖を感じた。
 その金髪の少女と目を合わせると、自分の中の生存本能が警鐘を鳴らし、地の果てまで逃げろと警告する。


「な、なんなんやこのプレッシャーは……」


 猿女はわけのわからぬまま、駅に向かって走り出した。

 ネギ達は人のいない駅構内に入り、猿女が逃げ込んだ電車に間一髪で駆け込むことができた。
 そしてそのまま、猿女を追い詰めようと先頭車両へ向かって駆け出そうとしたが、突如車両の中に水が流れ込み、ネギ達を押し流す。
 おそらく猿女がなんらかの術を使ったのだろう。


「ぐ……この程度で私を止められるか! 斬空閃!!」


 刹那は水中で奥義を放ち、水を全て押し流し、その水流は扉の向こうで高笑いを続ける猿女を巻き込んでいく。
 そしてその水は列車が駅に到着して扉が開いたことによって全て押し流された。


「見たか、このデカザル女、おとなしくお嬢様を返せ!」

「なかなかやりますな、でも……このかお嬢様はかえしまへんえ」


 猿女はそう言うと再び木乃香を抱えて逃げ出した。

 ネギとアスナは猿女のお嬢様発言に戸惑いながらも、再び追いかける。

 刹那の説明によると、猿女は木乃香を利用して関西呪術協会を牛耳ろうとしているということらしい。



 しばらくの後、アスナ達は階段で猿女を追い詰めていた。
 ただし、この時猿女は猿のきぐるみを脱ぎ、新幹線の車内販売員の制服を身に纏っている。

 どうやら彼女が新幹線でカエル騒動を引き起こした張本人で間違いないようだ。


「よーここまで追ってこれましたな、そやけどそれもここまでですえ。三枚目のお札ちゃんいかせてもいますえ」


 女はそう言うと、札を懐からとりだし、術を放とうとする。


「させるか!」


 刹那は叫びながら、女に向けて駆け出すが、目の前で女の術が完成し、炎が目の前に迫っていた。


「桜咲さん!」


 アスナは炎に巻かれかけた刹那を間一髪で助け出し、一気に後退すると傍らで悔しそうな目で炎の壁を見つめるタマモに目をやる。


「タマモちゃん、この炎なんとかできないの!」

「く、無理よ、私は本来後方撹乱が得意分野なのよ……ここに横島がいないのは痛すぎるわ」

「そんな!」


 アスナは、一番頼りにしていたタマモに対策がないと聞き、前方の炎に絶望を感じた。
 だが、その時ネギがなにか呪文を唱え魔法を放とうとしていた。


「ラス・テル・マ・スキル・マギステル  吹け、一陣の風 風花 風塵乱舞!」


 ネギが魔法を放つと、前方にあった炎の壁が完全に消滅していた。


「やるじゃない、ネギ先生」

「あんな炎、タマモさんの炎に比べたらどうということはありませんよ」

「……後でじっくりと話し合う必要がありそうね」


 タマモは自分が対処できなかった炎の壁を打ち破ったネギを素直に賞賛するが、つづいてのネギの発言のおかげで額に青筋を浮かべるのだった。

 どうやらネギは、この修学旅行の間に失言グセが完全についてしまったようだ。


「と、ともかく! 逃がしませんよ! このかさんは大事な生徒で、僕の友達です!」


 ネギは自分を睨みつけるタマモの視線から逃れるように女をにらみつけると、すかさずアスナに契約執行を行って突撃した。


「そうだ! アスナさん、パートナーだけが使えるアーティファクトを出します。『ハマノツルギ』たぶん武器です!」

「武器? そんなのあるの! 頂戴、ネギ!」


 ネギの呪文とともにアスナの手に現れたそれは……ハリセンだった。
 それはもう完全無欠のハリセンだった。


「な、なによこれー!」

「さすがアスナ、私と互角のつっこみをやるだけのことはあるわね」

「これって、アスナさんの属性はつっこみっていうことなんでしょうか……」

「案外ここがハリセンの本場、関西というのも関係してたりしてな」


 タマモ達はハリセンを手にして叫ぶアスナを生暖かい目で見つめていた。


「えーい、もうやけよ! くらえー!」


