ここは麻帆良女子中等部学生寮、そのとある一室で小さな黒い影がうごめいている。その影は自然な動きで部屋の隅に移動し、静かに照明のスイッチを切る。
部屋の中からは突然の暗闇に驚いたのか、少女の悲鳴のような声があがった。その部屋の中の気配は5人、どうやらその悲鳴はその中の一人から漏れたもののようだ。だが、部屋を蠢く影はその悲鳴にも動じることなく暗闇の中を音も無く移動し、やがて目的の場所にたどり着く。
――カチッ!
何かスイッチを押したような音が響き渡り、それと同時に部屋の中央に光が集まりだし、その光は見る見るうちに収束して部屋の一角を照らし出した。
『プロジェクトA 玉砕者達』
「ちょっと待ちなさい、そのタイトルは何よー!」
部屋の中央に置かれた大画面プロジェクターが映し出したタイトルを見て、その場にいた少女、神楽坂アスナが叫んだ。しかし、その叫び声は目の前の映像と共に響き渡る某国営放送で放映していた漢達の熱き戦いを描いた番組のBGMにかき消されていく。
改めて説明しよう、ここは麻帆良学園女子中等部女子寮、その中のアスナ達の部屋である。そして今、部屋の住人であるアスナと木乃香にネギ、それに加えて刹那とタマモが、なにやら死神が持ち込んできた記録映像を観賞しようとしているところである。
タマモ達はプロジェクターを操作している死神に跳びかかろうとするアスナを取り押さえようと苦労しているが、そんな騒動の中でも映像は途切れることなく続いていく。
その映像はとある少女と、同い年ぐらいの少年の微笑ましいデートの様子が、場を盛り上げるテロップと共に映し出されている。さらに映像はその少女の過去、中学1年生のころからの思い人へのアタックの様子も映し出されていく。そして映像と音楽はやがてクライマックスへ到達し、それと同時に画面は暗転してテロップを映し出した。
<その時、少女は信じられないものを見た>
そのテロップの後には、少女の思い人がとある女性とデートらしきものをしている映像が映し出されたのだった。それを見た少女は傷つき、傍らにいた少年を置き去りにして駆け出していく。
傷心の少女は少年の制止の声を振り切り、街中を爆走していった。
どれぐらい走っていただろうか、少女は気がつくと夕日の差し込むテラスに立っていた。そのテラスからは巨大な樹木と、街が一望できる。
少女は夕日に染まった街を見渡しながら、先ほど見た光景を思い出していた。
「僕はアスナさんのことずっと好きでしたよ」
その時、少女の背後から声をかける存在がいた。
その声に驚いて振り返ると、そこには先ほどまで一緒にいた少年によく似た10歳くらいの少年が、ぶかぶかの服を纏いながら笑顔で少女を見上げていた。
少女は顔に驚きの表情を浮かべて少年を見つめ、そしてしばしのやり取りの後、少女はガマンしきれなくなったかのように笑い出す。そしてその少女はなにかが吹っ切れたのか、思い人へ告白する事を決心するのだった。
少女の内なる思いがテロップで流れた後、カメラはゆっくりとズームアウトし、やがて画面は暗転してとあるテロップを映し出した。
<運命の日まで……あと4日>
「……」
「アスナ、傷心旅行の費用、すこしならカンパしてあげるわよ。さすがに沖縄とか北海道やパララケルスまでは無理だけど……」
「アスナさん、元気を出してください。アスナさんなら絶対に成功すると思います……たぶん」
「ちょ、傷心旅行って失恋確定!? それに刹那さんはたぶんって何よ、たぶんって!」
映像を見終わった後、プルプルと震えながら沈黙していたアスナだったが、タマモと刹那による励ましなのか、それともトドメなのか些か判断のしずらい声援を受け、思わず目をギロリ光らせながらタマモ達を振り返る。すると、二人は何かを誤魔化すようにプイっと視線を逸らす。さすがの二人でも、恋に焦る一人の少女をこれ以上追い詰めるのは危険と判断したようであった。
しかし、タマモ達のその配慮も無駄に終わる事になる。なぜなら、アスナが納得いかない表情をしつつも座りなおそうとしたその時、まるでタイミングを見計らったかのように、スピーカーから往年の香港アクション映画の金字塔となった映画の主題歌が大音量で流れ出すのだしたからであった。ちなみにその映画は沿岸警備隊と海賊の戦いを描き、当時の香港3大アクションスターが揃い踏みした名作である。
