学祭を目前に控えた週末の昼休み、ここ3−Aでは全員でお化け屋敷の準備にいそしんでいた。


「昼休み返上で学祭準備だなんて私たちも殊勝だねー」

「そーせんと間に合わんだけやん」


 なにやら衣装を作っているようだが、裕奈はその手を止めずに誰とも無くつぶやいた。もっともすぐに傍らにいた亜子に突っ込まれているのが少々微笑ましい。それ以外にも教室を見渡せば柿崎がホラーメイクを施して鳴滝姉妹を怖がらせて遊んでいるなど、まさに平和な昼休み、学祭前ならどこの学校でも見る事が出来るワンシーンが繰り広げられていた。
 唯一違うのは、何故かクラスのほぼ全員がネコ耳にヒゲというメイクを施している点が異様といえば異様である。


「ねーねーコレ見たー!? コレ、麻帆良スポーツ」


 そんな中、まき絵が学内新聞を片手に教室に入ってくる。教室に入ってきたまき絵は裕奈の下へやってくると、手に持っている新聞を目の前で広げていく。そこには学祭を前にした広告や数々のゴシップ記事などが記載されていたが、まき絵は皆の目の前で一番大きい記事に指を突きつけた。
 それはこの麻帆良学園のシンボルとも言える巨大な木、通称『世界樹』と呼ばれるものにまつわる伝説の記事であった。その記事によれば、毎年この学園祭の時期に世界樹の前で好きな異性に告白すれば、かなりの高確率で成就するという内容である。


「えーっとなになに『ホントに効果アリ!? 世界樹伝説』……コレホントかなー? 麻帆スポって嘘記事多いしなー」

「でも幽霊騒ぎはホントだったじゃん、ほら」


 まき絵は教室の片隅を指差す。そこには朝倉の傍らで、なにやら一生懸命書き物の手伝いをしているさよの姿があった。
 確かに前回のスクープ記事であった幽霊騒動は現実に起こり、あまつさえ今ではその当の本人がお化け屋敷の準備をしているくらいだ。それを考えれば今回の世界樹伝説もまた信憑性が増すというものなのだが、どこぞのギャルゲーのような展開が現実におきるとは、いくらお気楽者の多い3−Aとは言えそう簡単に信じられるものではない。
 裕奈達にしてみれば、せいぜいが事の成否はともかく、ゲンかつぎの意味も込めてやってみようかという程度の反応であろう。もっとも、約数名の少女はその記事の内容を耳にした瞬間、そのもって生まれた聴力を倍化させるかのように耳に神経を集中させており、なおかつその中の約一名は元から人類をはるかに超越するその聴力をもって普段と変わらぬよう努めながらも、しっかりとその内容を心のメモ張に書き残したのであった。
 そして今、その中でももっとも強くその内容に反応し、なおかつそれを表に出すまいと努力しつつもそれが見事なまでに失敗している少女の前で、常に微笑を絶やさぬ聖女のような少女が好機到来とばかりにその少女、桜咲刹那にいかにも何か謀ってますという感じの笑みを浮かべながら話をふるのだった。


「なあなあ、せっちゃんとタマモちゃんは横島さんとどこまでいったん? 学祭こそチャンスやー」


 いかにも妙な計略を企む邪笑と、聖女のような微笑を同居させた奇跡の少女、その少女とはネコ耳とヒゲを装備した木乃香であった。そして問われた少女、刹那は話題を不意打ち同然に話題をふられ、思わず顔を真っ赤に染める。その一方でタマモは平然としており、動揺した風には見えない。そしてこの場には彼女達のほかに刹那とタマモを面白そうに見つめるアスナがいた。
 ちなみにこの時、タマモ、アスナ、刹那は木乃香と同じようにネコ耳とヒゲを装備しており、刹那にいたっては普段左側にまとめている髪をおろしている。もしこの場に横島がいたら、かつてあやかによって誘導され、たどり着いた理想郷の片鱗をかいま見る事が出来たであろう。


「いえ、あの私はその横島さんとはまだ……その、タマモさんもいますし、横島さんも私を気にかけてくれるという実感はありますがそのなんというか……」

「私はいつもどおり順調よ、それに最近刹那と共同戦線はってるから横島が落ちるのも時間の問題かもね。もっとも、出来るなら夏休みまでに第一次総攻撃をかけて内堀も埋めておきたいところだわ」

「総攻撃かー、そや! せっちゃん達はアプローチはしとってもちゃんと告白はしとらんのやろ、それなら今度の学祭であらためて横島さんに告白したらええやん。やっぱ総攻撃と言うくらいなら、ちゃんと口にしたほうがええと思うえー」

「む……告白かー。刹那はどう?」

「い、いえ私はまだその告白と言うかそういうのは……そうだ私なんかより、アスナさんはどうなんですか? ホラ、高畑先生とか」

「ええ! わ、私!?」

「そういえばアスナは高畑先生が好きなのよね、今までアタックしなかったの?」


 刹那は話題そらしのためにアスナを生贄にすることにしたようである。そしてアスナもまた先ほどの刹那のように顔を真っ赤にして硬直してしまう。この時刹那は話題そらしに完璧に成功し、アスナはその引き換えに毎年高畑に告白しようとしているが、声もかけられなかったことを暴露されてしまっていた。


「まったくアスナも告白はともかく『一緒に学祭回りませんか?』くらいゆーてみたらいいのに」

「う……」


 木乃香はアスナが沈黙するのを見ると、鞄からおもむろに麻帆良スポーツを取り出し、その記事の一部を二人に見せる。


「ホラホラ『中学生の諸君はいきなり呼び出して告白と言うパターンが多いが、それでは男の子も困ってしまうぞ。まずはさりげなく学祭見学にさそってお互いの雰囲気がほぐれてきた所で本題に入るのが王道成功パターンだ』やて、アスナも頑張らんといかんえー」

「も、もう私のことは放っといてよー! だいたいタマモちゃんや刹那さんはどうなのよ」

「あ、私と刹那はもう約束してるわよ。それに明日のプレ公演も一緒に下見に行く予定よ」

「ふむふむ、世界樹の下には中学生にも入れる美味しくて安いレストランも……」

「裏切りものー!」


 アスナが顔を真っ赤に染めて絶叫するのとは対照的に、刹那とタマモはいつの間にやら手にしたメモ帳でしっかりと記事に書かれているレストランを押さえている。


「ほな残ったのはアスナだけやなー、今年こそは高畑先生を誘えるようにならんといけんえー」


 その一方で木乃香は笑顔を崩さぬままアスナににじり寄っていくのだった。いつまでも微笑を絶やさぬまま――




 刹那たちも含んでクラス中がかしましく騒いでいる中、教室の最前列の窓際には静かに作業を続ける者達がいた。


「いやーさよちゃんが新聞部の方を手伝ってくれるから助かるわー」

「いえ私こそ朝倉さんのお手伝いが出来て嬉しいです。それにこれが終わればいよいよ私の本領発揮ですし」

「そりゃあ幽霊のさよちゃんがお化け屋敷に出れば迫力満点だろうしねー」

「えへへへ」


 どうやらさよは学祭の準備とは別に、朝倉の所属する報道部の手伝いをしているようである。具体的に何をやっているのかと言うと、朝倉の記事の下書きや新聞のレイアウトを行っているようだ。


「こうやって新聞を作るのもけっこう楽しいですねー」

「でしょ、私もこうして自分の記事が新聞になっていくのが楽しくて報道部に入っているからね。あ、そうだ! さよちゃん報道部に入らない? さよちゃんならどんな所にも気付かれずに入れるから特ダネ取り放題だよ」

「え! 私が入ると幽霊部員になるんですけどいいんですか!?」

「確かにさよちゃんが入ると幽霊部員だけど意味が違うから……あれ?」


 朝倉がさよに幽霊部員の定義について説明しようと身を乗り出したとき、ふとさよが編集している新聞の内容が目に入り、それを読んだ朝倉は首をかしげて沈黙する。
 


「どうしたんですか? もしかして私なにか失敗しちゃいました!? あうううごめんなさーい」

「いや、そんなに深刻じゃないから大丈夫だって。ただ、この新聞は日付が明後日になってるよ、これは明日の新聞だからちょっと間違ってるわね……ってアレ? 私こんな記事かいたっけ?」