 アスナと刹那が女に向けて攻撃を仕掛けようとしたその時、突如女の後ろにいた猿のきぐるみと、クマのぬいぐるみが動き出し、行く手を阻んだ。


「な、なによこれ!」

「呪符使いの善鬼、護鬼です。みてくれはマヌケですけど気をつけてください!」

「まっけるかー!」


 アスナはすこし戸惑ったが、女が木乃香をつれて逃げ出そうとしたため、猿に向かってハリセンを叩き込んだ。
 すると、猿は見る見るうちに消滅していく。


「え、なにこれ?」

「すごい……」


 アスナのハリセンによる予想外の効果に、敵味方ともに行動の空白が一瞬できた。
 そして、ネギ達にはその一瞬のスキを決して逃がさない存在がいた。


「いまよ! くらえー!」


 タマモは敵の動きが止まった瞬間を逃さず、クマに向かって狐火を最大火力で放射した。
 すさまじい火とその余波による熱が収まると、そこにいたクマは跡形もなく消滅していた。


「す、すげえ、さすがタマモの姐さん」

「な、なんなんやあの小娘は。一瞬で熊鬼を燃やすなんて……」

「今だ、このかお嬢様を返せ!!」


 再び呆然とする女にむけ、刹那が走り出そうとしたが、自分に向かって飛び掛ってきた影が邪魔をしたため、いったん飛びのく。


「く……その太刀筋、神鳴流か」

「おはつに〜、月詠いいますー。ではいきますえー」


 小太刀を二振りもった月詠と名のる少女はそう言うと、刹那に切りかかる。
 その動きは早く、取り回しの難しい野太刀を振り回す刹那には、懐に入られた場合この上なくい相性が悪い相手だった。


「桜咲さん!……っていやー! なにこれー!」


 アスナは刹那の手助けをしようとしたが、再び小猿の群れが現れ、アスナを拘束する。


「アスナさん! ラ・ステル……もががががが」


 ネギも魔法で加勢しようとするが、やはり突然現れた小猿によって魔法を中断されてしまう。


「ほほほ、所詮素人中学生に見習い剣士と魔法使いや。私の敵やありまへんでしたな。このまま木乃香お嬢様をつかって……くくく、あーっはっはっは」


 女は高笑いをして木乃香を担ぎ上げ、そしてネギ達に見せ付けるように木乃香のお尻を叩く。
 アスナ達は小猿に、そして月詠に手を取られ、ただそれを黙って見ているしかなかった。

 しかし、この時女は最も警戒しないといけない人物を完璧に忘れていた。


「へー、木乃香を使ってどうするのかしら?」


 絶対零度すら生ぬるい声が、女の背後から耳朶をうつ。


「それはもちろんお嬢様を使って……って誰や!」
 

 女が振り返ると、そこにはどこまでも綺麗で透き通るような微笑を浮かべたタマモが静かにたたずんでいた。


「この私を忘れるなんて本当に余裕ね。けど……その余裕が命取りよ!」


 タマモは一瞬で女との間合いをゼロにすると、木乃香を奪い返さんと掴みかかる。
 そしてあと少しで木乃香に手が届くかと思われた時、それがおこった。


 ザン!



 タマモの耳に、何かを切る様な音が聞こえてきた。


「え……」


 タマモは呆然とした声を上げる。
 そしてその次の瞬間、タマモが感じたのは腕に感じる焼けるような痛みだった。


「うわああー!」


 タマモの悲鳴が駅舎に響き渡る。




「ぐ……タマモさん!」


 刹那は先ほど、木乃香に気を取られた隙に月詠に蹴りつけられ、壁に叩きつけられていた。
 そして背中を痛打したことによって咳き込んでいたが、タマモの悲鳴に反応して顔を上げる



 それは信じられない光景だった。


 刹那の視線の先には、右腕が肘のところで切断され、血に染まるタマモがいた。

 おそらくタマモの腕を切断したのは女の傍らにいる月詠だろう。
 月詠は刹那を壁に蹴りつけると、即座に女のところへ取って返し、タマモの腕を切断したのだ。


「タマモちゃん!」


 タマモを心配するアスナの悲鳴のような声が上がるが、彼女も、そしてその傍らにいるネギも小猿にまとわり付かれているため身動きが出来ない。
 そしてタマモを救出しようとする刹那の前に、再び月詠が立ちはだかる。