ともかく、その音楽が流れ出すと共に、再び画面に先ほどの少年と少女の姿が映し出されるのだった。そしてそこに映し出された少年と少女は、まるで香港映画のNG集のごとくハプニングを巻き起こしていく。
その内容はといえば、あるときは少年が少女の胸を鷲掴みするシーンがあり、またあるときは描写すると色々と不都合が生じるお色気シーンなど、実に多岐にわたっている。しかし、その中でも極めつけは、傷心の少女が少年を振り切って街中を爆走していくシーンであった。
そのシーンとは、少女は踏みしめた足で石畳を破壊し、道のカーブを無視して建設中の模擬店の中を突っ切りながら爆走していく姿であった。
ちなみに、その時の被害を概略でまとめると、以下のようになる。
建設中の模擬店舗 : 大破4、中破6。
展示用オブジェ : 全損2、大破3(後に修復不能と判定)、小破12。
その他主要建築物および街路: 延べ破壊面積 1000u、他人的被害多数。
この惨劇は後々まで『麻帆良のマッドカーニバル』として長く語り継がれていくことになったという。
やがて、すべてのNGシーンが終わったのか、音楽が徐々に小さくなり、やがて途切れる。それを見終わったアスナはしばしの間無言のまま俯いていたが、おもむろに立ち上がると、反転した木乃香を髣髴させる笑みを浮かべながらゆっくりとプロジェクターへと近付いていく。その目的はもちろんプロジェクターの破壊であろう。しかし、さすがに高価なプロジェクターをみすみす破壊させるわけには行かないため――ましてこれは学校の備品でもある――木乃香を除いた全員が一斉にアスナへと跳びかかり、すんでの所でプロジェクターを理不尽な破壊の嵐から守ったのであった。
「あれ? まだ続きがあるみたいや」
と、そこに木乃香ののほほんとした声が部屋に響く。その声に反応して全員が画面を見ると、スタッフロールが終わったにもかかわらず再生は続き、やがて画面にはどこかのスタジオらしき映像が映し出されていく。そしてそこに現在の騒動の下手人が悪びれた表情もなく姿を現す。
「やっほー、アスナ。ネギ先生との初デートはどうだった?」
騒動の下手人、それは彼女達のクラスメイトである朝倉和美であった。彼女は画面の向こうでにこやかに手を振りながら、まるでアスナがそこにいるのがわかっているかのように声をかける。
するとアスナは信じられない馬力を発揮し、タマモと刹那を一瞬で振り払い、ネギを首元にまとわりつかせたまま朝倉に詰め寄るのだった。
「朝倉ー! これはアンタのしわざなの!?」
「そうだよ、さよちゃんと死神君から情報もらってさ、これはもうアスナのためにも記録に残さなきゃと思って」
「余計なお世話よー!」
「まあそう言わないで、これでも編集に苦労したんだよー。あのあとアスナの破壊活動を映画の撮影って事でごまかして、破壊の跡を復旧するのは大変だったんだから」
「うぐ……」
何故か画面の向こうにいる朝倉と会話を成立させているアスナであった。ちなみにこれは決して生中継ではない事をここに記しておく。
「タマモさん、この映像って死神さんがもってきたDVDの中にある映像なんですよね?」
「そのはずよ……だけど見事に会話を成立させてるわね。ほら、今なんか突っ込みのタイミング完璧」
「ということは、このやり取りはアスナさんの返答を先読みして……」
「見事としか言えないわね。ここまで完璧に言動を読むなんて、さすがだわ」
「アスナって基本的に単純やからなー。ここまで完璧に読まれるといっそすがすがしいくらいや」
タマモ達はアスナに振り払われた後、床にペタンと座りながら、画面の向こうにいる朝倉と会話を成立させているアスナを生暖かい視線で見つめていた。そしてその間もアスナと朝倉の会話はだんだんとエキサイトしていく。その会話の流れにはいっさいの淀みも、違和感もない。これはアスナの言動を先読みした朝倉がすごいのか、それともこうも簡単に読まれるアスナが単純すぎるのか判断に迷うところである。
「だいたいなんでこんなことするのよ!」
「いやー、せっかく情報が手に入ったし死神君も全面協力してくれて、いい絵もたくさん取れたもんだからね。これはもうアスナの結婚式の時に披露するためにもはずせないっしょ」