 朝倉は自分が書いた覚えの無い記事が書いてあることに気付き、朝倉はなにやら嫌な予感を感じて思わず首をすくめてしまう。しかし、それとは対照的にさよはどこまでも明るい笑みを振りまきながら、その新聞を片手に楽しそうに語りかけるのだった。


「あ、朝倉さんに頼まれた分はもう終わりましたから保存しておきましたよ。これはさっき死神さんに頼まれて編集している分です、しかもネギ先生にしか見えない優れものだそうです」

「へ、死神? ネギ先生専用?」

「はい、横島さんところの死神さんです。それでこの新聞を明日の朝ネギ先生のところに届けるんです、こう『しんぶ〜ん』って言いながら窓から投げ入れるのが作法だそうですよ。」


 さよは嬉々とした表情で死神に頼まれたことを朝倉に話す。その表情はとても嬉しそうであった。しかし朝倉の表情は優れない、彼女はしばしの間さよと問題の新聞を交互に見ていたが、やがて何かに気付いたようにつぶやいた。


「それって恐怖新聞……まあいいや、ともかくさよちゃん。それをやるとネギ先生がその新聞見るたびに百日寿命が縮みそうだから止めようね」

「え、そうなんですか!?」

「たぶんね……ともかく、私の記事が終わったならこんどは向こうでアスナ達の手伝いをおねがいね」

「分かりましたー」


 朝倉はさよがアスナ達の所に向かうのを見届けるとポツリとつぶやいた。


「ネギ先生に今度お守りでも買ってきてあげたほうがいいかもね……最近特にシャレになってないみたいだし、でもこっちにファラリスとかいう神様のお守りなんかあったっけ?」


 かしましい少女達の喧騒の中、朝倉のつぶやきは誰にも聞こえることなく昼休みの教室に溶け込んでいくのだった。




 第34話「幻覚? 現実?」




「ええー! ネギ(アスナさん)とデートしろですってー!」


 その日の夕方、女子寮の一室でアスナとネギの声が部屋に響き渡る。その理由は、放課後に木乃香を筆頭としてタマモ、刹那による『アスナ応援プロジャクト』を発足させた事にあった。そしてその過程において、カモの提案によりアスナとネギのデートが全会一致により可決されたからである。


「そもそも高畑先生を学祭に誘うのになんでネギとデートしなきゃならないのよ!」


 アスナはネギとのデートがよほど不満なのか、発案者のカモに怒鳴りつけるが、当のカモはオコジョのくせに器用にタバコをふかしながら落ち着いて答えた。


「だから予行演習って言ったろ。恋も戦もようは慣れ、場数をふめば自然となんとかなるもんだぜ。だいたい姐さんはなんだかんだ言ってるけどデートなんかしたこと無いだろ?」

「うぐ……」


 アスナは事実をズバリと言い当てられ、思わず言葉に詰まる。しかし、それでもアスナは抵抗を諦めない。彼女は脇にいるネギをギロリと睨むと再びカモに対して反撃を試みた。


「そりゃ確かに私はデートしたこと無いけど、だからと言ってこんなガキ相手じゃデートの練習になるわけ無いでしょ!」

「うーん確かにネギ先生じゃ高畑先生みたいな渋さは無いわね、下手したら普通に姉と弟の買い物の雰囲気しかでないかもね」

「アスナは渋い叔父様が好みやからなー」

「ほら、木乃香もタマモちゃんもこう言ってるじゃない」

「でも、ネギ先生以外に手ごろな男性はいませんが……」

「…………」


 アスナはタマモと木乃香による予想外の援護射撃をうけ、なし崩し的にカモの提案を却下しようとしたが、その横から刹那による奇襲を受け、再び沈黙する。
 この時、アスナの頭の中に手ごろな男性のうんぬんという部分でとある人物の顔が浮かぶ。それは今年の春から妙に関わりが強くなり、今まで見たこともないくらいインパクトの強い人物の顔であった。 
 その人物とは、社会人にもかかわらず仕事中にもそのバンダナを外さない人物、そう目の前にいる横島タマモの義兄、横島忠夫の顔であった。
 アスナは横島の顔を思い浮かべた瞬間、即座にその顔を思考のかなたに追いやり、封印する。なにせ目の前にタマモと刹那がいるのだ、下手に二人を刺激してネギや木乃香のようにトラウマを背負い込むのゴメンこうむりたいところである。アスナは一瞬のうちにそこまで思考を纏めるが、その結果自分の身の回りにてごろな異性はネギしか残されていない事に気付き愕然とする。そしてアスナは全面降伏するかのように、涙ながらにカモの提案を了承するのだった。
 

「まあまあ姐さんそう落ち込むなって、そもそも予行演習なんだからそう真剣に考えなくたっていいじゃねーか」

「でも、いくらなんでも私の初デートがこんなガキだなんて……」

「そのことならいいもんが有るぜ」


 カモは落ち込むアスナを見かねたのか、ネギのロフトに駆け上がり、そこで何か薬瓶のようなものを持ってきた。その妖しげな瓶の中には、赤と青のカラフルな飴玉のような物がぎっしりと詰まっていた。


「赤い飴玉、青い飴玉年齢詐称薬〜!」


 カモは100年以上先に製造される耳の無い青狸のようにアイテムを誇らしげに掲げる。


「なんなのよ、その名前からして犯罪ちっくなアイテムは」

「まあ名前はともかくなかなか面白い薬だぜ、ほれ木乃香姐さん」


 カモは論より証拠とばかりにビンの中から赤い飴玉を一つ取り出し、それを木乃香に放り投げる。木乃香はカモから渡された飴玉をしばし見つめた後、それをおもむろに口の中に放り込み口の中でコロコロと嘗め回すと、やがて全員の注視する中でボンという音と共に木乃香は18歳ぐらいの姿に変貌していた。
 成長した木乃香は身長はおそらく160cm前後だろうか、今より確実に背が高くなり、なおかつ今まで着ていたタンクトップやジーンズがはちきれそうになるほどのスタイルをしている。もしこの場に横島がいれば確実にダイブするだろう。


「「な!」」

「見てみてアスナ、セクシーダイナマイツ」


 木乃香は抜群のプロポーションに育った姿を見せ付けるようにポーズをとると、アスナに向かって可愛らしくウインクをしてみせた。


「どんなもんでえ、これでネギの兄貴を年頃の男に成長させればデートの気分もでるってもんだろ」

「へー、中々すごいじゃない。じゃあ私も」


 カモが薬の効果を自慢げに示していると、木乃香の時と同じようにボンという破裂音と共に煙がタマモを包み込む。そして煙が晴れたそこには、やはり木乃香と同じように18歳ぐらいに成長したタマモの姿があった。
 ただ、木乃香との唯一の違いは木乃香は服のサイズが合わなくなったのと違い、タマモは服ごと変化しているらしく服のサイズはピッタリであった。


「そうか、姐さんは妖狐だからこういった変化はお手のものってわけか」


 ネギも含め、全員がタマモの姿に見惚れていると、木乃香が感嘆のため息をつきながら感想を述べる。


「ふわー、タマモちゃん綺麗やなー。けどタマモちゃん」

「なに?」

「なんでその格好で横島さんにせまらへんの?」

「変化って結構疲れるのよ、この格好でいられるのもせいぜい1時間ぐらいが限度だしね。まあ、幻覚を見せるだけなら別だけど」

「そっかー残念やわー……せや! タマモちゃん耳貸して」


 木乃香は何かを思いついたのか、タマモの耳を引き寄せてゴニョゴニョと何かを伝え、タマモは木乃香が何かを言うごとに頷いていく。そしてしばらくの後、密談が終わったのか木乃香がタマモの耳から顔を離すと、二人は顔に満面の笑顔を浮かべて刹那のほうを振り向いた。
 刹那は二人と目を合わせた瞬間、何故か背中に戦慄が走り、思わず壁際までゆっくりと後ずさろうとする。しかし、そんな刹那に対してタマモと木乃香は二人して同じような笑みを浮かべると手をワキワキと動かしながらゆっくりと刹那に迫る。