「せんぱーい、ダメですよー。もっとウチの相手をしてもらわんとー」


 月詠は階段の上から冷徹に刹那を見下ろすと、先ほど切りつけたタマモの右腕を刹那に放り投げる。
 刹那はその手を慌てて受け止めたが、その隙に再び月詠の持つ二刀に有利な近間を許してしまうのだった。

 そして刹那は見た。
 鍔迫り合いをする月詠の向こうで、女が懐から一枚の札を取り出し、いやらしく笑う姿を。


「や、やめろー!」


 刹那の悲鳴のような声が上がる。

 しかし、女はそれで止まることはなく、むしろ嬉々とした表情で刹那に見せ付けるようにタマモの胸に呪符を貼り付けるのだった。 


「見せしめや、くらい!」


 女はタマモを蹴り飛ばして距離をとり、そしてなにか呪文のようなものを唱えたその瞬間、タマモは悲鳴を上げる暇も無く火柱に包まれ、そのまま崩れ落ちる。


「あははは、すこーしびっくりしはりましたけど、やはり私の敵じゃあらしまへんな。さて、これでうちらの勝ちや、木乃香お嬢様はうちらで丁重にもてなしますえ」

「く、タマモちゃん。木乃香!」

「き、貴様よくもタマモさんを!」

「それでは、小娘たち、さよーなら。あはははははははは」


 女はそう言うと木乃香を抱え、駅から逃げ出していく。
 刹那は月詠をふりきれず、アスナとネギも小猿にまとわり付かれて追うことができない。
 タマモにいたってはさっきからすこしも動こうとしない、いや、それ以前に生死すら危うい状態だった。

 京都駅に女の笑い声がいつまでも響き、残された少年と少女達は何も出来ずそれを見送るしかなかった。


























「ねえ、タマモちゃん……いつまでこの状態なの?」

「もうすぐ解けるわよ、刹那そっちもうちょっと強く縛っといて」

「はい、しかしすごいですねー」

「まーね、これが私の得意技だしね」

「タマモさんてやっぱりすごいんだー、味方でよかったね、カモ君」

「まったくでさあ」


 やや呆然とするネギとアスナの前には、異様な高笑いを続ける猿女と、月詠が刹那とタマモの手により拘束されていた。
 月詠はなにやら「ざ〜んく〜せ〜ん」とつぶやいている。