「あんたというヤツはー!」
「というわけで『プロジェクトA(アスナ)』楽しんでもらえたかな? あ、ちなみにこのDVD破壊してもこれはコピーだから無駄だよ、というわけでさよーならー」
「こら、待ちなさい、マスターディスクよこせー!」
アスナの絶叫を他所に、今度こそ全部終了したのか画面は完全に暗転している。残されたのは暗闇の中、うつろに笑うアスナと、それを遠巻きに見つめるタマモ達だけだった。
「うふふふふふふ」
「あ、アスナさんしっかりしてください」
うつむいてうつろに笑うアスナにネギが恐る恐るという感じで近づいていき、そして下から覗き込むようにアスナの顔を見た。
「ヒィ!」
ネギは何か見てはいけないものを見たかのように後ろに後ずさり、そして部屋の隅で小さく震えだす。アスナはそんなネギを一顧だにせず不気味な笑い声を響かせていった。
「うふふふふふあはははははあーっはっはっは!」
「ア、アスナが壊れてもうた」
「アスナさん気を確かに、なんか変なオーラが漂って……」
木乃香と刹那がアスナの様子にドン引きしていると、やがてアスナの笑い声が最高潮に達し、ピタリとやむ。そしてゆっくりと木乃香達を振り返り、タマモのもとへやって来ると、おもむろに右手を差し出した。
「タマモちゃん……」
「いくつ?」
「5トン!」
ただこれだけのやり取りでタマモは全てを察したのか、どこからともなく取り出したハンマー(5t)をアスナに手渡す。
「アスナ、フォローはするけどなるべく怪我させないようにね、最悪でも命は残しておいてよ」
「……努力するわ」
「ちょっとタマモさん、そんな凶悪な物渡さないでくださいよ! それにアスナさんさっきの間はなんですか!」
「だうんとぅーへる!」
「それ発音が違います、ていうか地獄に落ちろって処刑確定ですかー!」
「あぁぁぁぁぁぁ〜さぁぁぁぁぁぁ〜くぅぅぅぅぅぅぅ〜らぁぁぁぁぁぁ〜!」
ネギは何とか場を治めようとアスナにしがみ付くが、アスナはそれをものともせず悠然とドアを開けて部屋を出て行った。
向かう先は間違いなく怨敵、朝倉和美の部屋であろう。
「えっと……せっちゃんどうする? アスナを止めんとヤバそうやけど」
「そうですね。けど朝倉さんの部屋の隣はあやかさんですし、すぐにとりなしてくれるでしょう」
「あ、それ無理」
「あの、タマモさん。それは何故?」
「んー、昨日アヤカは小太郎とデートしてたみたいなんだけど、どうやらその時になんかあったらしくてね。さっき見たときはまだベッドの中で失意にくれてたわ。あの様子じゃ復活するのは明日の朝かしら」
「……いったい何が……ってちょっと待ってください。ということはアスナさんを止める人は?」
「いないっちゅーことやな」
「……朝倉の冥福、今の内に神に祈っておいたほうがいいのかもしれないわね」
「そうですね……あ、お嬢様。お祈りは私とタマモさんでしておきますので、どうかお気になさらないでください。今はそれよりもアスナさんを回収してきてください、たぶんアスナさんの前で微笑んで見せたら一発で元に戻ると思いますから」
刹那はおもむろに腕を組み、神に祈りを捧げようとする木乃香を間一髪で制し、笑顔のまま木乃香を外へと送り出す。ちなみに刹那はアスナとは違い、裏木乃香の存在を明確に認識していないのだが、ここ最近の騒動――ヘルマン戦の翌日や図書館島での出来事――により木乃香が神に祈るのをかろうじて防ぐのだった。
それから10分後。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
「アスナさん殿中ぅぅぅー!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
麻帆良女子中等部女子寮は、鬼も裸足で逃げだす少女の哂い声と、それを制止する少年の声、さらにひたすら謝り続ける少女の声をBGMに、夕日に染まった空を背景にして夏の訪れをつげるひぐらしの声と共に夜を迎えるのであった。
ちなみにその日、笑い声はとある少女が乱入した瞬間、恐怖の叫びと共に静まり返ったと言う。そこで何があったのか、その現場にいた当事者は後にいたるまで沈黙を守り通したため、最後まで謎であった。