「た、タマモさん、それにお嬢様……いったい何を」

「なんでもないわよ、ただ明日のことでちょっとね」

「あ、明日ですか? ってタマモさんなんで背後に回るんですか! それにお嬢様、その手に持つ赤い飴玉をどうするつも「えい!」もがが」


 刹那はいつの間にか背後に回ったタマモに羽交い絞めにされ、さらに顔中に満面の笑みを浮かべた木乃香が問答無用で刹那の口に飴玉を放り込んだ。すると、三度ボンという破裂音と共に煙が刹那の姿を覆う。


「うわー、刹那さんすごいじゃない」

「美人になるとは思ってたけどこれは予想以上ね」

「せっちゃん綺麗やー」


 煙が晴れ、刹那の姿を見たアスナ達は一様に感嘆の声を上げる。


 ――すらりと伸びた手足、真っ白な肌。

 ――長く腰まで伸びた美しい黒髪、凛々しく鋭い眼差し。

 ――そしてタマモや木乃香に及ばないまでもメリハリの利いたプロポーション。


 そこにはタマモにも決して負けない、美しさと凛々しさを兼ね備えた美女がたたずんでいたのだった。


「タマモちゃん、これでええか?」

「バッチリよ、これで明日は面白い事になるわ」

「お嬢様、タマモさん。これはいったい……」


 刹那は話が見えないため戸惑いを隠せないでいたが、そんな刹那にタマモが耳に顔を近づけ、先ほどの木乃香と同じように何かを吹き込む。すると、だんだん刹那の頬が赤く染まり、話が終わるころには顔中真っ赤に染まっていた。そして密談が終わると刹那はしばし何かを考え込む仕草をした後、何かを決意するかのように顔を引き締め、タマモに話しかけた。


「あの、タマモさん。ちょっとお願いがあるのですが……」


 その夜、刹那のもう一つの秘密がアスナ達に打ち明けられることになった。



 翌日、横島は朝日が部屋を照らしてなお惰眠をむさぼっていた。本来ならもうこの時間にはタマモが来襲し、ありとあらゆる手段で横島を攻め、眠りの園から目ざめさせているのだが、肝心のタマモは昨日から女子寮に泊まっているため、横島は安心して朝の惰眠をむさぼり、夢の中の住人と化しているのだった。


 キィ――


 と、そこに極力音を出さないよう気をつけながら扉を開ける小さな人影が部屋に滑り込んできた。その人影は横島が未だに寝ている事を確認すると、忍び足で部屋に侵入し、忍者のように軽やかにタンスの上に登るとニヤリと哂う。そしてその人影は横島までの距離と天井の高さを確認すると背中を向け、まるで猛禽類のように高く飛び上がりそのまま空中で体を反転させ、そのまま全体重をかけて横島へとダイブするのだった。


「兄ちゃん、朝やでー!」

「ぐぼぇあー!」


 小太郎の捨て身のダイブ、それは一部のマニア達からは『シューティングスタープレス』と呼ばれるその大技は見事に横島の腹に決まり、横島は激痛と共に眠りの園から強制退去処分を受けるのだった。


「兄ちゃん、起きたか?」

「お、おうおはよう……じゃねえ! てめえなんちゅう起こし方をしやがるんだ! 危うく起床直行便じゃなくて冥土へ続くリニアに乗るところだったぞ!」


 小太郎の技がよほどいい場所に決まったせいか、横島は微妙に涙を浮かべながら小太郎をつまみあげると、恨みがましい視線で睨みつける。


「せやかて、この前普通にフライングボディプレスやっただけじゃ起きへんかったやんか。せやから今日はこの前ビデオで見た『しゅーてぃんぐすたーぷれす』っちゅーやつをやってみたんやけど」

「んな無駄な方向にパワーアップするんじゃねえ! 口から内臓が出るかと思ったぞ」


 横島は小太郎の頭に軽く拳骨を入れると気がすんだのか、すっかり眠気が吹き飛んだ表情で部屋を見渡す。


「まあいい、ところでタマモはどうした?」

「タマモ姉ちゃんなら昨日から刹那姉ちゃんところに泊まってるで、忘れたんか?」

「あ……そういえばそうだったな。じゃあ今日は俺が朝飯を作るのか……ちょっとまってろ今何か作ってやるから」

「兄ちゃんが作ってくれるんか!? 楽しみやなー」

「あんまり期待するんじゃないぞ、タマモほど料理は得意じゃねえんだから」


 横島は妙にはしゃぎだす小太郎に苦笑しつつも、トランクスにランニングという格好からこざっぱりとした部屋着に着替えると小太郎を引き連れて台所に向かうのだった。


 トントントン


 台所でリズミカルに響き渡る音はまな板でネギを刻む音。その脇では味噌汁がいい匂いを部屋中に行き渡らせ、さらにグリルでは油の乗った塩鮭が焼きあがろうとしている。


 ピピピピピ!

 
 と、次の瞬間、炊飯器からタイマーの音が鳴り響き、ご飯が炊き上がった事を知らせていた。


「えーっと、こ、これは……」


 横島は目の前の光景が信じられないのか、やや呆然とした表情で席に着く。そして目の前に置かれた盆に目を向けると、そこにはほかほかの白米に程よく油が乗った塩鮭、さらに油揚げの味噌汁に豆腐、まるで芸術的なまでに黄金色を放つ完璧な出汁巻き卵、そしてトドメとばかりに季節の野菜をふんだんに使った瑞々しい野菜サラダが完璧な配列をもって目の前で自己主張をしていた。
 この時、横島は何かの気配を感じてふと目を上げると、その対面にはまるでお預けを喰らった犬のように口からよだれを滴らせ、尻尾をブンブンと振っている小太郎が目に入る。その小太郎の視線は目の前の完璧な朝食にしっかりと固定されており、あと一分もこの体勢でお預けを続ければ、本当の犬のように悲しそうな声で遠吠えをしそうな雰囲気であった。


「あー……小太郎、気持ちはわかるがまずそのよだれを拭け。そしたら食っていいぞ」

「いただきまふ!」


 小太郎は横島が許可を出した瞬間、神速で箸を掴むとそのまま一気にご飯を掻き込みだした。もし今この瞬間に小太郎の目の前に手をかざしたら、間違いなく犬のような唸り声が聞けるかもしれない。横島はそんなことを考えながら自分も箸を取ると、改めて出汁巻き卵を口の中に放り込んだ。


「……うまい」


 横島は一声感想を漏らすと、自分の隣に目を向ける。そこには狐印のついた三角巾で頭を覆い、青と緑色をベースにしたかわいらしいエプロンを身に纏った――





 ――死神がフヨフヨと浮かんでおり、横島の言葉を聞くとペコリと小さくお辞儀をする。そう、この完璧な朝食を作ったのは死神だったのだ。


「あー死神、サンキューな。ただ……タマモがいる時は作るなよ。たぶんショックを受けるだろうから」


 横島は明らかにタマモより上手の料理に舌鼓を打ちながらも、普段食を預る自らの義妹をおもんばかってか、死神に釘を刺すのだった。そして当の死神は心得ているとばかりに胸を叩くと、あらためてかいがいしくお茶を注ぎ、小太郎におかわりをよそう。
 こうしてタマモのいない朝は平和に、実に平和に時を進め、横島はなにか物足りなさを感じつつもその平和な朝を堪能するのだった。


 そして1時間後。
 横島は珍しくジーパンにTシャツというラフな格好ではなく、黒のスラックスにカジュアルシャツを着、そして今は鏡に向かって選び抜いたネクタイを絞めている最中であった。