 どうやら二人はタマモがかけた幻術に完璧に入り込み、なにやら幸せな夢を見ているようだ。


「さて、これでよしっと。そろそろ幻術が解けるわよ」


 タマモがそう言うと、それが合図であったかのように猿女は少しずつ自我を取り戻していった。


「あははははははははは、見たか小娘どもこれがウチの力や……え……あれ……こ、これはどういうことや!」

「あれ……刹那せんぱい」


 月詠と猿女はしばし呆然としていたが、自分が拘束されているとわかると猛然と暴れだす。


「ようやくお目覚めね」


 そしてその二人の正面にタマモがとてもいい笑顔を浮かべて立ちはだかるが、その目は少しも笑っていない。


「お、お前はなぜ生きてるんや、たしかに燃やしたはずや!」

「あれー、その右腕切ったはずやのにー」


 二人は先ほどまで見たのが幻覚であると理解していないのか、目の前で氷のような微笑を浮かべるタマモに動揺する。


「さあ、なぜかしらね。経過はどうであれ、あなた達は私達に捕まった。木乃香は返してもらったわよ」

「な!!」

「貴様ら、他に仲間はいるのか! 目的はなんだ!!」


 刹那が夕凪を抜き放ち、猿女に突きつける。


「ふん、私をあもーみてもっらちゃ困りますえ」

「そう、いい度胸ね……刹那、それにアスナ、頼みがあるんだけど」


 タマモは不敵な笑みを浮かべる猿女を一瞥すると、傍らにいるアスナと刹那に声をかける。


「なんですか? タマモさん」

「木乃香とネギを向こうに連れて行って、特にこのかには刺激が強すぎるわ」

「「りょ、了解であります!!」」


 アスナと刹那はこの後に行われる惨劇を正確に予測し、背筋を凍らせた。
 その口調もなぜか軍隊調だ。


「さ、ネギ行くわよ」

「アスナさん、でも……」

「いいから早く! へたしたらまきこまれるわよ!」

「アスナさん早く帰りましょう!!」


 刹那は木乃香を抱え、アスナとネギは一目散に駅から脱出した。
 そして彼女たちは、残された二人に襲いかかる惨劇にそっと涙し、静かに冥福を祈るのだった。


「さて、これでいいわね」

「な、なにをする気や」


 猿女と月詠は背筋に寒気を感じながらタマモに質問する。


「ちょっと確認したいことがあってね、今日新幹線の中と神社でカエルを放ったのはアナタかしら?」


 タマモはまず月詠に質問した。
 そして月詠を貫く視線はどこまでも冷たく、一瞬のうちに月詠を恐怖のうちに捉える。


「う、うちは違いますえ。それはこっちのお人や」


 それは月詠が恐怖のあまり仲間を売った瞬間だった。


「月詠はん、なにを……たしかにうちがやりましたが。あ、そういえばアンタは派手に気ーうしなっとったなー。おもしろかっ……た……で……」


 猿女は最後まで言葉を発することができなかった。
 なぜなら、目の前には恐怖という言葉を具現化したかのような存在が出現していたからだ。

 その恐怖が具現化した存在、タマモはいつの間にか手にした100tハンマーを大きく振りかぶっていた。
 そしてその背後にはこれまたどうやって取り出したのか、こんぺいとうシリーズといろいろな種類のハンマーがずらりと並んでいる。
 中には『ジェラシー120%』と書かれた物や『100万馬力』と書かれたものも鎮座している。
 
 タマモは巨大な槌に囲まれ、そして静かに猿女を見下ろしながら最後通牒をたたきつけた。


「やはりあなただったのね……小便はすませたかしら? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はOK?」