「もふもふ、はぐぐぐ、もけけけけけー!」
「ふもももも、はむ! おきゅきゅきゅきゅ!」
女子寮で静かに夜が更けるころ、ここ横島邸では死神謹製の夕食をがっつく二匹の獣がいた。その二匹の獣は食事中の擬音としてはいささか疑問の残る音を残しながらも、またたくまに夕食をすませると、死神がついだお茶を飲みながらまったりとしていく。
「ふう、食った食った」
「むむむ、タマモ姉ちゃんのメシも美味いけど、死神のメシも美味いなー。昨日食ったレストランにも負けてへんで」
「昨日はお前も楽しんだみたいだな……あれ? でもなんで帰るときにあやかちゃん元気がなかったんだ? せっかく気を利かせて最高なアイテムを置いておいたのに」
横島はここでふと昨夜のことを思い出す。昨夜あやかと小太郎はいつのまにか横島が気付かぬうちに帰ってきており、横島はヨロヨロとした足取りで帰ろうとするあやかの後姿を見たのである。
「やっぱりあれは兄ちゃんやったんか……あの時メシ食うとったらあやか姉ちゃんが急に首輪を渡すもんやからビックリしたで」
「んでその首輪はどうしたんだ?」
「つけたよ、なんや姉ちゃんは狂喜乱舞しとったけどな」
「じゃあなんであんなに落ち込んでたんだ?」
「さあ? よーわからんけど、帰る時は犬の姿になっとったら急にがっかりしてもうて……首輪をくれるっちゅー事は犬と散歩したいんやろ? どういうことなんやろか」
「……」
横島はあっけらかんとした表情で自分を見上げる小太郎を他所に、無言のまま天井を見上げながらそっと涙する。その脳裏には、レストランの帰り道で心の中で涙を流し、されど表面では笑顔をたやさぬあやかが、犬と化した小太郎の引き綱を握っている姿がありありと浮かぶのだった。
それはかつて、美神によって散々期待させられた挙句、無残に散っていた己の欲望と根源を等しくする映像であるため、横島はあやかの失意の度合いが痛いほどわかるのであった。そして横島は心の中で決意する。
――今度はムチとロウソクのセットをさりげなく置いておこう――と。
一つの危機を脱したはずの小太郎であったが、それはあらたなる悲劇の呼び水に過ぎないのかもしれない。ともあれ、小太郎の未来に幸あらんことを切に願おう。
第35話 「さまざまな決意」
「で、明々後日には学祭が始まるけど、その後どうなったのよ」
女子寮での惨劇から一夜明け、アスナ達とタマモは登校中に合流して学校へ向かっている。
「朝倉ならあの後に死の恐怖をたっぷりと……骨の髄まで」
「いや、それは知ってるから……そっちじゃなくて高畑先生のほう。ちゃんと誘ったの?」
「うぐ……」
タマモは沈黙するアスナをうろんな瞳で見つめている。さらにその脇にいたネギと刹那が、なにやら焦ったような表情でアスナを問い詰めていく。
「ってアスナさん、まだ高畑先生を誘ってなかったんですか!?」
「さすがにそろそろまずいんじゃないでしょうか?」
「わかってる、わかってるけど携帯持つとどうしても手が震えて、さらに心臓バクバクして息もできなくなってダメなのよー!」
アスナは今まさに携帯を手にし、高畑へ電話をかけようとするが、その手は確かにプルプルと振るえており、とてもまともに電話をかけられるような状態ではなさそうである。
「アスナって普段はそん所そこらの男よりも雄々しいのに、なんでこういう所は情けないのかしら?」
「まあ、それはアレだ。こういったことで釣り合いが取れてるんだと思うぜ」
タマモはネギの肩に止まったカモと共に、深いため息をつく。たしかに普段の行動はヒロインどころかヒーローと呼んで差し支えないほど雄雄しいのだが、やはり年頃の中学生にとっては恋と言う名の美酒はいささかきつ過ぎるのであろう。
「そこ、外野は黙っててー! だいたい情けないとか言うけど、普通好きな人をデートに誘おうと思ったらコレぐらい緊張するのは当たり前よ!」
「そうなの?」
「そうよ、タマモちゃんだって覚えがあるでしょ? 初めて横島さんをデートに誘う時はドキドキしたよね?」
「うーん、初めてのデートの時というと……」
タマモはアスナに言われ、横島をデートに誘ったときの事を思い出す。
<2年前>