 ――シャーコ、シャーコ


「兄ちゃん、今日はこれから出かけるんか?」

「ああ、タマモと刹那ちゃんと約束しててな、10時から待ち合わせだ。ったく、せっかくのナンパ日よりだっつーのに」


 ――シャーコ、シャーコ


 横島は背後でヒマそうに突っ立ている小太郎を鏡越しに見ながらぼやく。今日のようによく晴れた日はその陽気もあって女性の服は総じて薄着であり、ナンパこそがライフワークとして公言してはばからない彼としてはまさに絶好の一日なのである。しかし、今日の学園祭のプレ公演は以前よりタマモに念を押され、さらに刹那が顔を真っ赤にしてまで自分を誘ったのだ。これをすっぽかすようでは男が廃るというものである。
 そしてなにより――


 ――シャーコ、シャーコ


 すっぽかした場合、背後でやたらと気合を入れ、これ見よがしに鎌を研いでいる死神の餌食になることは間違いないであろう。
 横島は死神が『盟約を破りし者』と札を貼られた巻き藁を一刀両断にしているのを鏡越しに見ながら、背中に感じる怖気を振り払うようにバンダナを頭に巻き、髪型を整えるのだった。


「ふーん、兄ちゃんは姉ちゃん達とデートなんか。じゃあ一人で家におっても暇やし、俺もどっかに遊びにでもいこかなー」


 小太郎は横島が出かけると知ると、両手を後頭部で組むと壁に寄りかかりながらぼやく。


「ああ、そうするといい。なんだったら学校の友達と一緒にお前もプレ公演に……ん、ちょっとまて」


 横島は小太郎に答える途中で何かを考えるようなしぐさをすると、突然懐から携帯電話を取り出した。どうやらマナーモードにしていた携帯に誰かから電話がかかってきたのか、横島はその相手の名前を確認すると少し驚いたような顔をして電話に出た。


「もしもし、突然どうしたんだ、まさかタマモに何か……いや、こっちは大丈夫そうだけど、するどいなー。へ、なにか霊感が騒いだ?」

「あの、兄ちゃん?」

「OK、こっちで身柄は確保しておくから迎えに来てやってくれ」


 横島はなにやら悪巧みめいたことを電話口でつぶやきながら、ハテナマークを浮かべる小太郎をよそに話を進める。そしてしばらくすると話がまとまったのか、携帯を懐にしまうとやたらとさわやかな笑顔で小太郎へと振り向くのだった。


「小太郎、どうやらお前の予定は決まったようだ」

「へ? それってどういう意味や」


 小太郎は突然のことに小首をかしげながら、傍らで鎌を肩に担いでいる死神と顔を見合わせる。すると横島は小太郎の反応を楽しむかのように、笑いながら小太郎に5千円札を手渡すのだった。


「さて、じゃあ小太郎はちょっと待ってろ今に迎えが来るからな。あ、それと死神、お前はちゃんと小太郎が逃げないよう監視しといてくれ」


 横島が戸惑う小太郎をよそに死神に話しかけると、死神は一瞬横島と顔を見合わせ、横島のほうは大丈夫だと確信したのか敬礼をしながら答える。そして鈍く光る鎌を小太郎の襟首にひっかけ、そのまま滑るように部屋を出て行くのだった。
 きっとこの後、死神のコーディネイトにより着飾った小太郎が出かけることになるだろうが、残念ながら横島はそれを見ることはできないだろう。なぜならタマモとの待ち合わせの時間が切迫しており、死神の監視から逃れられたといっても、やはりすっぽかしたら良くてヴェルダンは免れないだろう。
 横島はすっぽかした場合の末路を想像の彼方へと追いやりながら、最後に普段使うことのないヘアトニックをつけて髪をセットし、満足そうに鏡に映る自分に頷くとブツブツとつぶやきながら玄関へと向かうのだった。


「……なんや兄ちゃん、ぶつくさ文句言うとる割には結構気合はいっとるやんけ」


 横島が玄関を出て行くと、壁の影からひょっこりと小太郎と死神が顔を出した。そして二人して素直じゃない横島を見送りながら、今度は自分の番とばかりに小太郎は死神にいざなわれながら着替えをするのだった。
 そして10分後、事務所に現われた一人の少女――これでもかと気合を入れまくった雪広あやか――につれられ、小太郎は出かけてゆく。ちなみにこの時、横島が気を利かせて玄関先においておいた首輪とリードを見たあやかは震える手でそれを掴み、横島に心の底から感謝しながら密かに鞄の中に入れていたのだが、神ならぬ小太郎はそれを知る事はない。今はただ己の末路に気付かぬまま、プレ公演における買い食いに魂を奪われるのみであった。








「おそい……」


 タマモは待ち合わせ場所のオープンカフェの机に座り、目の前のアイスコーヒーを親の仇のごとく睨みながら頬杖を突いてぼやく。まだ手をつけていないアイスコーヒーの氷は既に解けきってすっかりぬるくなっており、かなりの時間をここですごしている事が窺える。


「なー、タマモちゃん」

「何よ」

「待ち合わせの時間までにはあと30分はあるえー」


 イラついているタマモを見かねて別のテーブルに座っていた木乃香が笑顔のまま突っ込みを入れると、タマモはプイッと目を逸らす。そう、彼女達は待ち合わせに指定した時間より1時間半も早く到着し、かれこれ1時間もこのカフェテラスで横島を待っていたのだった。


「お疲れ様、タマモちゃんはどうだった?」

「あかんなー、あれはだいぶイラついとるよー」

「まあ、しょうがないと言えばしょうがないんだけどねー」


 アスナはタマモの元から帰ってきた木乃香を迎えると、ミルクティーを差し出しながら苦笑をもらす。確かにタマモ達はすでに1時間も横島を待っている。しかし、タマモのイラつきの最大の原因は先ほどからひっきりなしに現われるナンパ野郎どもの撃退に疲れたからでもあった。
 アスナと木乃香はそのまま席に着くと、コツコツと机を指で叩くタマモと、普段の凛々しい覇気がどこへ行ってしまったのかと思うぐらいに大人しく俯いている刹那を交互に眺めた。


「二人ともこの1時間の間に5回もナンパされれば無理もないか」

「そのたびにタマモちゃんに睨まれてスゴスゴと逃げてったけどなー」

「2番目と4番目にナンパしてきたヤツは木乃香を見た瞬間に車より早く逃げってったけどね……」

「うちは何もしてへんで、せっちゃんの肩に触ったからちょっと怒っただけや」

「ならいいんだけどね……あの脅え方は尋常じゃなかったわ」

「クス……」

「木乃香、お願いだからその笑い方やめて。本気で怖いから」


 アスナは手にしたオレンジジュースを持ったまま、妖しく笑う木乃香に思わず机に額をこすりつけて懇願する。そしてアスナはこれ以上タマモ達がナンパされ、微笑みの闇巫女が表に出ないことを切に願うと同時に、一刻も早く犠牲の羊、いや救世主である横島が来る事を願うのだった。もし遅刻したらタマモ達が制裁を加える前に、今ならきっと出せるであろう完全版のハマノツルギで全力攻撃を叩き込むと決意しながら――
 

「あ、横島さんきたで!」

「え、ホント!?」


 木乃香の声に彼女が指差すほうを見ると、そこには傍目にも気合を入れているとわかる格好をした横島が自分達に向けて手を振っているところであった。そして当の横島は何故かタマモ達の所ではなく、アスナと木乃香のいるテーブルへ向けてやってくるのだった。


「おっす、アスナちゃんに木乃香ちゃん。二人とも珍しいところ出会うな。あ、ここ座っていいか?」


 横島は木乃香から了承を得ると、二人に対面するような形で椅子に座る。そしてキョロキョロと何かを探すようにあたりを見回し、一瞬とある二人組のいるテーブルに目を留めたが、すぐにアスナ達のほうへと向き直った。
 アスナと木乃香は横島が何故このような行動を取るのか、その意味を理解しているだけに二人で顔を見合わせるとお互いに小さく笑う。