「ちょ! ま、まちーや。情報なら話しますえ……だからその物騒なもをしまって話し合いを……」

「うふふふ……イ・ヤ」


 タマモはにっこりと笑うと、猿女に向けて全身の力を振り絞り、手にしたハンマーを叩きつけるのだった。







「ひぇえわぁぁぁぁぁー!」



 京都駅に女の悲鳴が響き渡る。
 ネギ達が修学旅行に来てからいったい何度目の悲鳴であろうか、ともかく騒がしい京都の夜はこれで終焉を迎えるのだった。




「ウチはなにも見てへん、ウチはなにも見てへん、ウチはなにも見てへん、ウチはなにも見てへん、ウチはなにも見てへん、ウチはなにも見てへん、ウチはなにも見てへん」


 そのころ、至近距離でこの世ならざるものを見た一人の少女は、心になにか大きな傷がついたようだった。






「ひぇえわぁぁぁぁぁー!」


 駅の方から響く大きな声にネギ達はビクリとして振り返った。
 その表情はとても気の毒そうな、なにかを哀れむような表情だった。


「ん……あれ、せっちゃん」


 その時、刹那の腕の中で木乃香が目を覚ます。


「うち、夢をみたえ、変なお猿にさらわれて、でもせっちゃん達が助けてくれるんや。それで……あれ、なにか怖い夢も見たような……」

「このかお嬢様、それは夢です! だから大丈夫ですよ」


 刹那は木乃香を抱きしめる力を強め、元気付けるように声をかける。


「よかったー、せっちゃんウチのこと嫌ってる訳やなかったんやな、タマモちゃんの言うとーりや」


 木乃香の安心したようなとても綺麗な笑顔に、刹那は思わず顔を赤くする。


「そ、そりゃ私かてこのちゃんと話し……失礼しましたー!!」


 刹那は何かを言いかけたが、すぐに飛び退り走り出した。


「桜咲さーん!!」


 そんな刹那にアスナが声をかける。


「明日の班行動、一緒に奈良を回ろうねー! 約束だよー!!」


 刹那はうれしそうに小さくうなずくと、ホテルへと帰っていった。


「まったく……刹那ったら素直じゃないんだから」


 そんなアスナの背後から声がかかる。


「うひゃ! タマモちゃん……あいつらは?」

「んー、逃げられたわ」


 タマモは悔しそうにアスナに答えると、京都の空を見上げる。


「なんですって!」

「式神みたいなものが突然現われてね、やむをえず見送るしかなかったわ……まったく、まだ途中だったのに」

「えっと……あのお猿の女の人って、幸運だったのかな」

「でも次にタマモちゃんにつかまったら間違いなく三倍は確定よ、いっそのこと今日で終わってたほうが幸せだったかも」

「そ、それはありえますね」

「ま、逃がしたものをいつまでも悔やんでてもしょうがないわ。とりあえず8割がたフラストレーションは抜けたから明日から楽しむわよー!」


 タマモはそう言うと、ホテルへ向けて歩き出す。
 長かった修学旅行の一日目の夜がようやく終了したのだった。





第12話  end






 ここは麻帆良学園の森の中。
 
 エヴァは目の前で繰り広げられている戦いに呆然としていた。
 彼女の目に映るのは、横島によって妖魔たちの群れが次々と屠られて行く瞬間だった。


「こ、これは……」


 エヴァは信じられなかった。
 そのエヴァの前で横島は、妖魔を目の前にしながら微動だにせず、ただ手元をすこし動かすだけで次々と妖魔を打ち倒していく。

 ある妖魔は一瞬で押しつぶされ、ある妖魔は一瞬で姿を消してしまった。

 そこかしこで響く妖魔たちの断末魔の声がひびく。

 戦闘開始から15分、30体以上いた妖魔はすでに一体しか残っていなかった。


「き、貴様……」


 最後に残った妖魔は、横島に向かってうめき声をあげた。
 その姿は満身創痍であり、立っているので精一杯という感じである。


「んー意外としぶといなー」


 横島は涼しい顔で妖魔を見る。


「横島忠夫……貴様というやつは……それが霊能者とやらの戦い方かー!!!」


 エヴァはもはや我慢できなかったのか、横島に向かって搾り出すように声をかけ、最後には絶叫する。













「え、なんで? トラップしかけてた所に誘い込んだだけじゃん」



 横島の目の前では、落とし穴に落とされ、平安京エイリアンのごとく地中深く埋められた妖魔、さらにはこれまたいつの間に仕掛けてあったのか、巨大な岩に押しつぶされた妖魔が連なっていた。
 

「あほかー! さっきの戦闘前の口上はなんだったんだ! それに私はお前の実力を見定めるためわざわざ来たんだぞ、それなのに貴様がやったことは、戦闘が始まると私と茶々丸を抱えて一目散に逃げ、そしてトラップゾーンに引き込んで罠を発動させただけじゃないかー!」

「ん、いけなかったか?」

「たしかに事前の準備という意味では正しいが……しかしなんか納得できーん!」

「そんな事言われてもなー、俺の戦い方って『蝶の様に舞うように見せかけてゴキブリのように逃げる』ってのが基本だし。だいいち楽じゃん」


 横島の周りにはトラップに引っかかった妖魔たちが死屍累々と転がっており、その脇では死神が嬉々として魂を刈り取っている。
 どうやら横島の魂を取るのはあきらめて、横島に敵対する鬼の魂をとることに切り替えたようだ。


「おのれ、よくも我等を……だが、空からなら罠もあるまい!!」


 最後に残った妖魔は最後の力を振り絞り、飛び上がって横島たちに攻撃をしようとした。


「甘い! いけー茶々丸!!」

「はい」


 茶々丸は横島の呼びかけに答え、反射的にロケットパンチを妖魔に叩き込む。
 それは妖魔に対しトドメとなり、最後の妖魔は大地に崩れ落ちた。


「ちゃ、茶々丸ー! おまえなぜ横島の命令を素直に聞いてるんだ!!」

「あ、あの……なぜでしょう? なんか体が勝手に……」


 茶々丸は自分がした行動に戸惑い、オロオロしている。
 それはそうだろう、本来なら横島の命令で動くはずはないのだから。
 しかし、あの時はなぜか心の奥底から横島の放ったアバウトな命令に背けない強制力が加わったのだ。


「横島忠夫、貴様茶々丸に何をした!!」

「別になにも。ただ日本古来からロボと名のつくものは、あーいうアバウトな命令には逆らえないようにできているのだよ、うはははは」

「あ、あほかー! 茶々丸を鉄人とかジャイアントなんとかと一緒にするなー!」


 麻帆良の森にエヴァの大声がむなしく響いていった。
 

 ちなみに後日エヴァは茶々丸の製作者であるハカセの研究室に殴りこみ、茶々丸の解析を行ったところ、どうやら本当に鉄人やジャイアント○ボ系の命令思考ルーチンが組み込まれているのが発覚し、工学部研究棟が灰燼に帰すのだが、これは本編に一切関係ない余談である。

 
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