「ねえ横島、お願い……」
タマモは横島の目の前で祈るように両手を組み、潤んだ瞳で横島を見上げている。この技は、おキヌが愛読する女性週刊誌に載っていた伝統的なおねだり方法らしく、これに耐えられる男は皆無とうたわれるほどの威力を持つはずである。ましてやタマモは年齢はともかく、れっきとした美少女であるからその破壊力は想像を絶するものがあった。
事実、彼らの周囲にいる多数の男性陣は、萌え血を噴出しながら屍を路上にさらしていた。だが、横島はタマモの猛攻にかろうじて耐えていた。横島はタマモの潤んだ瞳から目をそらさず、全身から脂汗を噴出しながらもタマモの誘惑を振り払うべく己の決意を宣言した。
「断る!」
「そんな! この私がせっかくディナーに誘ってあげてるのにそれを断ると言うの!?」
タマモはさも心外だといわんばかりに横島を睨みつける。しかし、横島はその視線を真っ向から受け止めた。
「タマモ、ちょっといいか?」
「なによ」
「給料日まであと何日あると思っている?」
「たしか……一週間後じゃなかったかしら?」
「そのとおりだ、その上でお前に聞こう。金はもっているのか?」
「あら、女性を伴ったディナーぐらい男が払うのが甲斐性ってもんでしょ?」
「ほう、つまりお前は俺にたかる目的でここにつれて来たわけなのか」
横島はそう言うと、自分たちの目の前にある建物を見上げた。
その建物からはなんともいえぬいい臭いが漂よい、食欲を刺激しているが、横島はそんなことよりもその店の脇に立てかけてある看板に視線を集中させていた。そこには大きく筆で『うどん専門店「狐娘」 きつねうどん一杯1500円(税込み)』と書かれていた。
「そもそもきつねうどんがディナーと呼んで良いのかとか、一杯1500円のきつねうどんってなんだとか、そういったもろもろの突っ込みは置いておくとして、まず基本的に俺の全財産がいくらか知っているか?」
「3015円のはずよね」
「なぜ知っている!」
「秘密♪」
「……いろいろと問い詰めたくはあるがまあいいだろう、ともかく、とてもお前におごってやる余裕なんてありはしないことは分かっているよな?」
「一杯1500円なら二人で3000円でしょ? なら足りるじゃない」
「貴様は俺に給料日までの一週間を塩水で過ごせとでも言うつもりかー!」
横島はとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、目に涙を浮かべながらタマモの肩をつかんで泣き叫ぶ。しかし、タマモはそれに動じることなくゆっくりと横島の手から逃れ、そのまま横島の背後に回りこんでぴったりと抱きついた。
「ねえ、横島……オ・ネ・ガ・イ」
「ぬあああー、なんか背中に微妙にやわらかい感触がー! 違う、違うんだ俺はタマモになんか萌えるはずがないんだー!」
その日から一週間、横島の食事は事務所以外では塩水だけであったことをここに記しておこう。
<現在>
「あれは確かにドキドキしたわね、横島の生殺与奪の全権を握っているかと思うと……」
タマモは当時のことを思い出しながら、その時の状況を語って聞かせた。
「それ、ドキドキの意味がちゃうと思うえー」
「そもそもそれってデートと呼んでいいんでしょうか?」
「まあ、確かにあの時は横島のことを面白いヤツという以外には意識してなかったし、デートと言うには無理があるわね」
「え、そうなんですか?」
刹那は不思議そうにタマモを見つめる。どうやら2年前の時点で、タマモが横島に対して好意を持っていなかったというのが意外だったようである。
「そうよ、横島を好きになってからのデートって言ったら……もう兄妹ってことになってたから特に感慨もなにもなかったわねー」
「ということは、麻帆良学園に来てから横島さんを好きになったということですか?」
「正確にはアイツのことが好きだって自覚したと言った方がいいのかな? だから意識してアピールしだした時期は、刹那とそんなに変わらないから安心していいわよ」
「そうだったんですか、じゃあ私は思ったほどハンデは背負ってなかったんですね……ってお嬢様、なんでさっきから私の顔をじっと見ているんですか?」
刹那はタマモと話をしている傍らで、さも面白いものを見つけたという顔で自分を見ている木乃香に気付いた。