「横島さん、誰か探しとるん?」

「あ、ひょっとして女の人と待ち合わせですか? もしかしてデートとか」

「いや、デートとかじゃなくてな。タマモと刹那ちゃんとで今日はプレ公演に行く約束をしてて、10時から待ち合わせなんだが……」

「そういうのは世間一般ではデートと呼ぶと思いますよ」

「両手に華というオプションもついとるしなー」


 横島はニンマリと笑って詰め寄るアスナと木乃香の迫力に若干押されながら、ひきつった笑みを浮かべる。


「でもアレですね、待ち合わせの30分も前に来るだなんて」

「てっきり来る途中でナンパしてると思うたのになー」

「いや、俺もまだ時間があるからそうしようかと思ったんだが……」


 横島はやや俯き、深刻そうな表情をする。そして何かに脅えるように肩をすくめた。


「今すぐに行かないと、ツインテールの女の子の持つ巨大な剣でぶった切られる。という妙に具体的なイメージで霊感が騒いだんでな……」

「ウフフフ、その霊感にしたがって正解でしたね……」

「……なんか本当に正解だったみたいだな。と言っても肝心のタマモ達はまだみたいだし、あと30分、本当にナンパでもするかなー」


 この時、横島はアスナに薄ら寒いなにかを感じていたが、すぐにそれを振り払うと両手を後頭部で組み、空を見上げる。その視線の先には真っ青な空に太陽が照り付け、その光を受けた金色の髪と白銀に輝く髪が心地よい風を受けてたなびいていた。


「……ん?」

「横島さん、タマモちゃん達だったら……」


 横島はこの時、視界の隅に見えた何かが気になったのか、アスナが何か言おうとしているのを無視してそのまま体重を後ろに預け、そのままそっくり返るように後ろを見る。すると、今まで視界の端に映っていただけの金色と白銀の髪が視界いっぱいに広がり、やがてその全容が上下逆さまに横島の目に飛び込んできた。
 それは二人の少女、いや少女と大人の中間、年のころ18歳前後の女性であった。
 一人は小柄な体に淡い空色のキャミソールと赤を基調としたチェックの入ったミニスカートを着た釣り目がちの女性であったが、何よりも目に付くのはその白髪の髪であった。その髪は肩にとどく程度のセミロングで、右側にかわいらしく小さなリボンをつけてアクセントにしてる。そしてその髪は太陽の光に照らされ、ともすれば白銀の輝きを放っていた。
 そしてもう一人の金髪の少女は先ほどの白髪の少女より長身で、横島より頭ひとつ低い程度であろうか、スラリとした肢体をデニムのショートパンツと袖なしのブラウスで身を包み、その活発そうなきつい瞳でなぜか自分を見つめている。
 二人の少女はこのカフェテラスに舞い降りた金と銀の天使のようでもあり、事実そのあまりの容貌のせいであろうか、さきほどからナンパ目的の男達が鷹の目をして遠巻きに包囲している。
 ここで普段の横島なら迷わずこの少女達をナンパしていたのであろうが、この時はなぜかその少女達に魅入られたように見つめるだけで、相変わらず椅子に座ってそっくり帰ったまま動こうとはしない。すると、横島を見つめていた金髪の少女が笑みを浮かべるとゆっくりと立ち上がり、傍らにもう一人の少女を引き連れてこちらに歩いてくる。
 横島はその二人に魅入られたまま、なぜ自分は彼女達をナンパしようとしないのか、20歳のみそらで枯れてしまったのかと嘆き、魂を震わせながら言うことを聞かない体を動かそうとする。しかし、その体は何か強力な術がかかっているかのようにピクリとも動かなかった。

 二人の少女は硬直している横島を他所に、ゆっくりと横島に近づきやがてその目の前に立った。そして金髪の少女はその細い腰に手を当て、風に九本の房をたなびかせながら横島を覗き込むとニヤリと笑った。


「ようやく来たわね。遅刻はしてないけど乙女を1時間も待たすようじゃ失格よ」

「……金髪、9本?……ってまさかタマモぉぉぉぉーぐべ!」 

「今頃気付いたの? まあ、私たちだと知らないでナンパして来たら本気で燃やそうかと思ってたけど、それは杞憂だったみたいね」


 横島がその少女の正体に気付いた瞬間、まるで金縛りが解けたかのように体が急に動き出し、その結果かろうじてバランスをとっていた椅子は地球の重力に引かれ、その上に乗った主をガッチリとホールドしたまま芸術的なバックドロップを決めたのだった。


「よ、横島さん大丈夫ですか?」

「あ、あだだだ。大丈夫、ちょっと頭を打っただけ……ってもしかして刹那ちゃん?」


 横島が盛大にコンクリートに後頭部を打ちつけ、のた打ち回っているともう一人の白髪の少女があわてたように飛び出し、ポーチの中からハンカチを取り出すとそれを横島の後頭部に当てる。
 ようやく痛みの引いた横島はそこでようやく顔を上げ、自分を介抱している少女が自分の良く知る少女とよく似ていることに気付く。そしてその少女、桜咲刹那は顔を赤らめ、ややうつむきがちに小さくうなづくのだった。


「えっと、一晩でえらくご成長遊ばされましたね……立派に、見事に、素晴らしく……」


 横島は地面に胡坐をかいて座り込み、呆然と二人を見上げる。その視線は無意識に二人の胸の辺りを交互に見つめ、ふと立ち上がると後ろにいたアスナと木乃香の胸とも比べ始め、小さくため息をつくとアスナ達、特に木乃香を悲しそうな目で見つめるのだった。


「よーこーしーまーさーん、ウチのどこと比べとるんかなー。これでも成長するとスゴいんよー」 


 横島の無遠慮な視線にさすがに温厚な木乃香もちょっとカチンと来たのか、どす黒いオーラを纏い、背後にゴゴゴゴと迫力のある擬音を浮かべながら氷のような微笑を浮かべて横島をにらみつける。するとアスナは即座にアーティファクトのハリセンを召還し、木乃香を正気に戻すべく漏れ出る瘴気を打ち払っていくのだった。


「あ、あははは。まあ、それはともかく、二人ともタマモと刹那ちゃんを見て何か思うところはないか?」

「思うところって、何もありませんけど」

「普段どおりやな、さすがにデートやからオシャレにはいつも以上に気合入ってるみたいやけど、それは横島さんもおんなじやからなー」


 横島は二人に言われて首をかしげながら改めてタマモ達を見つめる。しかし、何度見てもタマモと刹那は18歳かそこらにしか見えない。それなのにアスナ達はタマモと刹那を普段どおりというのだ。


「これはいったい……」

 
 横島はわけがわからず自分を取り巻く周囲に目をやる。するとナンパ狙いであろうか、タマモと刹那を取り巻くようにやたらとギラギラした漢達が終結していることに気づく。そしてその中の約8割はどこかで見たような顔だ。
 そう、あの屋台での乱闘のおり、横島を義兄呼ばわりしようとしたあの愚か者たちだ。


「ん? あいつらはたしか……」


 横島は野郎共の視線からタマモ達を守るような位置に立つと、周囲をけん制しながらいつでも文珠を発動できるようにしておく。


「あいつらはたしかタマモ達を狙ってたロリコンども……でも今のタマモ達はそうじゃなくて……あれ? ということは!」


 横島は何かに気付いたのか、取り出そうとしていた文珠をしまいこみ、ギギギという音とともにタマモに鋭い視線を向ける。すると、タマモは明らかに何かをごまかすようにその視線から目をそらした。


「タマモ……」

「私は何もしてないわよ」

「その素早い返答がものごっつあやしいんだが」


 横島はツカツカとタマモに近寄ると、その頬をむんずとつかみ、あろうことかそのまま左右にねじりあげた。すると、それを見ていた周囲の男たちから横島へ向けて怨嗟とも悲鳴ともつかない声があがるが、横島はそれを華麗に無視するとタマモに顔を近づけていった。


「いたた、何すんのよ!」

「やかましい! もうネタは上がってるんだ、大体俺だけにお前と刹那ちゃんが大人に見えるなんて芸当が出来るのはお前の幻覚能力しかないだろうが」


 横島はつかんでいた頬を離すと、今度は逃れようとするタマモの頭を引っつかみ、両手のこぶしでこめかみをグリグリとねじり上げた。

  
「ちょ、なにす! 痛い痛い!」

「だいたい二人が大人に見える幻覚だなんて嬉しい事をなぜもっと早く……もとい、やっかいな幻覚をかけて何をするつもりだ? それに刹那ちゃんの髪をわざわざ白くする追加オプションまでつけて」


 横島は普段タマモにやられている折檻へのささやかな復讐としてこの状況を存分に堪能していたが、この時鼻腔をくすぐるほのかな香水の香りと、自分の胸に押し付けるようにタマモを攻めていたために感じる柔らかい感触に、思わず本音をばらしそうになったが、即座にそれを言い直してタマモを問い詰める。だが、それに答えたのはタマモではなくその隣にいた刹那であった。


「横島さん、この髪の色は私がタマモさんに頼んだんです」

「どういうことだ?」


 横島はここでようやくタマモの頭から手を離すと、頭を抑えてうずくまるタマモを放置し、なにやら思いつめた表情で自分を見つめる刹那のほうへ振り返った。すると、刹那は胸のところで組んでいた手をぎゅっと握り締め、祈るように横島を見上げながらか細い声で答えたのだった。


「それは……この色が、この髪の色こそが私の本当の姿なんです」


 刹那は自分の烏族としての出生を横島に説明していく。刹那の説明によると烏族にとって白という色は不吉とされており、そのため白髪、白羽を持つ刹那は西に引き取られるまでかなりの迫害をうけ、その迫害から逃れるために髪を黒く染めていたのだった。



「そっか……」


 刹那の説明を一通り聞き終わると、全員をゆっくりと見渡す。誰も驚愕の表情を浮かべていないところを見ると、タマモ達はすでにその事を知っているようであった。
 横島は空を見上げて頭をかくと、自分の正面で不安そうに見つめる刹那の目を見た。刹那はタマモの幻覚の影響により大人の姿となっていたが、彼女の瞳はいつもとなんら変わることが無く、やがて横島の目に大人の姿ではなく、自分に笑いかける普段の刹那の姿が映し出されていく。
 横島はしばしの間刹那と目を合わせ、そしておもむろに刹那の手を掴み自分に引き寄せた。


「え……」

「「「おお!」」」


 刹那の驚いた声とタマモ達の何か期待したような声が耳に入る。と、同時に周囲のギャラリー、特に男たちからは先ほど以上の怨嗟の悲鳴が上がり、膨れ上がった殺気が殺気を呼び、男達は今こそ正義の鉄槌とばかりに手に手に得物を持ちながら奸賊を討とうとしたが、その前に立ちはだかったタマモと木乃香を前にし、その歩みを止める。


「あんた達、今大事なところなんだから手を出したら承知しないわよ」

「クス……」

「木乃香ぁぁぁー!」


 その原因は炎をまとったタマモの殺気だろうか、それとも暗い笑みを見せる木乃香の言い知れぬ迫力に押されたからだろうか、アスナの悲鳴と同時に男達は死という名の原初の恐怖に襲われ、蜘蛛の子を散らすように悲鳴を上げながら逃げ出していくのだった。
 一方、横島はそんな騒ぎにも気付かないまま、刹那を抱き寄せると刹那の髪を一房掴み取った。


「まったく、烏族のヤツらは見る目がないんかねー」

「横島さん……」


 刹那は急に横島に抱きとめられ、混乱する。顔を上げるとすぐ近くに横島の顔があり、それに気付いた刹那は見る見るうちに顔を真っ赤に染めるのだが、刹那は決して横島から眼を離そうとはしなかった。
 横島は自分がしていることの自覚が無いのか、そのままクシャクシャと刹那の髪をいじっていく。


「こんなに綺麗な髪が、ほんでこんなにかわいい刹那ちゃんがなんで不吉ってことになるかなー」


 刹那は横島を信じていた、だがそれと同じくらい不安も感じていた。しかし、横島はそんな不安をいとも簡単に吹き飛ばしたのだ。
 考えてみれば横島は刹那が烏族とのハーフ、つまり半妖であることを受け入れたのだから今更髪の色がどうとか、不吉で忌み嫌われた存在だとかを気にするなどありえない話であった。
 刹那は自分のすべての秘密を打ち明けられたこと、そして横島がそれを受けれてくれたことに天にも昇るような気持ちであった。そして嬉しさのあまり横島の背中に手を回して抱きしめ、自分の髪をなでている横島の顔を見つめながらその唇にゆっくりと自分の唇を近づけて――



「オホン……」


 ――刹那と横島の唇があと少しで重なろうとしたところで、無粋な咳払いが刹那の耳を打った。


「邪魔するのも野暮とは思うんだけどね……周りの状況を考えたほうがいいわよ」


 咳払いの主、それはタマモであった。
 刹那は熱にうなされたように上気した顔でタマモを見やると、そこには自分を呆れたように見つめるタマモが周りを指差していた。
 刹那は状況を理解できていないのか、しばしの間ぼうっとしていたが、やがてゆっくりと周りを見渡していく。そして刹那は急速に自分達がおかれた状況を理解したのだった。
 まず、刹那が思ったのは周りの反応だった。
 タマモは相変わらず呆れたように刹那を見つめている、そして木乃香とアスナは顔を真っ赤にしながら何か期待に満ちた目をしていた。それだけならばまだいい、しかしそのアスナ達の後ろや刹那の左右に群がる人だかりはなんなのだろうか、しかもその人だかりは示し合わせたように刹那を見ている。そしてここでようやく刹那は自分がどこにいるのかを思い出したのだった。
 ここは麻帆良学園内にあるオープンカフェである、となればこの場所は当然のごとくカフェの客や道を往来する歩行者達が満ち溢れている。ましてや今は学祭の準備期間でもあり、プレ公演もあるため人の往来はいつも以上となっているだろう。
 そんな場所で何をしていたかというと、横島に抱きつき、あろうことか未遂とはいえそのままキスまでしようとしていた。つまり、その過程をここにいる観客達にバッチリと見られていたということである。
 刹那は状況を完全に把握すると、まず最初に冷水を浴びたかのごとく青ざめ、次いでボンという音と共に見る見るうちに顔を赤くしていった。


「刹那、とりあえず逃げるわよ」


 タマモはそう言うと先ほどから硬直している横島と刹那の手を取ると、蹴散らしたはずなのにいつの間にか復活していた男どもによる横島への怨嗟の声を背に一気に加速してこの場を後にするのだった。
 一方、取り残されたアスナと木乃香は、突然目の前で繰り広げられたラブシーンに呆然としていた。


「なんかすごいもの見ちゃったわね」

「あーんタマモちゃんったらもう少し声をかけるの待とってくれてもえーのにー! こんなんだったら周りの人たちも追い払ろうておけばよかったー」

「別の意味でもすごいものを見たような気がするわ……」


 木乃香は寸前のところで刹那を留めたタマモに不満そうに口を尖らせているが、その脇でアスナは先ほど野次馬を蹴散らした木乃香の微笑みに戦慄していた。そして頭を一つ振ると、先ほどの映像を記憶の彼方に押しやり、何かをごまかすように木乃香へと話しかけるのだった。


「そりゃーいくらタマモちゃんだって、目の前で横島さんとキスしようとしてたら止めるわよ」

「えー、そーかなー? タマモちゃんだったら気にせずに後でしっかり自分も迫りそうな感じやったけどなー」

「確かにそうかも……」

「あ、そうや!」

「どうしたの?」

「つい、せっちゃん達に熱中してもうて忘れとったけど次はアスナの番やで、と言うわけでアスナもネギ君と濃厚なのをぶちゅーっと!」

「なんで私がそんなことしないといけないのよー!」


 アスナの絶叫を他所に、木乃香はどこまでも無邪気な笑みを浮かべてアスナを見つめている。刹那に取り残され、ラブシーンを見逃した木乃香の次の標的はどうやらアスナのようであった。








「ふう、ここまで来れば大丈夫だろう」


 あれから5分、横島達はオープンカフェから脱兎のごとく街中を走り抜け、ようやく一息入れていた。周囲を見渡すとそこかしこで学祭の準備や気の早いイベント、さらには屋台が出回って賑わっているが、追っ手の気配は無い。
 横島は一通り周りを確認すると、自分の左右で息を整えている二人の内一人を見下ろす。