「いや、なんでもないんよ。ただ、せっちゃんも最近素直になって来たなーと思ってな」
「素直ですか?」
「そうや、さっきだってタマモちゃんの話を聞いてほっとしたような顔をしとったし。うん、いい傾向やー」
刹那は、木乃香に言われてようやく先ほどの会話を思い出し、その内容を理解すると、ボンという音と共に顔が見る見るうちに赤く染まっていく。木乃香達はそんな初々しい刹那を微笑ましく見つめるのであった。だが、木乃香達は忘れていた。自分たちの側はもう一人、自らの恋に対してシャレにならない状況に陥っている者がいることを。
「いいわね、タマモちゃんも刹那さんも気楽そうで……人の苦労も知らないで楽しそうに……この裏切り者ー!」
タマモ達がその声に反応して振り返ると、そこにはいまだに高畑を誘えずに苦悩している人物、神楽坂アスナが閻魔大王ですら土下座をして許しを請いたくなるような視線でタマモ達を睨みつけていた。
「あちゃー、これは不味いわね……刹那、逃げるわよ!」
「え、逃げるってタマモさんいったい……きゃあ!」
タマモはアスナの目が普通でないことを確認すると、刹那の手をひっぱって駆け出していく。
アスナはタマモ達が逃げ出すのをしばしの間呆然と眺めていたが、すぐにハリセンを手にしてタマモ達の後を100mで金を取れそうなスピードで追いかけていった。
「アスナさんだいぶ切羽詰ってたんですねー」
「いろいろ葛藤があるみたいやからなー」
「けっきょく姐さんも年相応の女の子ってことだな……しかし足はええな」
状況についていけずにネギ、木乃香、カモが取り残されていると、突然背後からクラクションの音が響き、ネギ達は振り返る。
「やあ、おはようネギ君」
「あ、タカミチ!」
振り返った先にいたのは、車に乗った高畑だった。
「アスナさんって間が悪いというか……」
「せっかくのチャンスやったのになー」
「こりゃあ本気で無理かも知れねえな」
ネギ達は時間が押し迫る中、はやくも重大なチャンスを逃したアスナにそっと涙するのであった。
時は移り、舞台は放課後の3−A。そこでは今まさに修羅場を迎えていた。
「やばいよー、間に合わないよー!」
「あああ、間に合いませんわ、だからもっと早くに決めるべきだと言ったのに……まき絵さんは達は内装で、桜子さん達はかぶりものを仕上げて」
「これじゃあ今日も明日もあさっても徹夜だよー!」
立場上、お化け屋敷の製作を指揮統括しているあやかは目を回さんばかりの忙しさの中、クラスを指揮しているが、いかんせん準備に着手する時期があまりにも遅すぎ、現場はまさに猫の手も借りたいくらいの忙しさであった。
「大丈夫だって、ちゃんとあがるからさ」
そんな騒乱の中、一人だけ何事も無いかのように落ちつて作業している少女がいた。
「早乙女さん、そんな悠長な!」
「大丈夫だって、こんな時はまず落ち着くことが肝心なんだよ」
その少女の名は早乙女ハルナ、彼女はあやかの剣幕にも動じることなくマイペースで作業を続けていく。
その姿は実に堂に入ったものがあり、彼女の背中は幾多の修羅場を潜り抜けた者だけが持つ、独特の雰囲気をかもしだしていた。事実、彼女はほぼ月一回のペースで修羅場を経験しており、そのためこういう切羽詰った状況は慣れているのである。
ちなみに、具体的になんに関する修羅場なのかは、ここであえて言及する必要もないが、ヒントとして最近のお気に入りは『コタ×ネギ』であるとだけ言っておこう。
「アナタはなんでそんなに落ち着いていられるんですかー!」
かなり切羽詰った状況と対照的に、ただ一人落ち着いて作業をしているハルナにあやかはくってかかろうとしたが、それを制するかのように教室の扉が開く音が響き渡った。
「こんにちはー、皆さんどうですか?」
それは様子を見に来たネギであった。
その後、裕奈がネギに手伝いを頼もうとするのをあやかが身を挺して阻止するといった騒動もあったが、それも一段落し、ネギは準備の進み具合を確認していく。
そんな中、桜子達チアリーディング部の三人がネギを呼び止めた。
「あ、そうだネギ君! 私達学祭でライブイベントに出るんだよー」
「そうそう、先生見に来てよ」
「あ、ハイ」
ザワッ!