「ところでタマモ……」

「なによ」

「いいかげんこの幻覚を解いてくれんか?」

「イヤ!」


 横島の頼みはタマモの一言で断られてしまった。タマモはプイッと横島から顔を逸らし、明後日のほうを見ている。


「イヤってお前……いつまでもこのままってわけにはいかんだろうが」


 横島は頭をかきながらぼやく。するとタマモは横島に見えないように刹那に合図を送ると横島の右腕を取り、まるで意識させるかのように胸に当てながら腕を組んでいく。


「あら、嬉しくないの? それにいつも言ってたじゃない、隣にいるのが横島好みの大人の美女だったらって、今こそその願いがかなってるじゃないの?」


 タマモは蠱惑的な表情で横島を見つめる。その表情は透き通るように美しく、横島を魅了して行く。それはまさに傾国の美女であった。


「あの、横島さん。私達じゃあ不満ですか?」


 横島は自分の右腕に当たるえもいわれぬ感触と、タマモの吸い込まれるような瞳に意識を奪われそうになっていたが、そこにさらに追い討ちをかけるように刹那が参戦していく。
 刹那は顔を赤くしながらおずおずと横島の左腕を掴み、そしてタマモと同じように腕を組み、心持横島に体を預けるように身を任せていく。
 横島は左腕に感じる刹那の暖かさと、鼻孔をくすぐる甘くいい匂いに混乱していた。


「うあああ腕に当たる感触がぁああー、いい匂いがー! ヤバイ、これ以上は俺の理性が……けどこれはタマモの幻覚だ、現実はタマモも刹那ちゃんも中学生なんだ、だから隣にいる大人な二人は幻でー! けど2、3年後には二人はこうなるわけでそれなら今の内にー!」


 横島はどうやら完全にテンパッっているようである。今は理性と煩悩がかろうじて拮抗しているようだが、やがてその大いなる煩悩に埋め尽くされるのは火を見るかのように明らかであった。しかし、それでも横島は今にも煩悩にとらわれそうになる自分を必死で抑制していた。
 以前の横島なら既にあふれる煩悩に身を任せていたかもしれない、しかし今の横島は必死にその煩悩と格闘している。それは多少なりとも大人になったからなのか、それともロリコンという汚名をかぶるのがそんなにイヤなのか、はたまた他の理由、それこそタマモと刹那を本当に大事に思っているからなのか、それは横島以外誰にもわからない。そして横島は絶望的な戦いの中、薄れ行く視界の隅で懐かしい人影を見たような気がした。
 その人影は横島の前に降り立ち、そして笑顔で横島を見下ろす。



 <<迷わずにGO!>>
 
 
 その声が聞こえた瞬間、それまでかろうじて持ちこたえていた理性という城は圧倒的な戦力を前に篭城むなしく落城するのだった。


「不満なんてとんでもありません、最高に嬉しいですぅううー!」 


 横島がタマモと刹那の魅力に崩れ去った時、先ほどの人影、平たく言えば神と魔王は互いにハイタッチをしてその姿を再び横島の意識下に埋没させていった。






 三人は学祭のプレ公演を存分に楽しんでいた。
 横島達はコンサートの練習風景や出店等を見て周り、それを堪能していく。ちなみにとある路上販売店で横島が二人にアクセサリをプレゼントし、二人が驚愕と共に横島に抱きついたのは余談である。
 そして今、横島達はとあるイベントブースに来ている。そこでは訪れた客達に好きな衣装で仮装しもらい、その写真を撮影するという完全にカップル向けのイベントだった。ちなみにその写真の一部は学園祭本番でパネル化して飾られるといった特典もついてくるらしい。

 横島の周りには大量のカップルがひしめき合っている、ここで以前の横島なら神を、そしてこの世の全てのカップルを呪いながら藁人形を打ち付けたのだろうが、今の横島の傍らにはタマモと刹那という美女が横島と腕を組んでいる。そのため、むしろ横島のほうが周囲からの呪われた視線を一身に浴びせられる運命に陥っていた。


「これじゃあ呪えないよなー」

「どうしたの?」


 横島がつぶやいたのに反応してタマモが不思議そうに横島を見上げる。
 

「いや、こっちの話だ、それに順番が来たみたいだぞ」


 横島は自分を見上げるタマモをはぐらかしながら二人を促し、イベントブースの中へと入っていく。そして横島は受付が男であることに少々がっかりしながら手続きを進めていった。
 そのころ、タマモ達二人は係員らしき女性に何かを確認すると、その係員に何事かを交渉していく。やがてその交渉が終わると係員は横島とタマモ達を交互に見、面白そうに笑みを浮かべてタマモ達に親指を立てて見せた。そして横島たち三人はそれぞれ別の係員に連れられて更衣室に案内されるのだった。
 横島は案内された更衣室に着くと、予め用意してある衣装に着替えていく。


「なんだこりゃ?」


 一通り着替えを済ませ、近くにあった姿見で自分の姿を確認した横島は思わず疑問の声を漏らした。
 横島が見つめる先には、白いタキシードを着込み、バンダナをした青年が不思議そうな顔をして自分を見つめている。
 横島は左腕をその人物に向かって振ってみた。するとその人物も同時に右腕を振る、どうやら鏡に映っているのは自分に間違いなさそうである。
 横島は最初着る服を間違えたのかと思ったが、周りを見るに今着ている服以外はここになく、そのため首をかしげながらそのまま撮影スタジオへ足を向けるのだった。
 撮影スタジオに着くと、どうやらタマモと刹那はまだ着替えが終わっていないらしく、しばらく待っていてくれとの事だった。横島の目の前では男性スタッフが撮影機材の準備にいそしんでおり、とても話しかける雰囲気ではない。
 10分後、横島は椅子に座りながらぼうっと機材の準備を眺めていると、やがて着替えが済んだのか、タマモ達の声が廊下から聞こえてきた。


「まったく、おせーぞ。いくらなんでも時間がかかりすぎ……」


 横島はスタジオに入ってきたタマモと刹那に一言文句でも言ってやろうとしたが、その言葉を最後まで続けることは出来なかった。


「ゴメンね、さすがにこの衣装は着替えるのに時間がかかったからさ」

「あの、お待たせして申し訳ありませんでした」


 横島の視線の先には、白いドレスに身をつつんだ二人がいた。
 タマモは薄いヴェールをかぶり、ノースリーブに胸元に花をあしらったような飾りのあるドレスを着込み、肘まである白いグローブを身につけ、その胸元には先ほど横島がプレゼントしたネックレスが輝いている。
 一方、刹那はやはりタマモと同じようにヴェールをかぶり、肩のところで引っ掛けるような形の飾り気のないベーシックなドレスを着込んでいる。ただ、そのドレスの腰の部分に一つだけある花のアクセサリと、刹那の首にかかっているやはり横島がプレゼントしたネックレスが絶妙な調和を生み出し、刹那の魅力を寄り一層強調していた。
 二人が身に纏っているのは所謂ウエディングドレスというものである。しかも横島はタマモによる幻覚の作用で、二人の姿が自分のストライクゾーンにバッチリ入っていることから冷静でいられるはずも無く、呆然と二人を見詰めるだけであった。


「あ……う……」


 横島は言葉も無く二人を見つめている。


「ねえ横島、似合う?」

「横島さん、いかがですか?」


 二人は横島の下にやって来ると、はにかみながら横島の感想を待つ。横島は刹那とタマモを呆然と見つめていたが、やがてポツリとつぶやいた。


「綺麗だ……」


 タマモは横島の呟きを聞くとひそかにガッツポーズをし、そして刹那は恥かしそうにうつむく。そんな三人を撮影スタッフは微笑ましく眺めていた。

 



 気がつくと横島は麻帆良大橋そばの川原に座り込んでいた。周りを見渡すと既に夕方に差し掛かっているらしく、周囲は赤く染まりつつあった。
 どうやらあまりにもショックが強かったらしく、かなりの時間をここでぼうっとすごしていたようである。あの後、なにやら何枚も写真を取っていたような気がするが、どうにも頭がはっきりしない。
 横島はスタジオでの出来事を思い出すのを諦めると、自分の状態を確認する。すると、足を伸ばした状態の太ももに妙に生暖かい感触を感じた。
 横島が目を落とすと、そこにはタマモと刹那が横島の足を枕にして気持ち良さそうに眠っていたため、一瞬ギョッとして身を起こそうとしたがかろうじてそれを押さえ、二人を見下ろす。
 すると横島はあることに気付く。
 横島の視線の先の二人の姿が元の姿に戻っていたのであり、刹那は元の黒髪に、タマモは魅力的な胸が小さくなって中学生らしい体つきとなっていた。
 どうやらタマモの幻覚効果がようやく切れたようである。
 横島はすこし残念そうにため息をつくと、気持ち良さそうに眠っているタマモと刹那の髪をそっとすくった。


「やれやれ、今でも十分危ねえって言うのに、これから先あんなに魅力的に育っちまったら俺はどうなるんかなー」

「ん……横島?」

「横島さん……」


 横島が記憶に強烈に残るタマモと刹那のウエディングドレス姿を思い出していると、横島の気配を感じたのか二人が目を覚ます。横島は眠そうに目をこする二人を微笑ましげに見つめながら、それまで触れていた二人の髪からそっと手を離した。


「おう、起きたかこのネボスケども」

「何を人聞きの悪い、だいたい横島がいつまでたっても現世に帰ってこないのが悪いじゃない」

「まあまあタマモさんいいじゃないですか、どうやら帰ってきたようですし」


 タマモもそれ以上追求するつもりがないのか、刹那がなだめるとそれに従って立ち上がり、背中についた草を二人してはらう。そして二人は横島の方を向くと横島に手を差し出した。


「さて、とりあえず今日は十分に楽しかったし帰りましょう。ほら起きなさい」

「横島さん、今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「あ、ああ……」


 横島が夕日に照らされた二人を見上げると、そこには何故か大人の姿をした二人と、その向こうに懐かしい女性のシルエットが目に入った。横島が驚いて目をこすり、再び目を開けると、そこにはそんな自分を不思議そうに見下ろす二人の顔があるだけで、そこに見えたはずのシルエットの姿はどこにも無い。


「どうしたの?」


 タマモが不思議そうな聞いてくる。すると横島はなんでもないとばかりに頭を振ると刹那とタマモの手を掴み、体を引き起こす。


「いや、ちょっと幻を見ただけだ……懐かしい幻をな」


 横島はそう言うと二人の手を取り、家に向かって歩いていく。
 家に向かって歩いていく中、横島は今はもう会えない女性のことを思い出していた。


(そういえばアイツも得意技も幻術だったな……さっきのはアイツが見せてくれた幻かもな)

「ねえ、横島。そろそろ歩くペース上げないと小太郎が腹ペコでダウンするわよ。あ、刹那、今日はウチに泊まっていくといいわ、明日日曜日だしかまわないでしょ」


 横島が物思いにふけっているとタマモが腕を引っ張るように家路へとせかす。横島はそんなタマモに苦笑を浮かべながら、幻となって消えた彼女のシルエットにそっと別れを告げたのだった。



 そして同時刻、学園内のとある場所にて。


「ふも、もふふ! モグモグ!」

「うふふふ、たくさん食べてくださいね」


 雪広あやかは学園内にあるとあるレストランで、小太郎とともに夕食を食べていた。そのあやかの目の前では、次々と運び込まれる料理の数々に目を輝かせている小太郎がおり、その小太郎の尻尾は無上の喜びを表現しているのか、千切れんばかりにパタパタと振られていた。
 あやかはそんな小太郎を微笑ましげに見つめながら、そっと鞄の中に手をれる。そして鞄の中であるものを掴むと、ギュピーンと目を光らせ、ハァハァと荒い息を吐きながらこれからの帰り道を夢想するのだった。

 雪広あやか、自他共に認めるショタコンの彼女、その彼女の夢見る先は何なのだろうか、それは鞄の中で握り締めた首輪とリードだけが知っている。
 ともあれ、小太郎の未来に幸あらんことを。




第34話 end





「うわーん、タマモさんゴメンなさーい!」

「ネギ先生、アンタは何回同じ失敗すれば気がすむのよー!」

「アスナさん助けてー!」

「今回ばかりは同情しないわ、せいぜい死なない程度にしかられて来なさい」

「いやあああああー!」


 次の週の月曜日、すでに麻帆良の風物詩と化した感のあるネギの悲鳴とタマモの怒声が教室に飛び交っている。そこでは涙を流しながらタマモから逃れようと、時折残像を残しながら逃げるネギと、それを追うタマモの姿があった。なんとも嫌な風物詩だ。


「ふう、部活のほうはこれでよしっと……あれ、ネギ君またなんかやっちゃった?」


 アスナ達がネギの命を懸けた鬼ごっこを何とはなしに見つめていると、朝倉が部活の準備を終えて教室に帰ってきた。


「またネギがやらかしてね、んで今はお仕置き中」

「いったい何をやったてのさ、タマちゃん相当怒ってるみたいだけど」

「さっきネギがくしゃみをしてね、それでタイミング悪くその時教室に入ってきたタマモちゃんのパンツを見事にピンポイントで吹きとばしたのよ」


 アスナはその時の状況を思い出しながら呆れたようにつぶやく。ちなみに今のタマモはパンツが吹き飛ばされた後、即座に更衣室に駆け込んで体操服に着替えている。


「あっちゃー、それはご愁傷様。しかし間に合わなかったか……」

「間に合わなかったかって何かあったの?」

「いや、最近ネギ君に災難が多いからお守りでもと思って八方手を尽くしてたら、ちょうどいいものが手に入ったんだよ」 


 朝倉はそう言いながら懐にしまったものを取り出し、アスナに見せた。


「何よこれ、馬?」


 朝倉が取り出したもの、それは一頭の馬が移っている古い写真であった。アスナはなんでこれがお守りになるのかと朝倉に問い詰めようとすると、それを制するように朝倉が説明を始めた。


「この馬はイギリスの馬でさ」

「イギリス? それってネギのいたところよね」

「そう、それでこの馬はセントジョージハンデキャップ、ジューンステークス、チャレンジステークスなど24戦16勝、獲得賞金26294ドルといった活躍を残した馬で……」

「あー悪いけど何を言ってるのかわかんないんだけど、結局なんでこれがネギのお守りになるの?」


 アスナは長くなりそうな朝倉のセリフを途中でさえぎり結論を求めた。


「あ、ゴメンね。まあ早い話がこの馬の名前が重要でさ」

「名前?」

「そう、名前。この馬の名前を聞けばネギ君の気休めにでもなるんじゃないかなと」

「ふーん、で、なんていうのよこの馬は」


 アスナはやたら勿体つける朝倉をせかせるように先を進める。
 すると朝倉はそれに気を悪くした様子も無く笑顔で答えた。


ファラリスって言う馬だよ」

「は?……」


 周囲を沈黙が支配する。
 いや、実際にはネギの悲鳴と打撃音、そしてあやかによる必死の抵抗の声があったのだが、アスナの耳には入ってこない。


「ごめんけどもう一度言ってくれないかな?」

「あれ、聞こえなかった? この馬はファラリスって言う名前だよ、まあ察してるとは思うけどネギ君の神様と同じ名前。というわけでこれ、ネギ君に渡しといてね」


 朝倉はそう言うと写真をアアスナに手渡すと再び教室を後にしていった。


「……どうすんのよこれー!」


 残されたアスナは手にした物を渡した後のことを思い、絶叫と共に苦悩するのであった。


「泣け! 叫べ! そして……死ねえ!」

「タマモさんなんでいきなりオロチの血に目覚めてるんですかー!」


 そのころ、タマモは奥義『八稚女』をネギにネギに叩き込み、KO勝利を決め、その足元ではネギが血の海に沈んでいる。もっとも即座に神への祈りとともに復活しているあたり実にしぶといと言えよう。
 その後、ネギはアスナから受取った写真を生涯の宝物にしたという、もっともご利益の程は定かではなかったようである。




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