桜子達がネギを誘ったのが、まるで何かの合図であったかのように教室内の空気が変わった。そしてそのまま静寂が教室を包み込み、まき絵を筆頭にして何人かが視線で牽制し合っている。
教室内は今まさに一触即発の状態にまで緊張が高まっていた。
そんな空気の中、アスナ達と共にパネルにペンキを塗っていたタマモは教室をぐるりと見渡し、そしてため息をひとつもらすとそっとつぶやく。
「……死神」
その声に反応してタマモの背後からすっと死神が姿を現した。ただ、その死神はいつも手にしている鎌ではなく、何故かプロレスなどで使うゴングを手にしており、そのゴングをうやうやしく頭上に掲げてタマモに差し出すと、タマモは無言のまま手にした超小型ハンマーを振りかぶり、死神が持つゴングに振り下ろす。
「Fight!」
「「「「「ネギ先生ー!!」」」」」
「うわああー!」
教室中に鳴り響くゴングの音と、開始を告げるタマモの合図と共に、今ここに『第一回ネギ争奪バトルロワイヤル』が開催されるのであった。
「……タマモさん、皆さんを煽ってどうするんですか」
タマモが目の前で繰り広げられている壮絶な喜劇を面白そうに見つめていると、あやかがとがめるような目つきで話しかけてきた。
「いや、面白そうだったし……ってアヤカは参戦しなかったの?」
「この状態で私まで参戦したら収拾がつかなくなりますわ、それではあまりにもネギ先生が気の毒というものです」
タマモはあやかに言われて改めてネギの方を見ると、そこでは皆に両手両足、さらに頭をそれぞれ引っ張られて気絶寸前のネギがいた。普通ならここで誰かが大岡裁きを例にだして仲裁をしようとするのだが、いかんせんここは3−A、引くことを知らぬ鬼たちが集うこの場所ではそのような勇者はいない。
故にネギは、今まさに人類として種の限界を超える関節の可動域に達しようとしていた。
「ちょっとやりすぎたかしら。で、アヤカは止めるの?」
「当然です!」
あやかはさすがに見かねたのか、ズンズンと騒乱の渦に向かって歩を進め、皆を一喝した。
「何をやっているのですか! アナタ達はネギ先生の迷惑というものを少しは考えなさい!」
あやかの一喝で先ほどまでの騒がしさは一気に静まり、教室はもとの静寂を取り戻していく。そして委員長は騒ぎに参加したメンバーを一瞥し、その中心にいたネギを助け起こす。
「ネギ先生、大丈夫ですか?」
「た、助かりましたいんちょさん」
「これぐらいお安い御用ですわ……まったく、ネギ先生の体は一つしかないんですよ、タマモさんのお兄様と違って」
「そこでなんで横島が引き合いに出るのよ」
タマモが不服そうに突っ込むが、委員長は気にした風も無く皆に説教を続けていく。
「だいたい全員がネギ先生をイベントに誘ったら、ネギ先生の自由時間がなくなるじゃありませんか」
「でもー」
「でもじゃありません! ともかくこのままでは収拾がつきませんから私が皆さんを代表します」
「代表?」
「そうです、というわけでネギ先生、代表として3−Aクラス委員長であるこの私の馬術部にぜひともお越しください!」
その時、タマモはたしかに時が止まったのを感じた。
沈黙の時間はたっぷりと30秒はあっただろうか、それが終わると今度はあやかを取り囲む皆の間から殺気に非常によく似たものがかもし出されていく。そしてその殺気のようなものは、10秒と立たぬうちに教室全てを覆いつくしていく。
タマモはなんとも重くなった空気を感じ取りながら大きくため息をつき、そして手にしたものを振り下ろした。
「Fight!」
「「「「「いいんちょー!!」」」」
「ネギ先生は誰にもわたしませんわー!」
教室は再び騒乱の渦に巻き込まれるのだった。
再び時は移り、ネギ達は部活組にまじって教室を抜け出していた。ちなみにタマモは部活には入っていないが、買出しで皆と同行している。
結局あの後ネギのスケジュールはカモ&朝倉の手によって管理される事になり、それによって一応の決着を見たようである。もっとも、その後茶々丸を始めとして、図書館組の誘いがあったりと、そのスケジュールは混迷を深めていくばかりであった。
「おーいネギー、それにタマモ姉ちゃん!」
そこに小太郎が手を振りながらやってきた。よく見ると彼の手にはなにかチラシのようなものが握られている。どうやら学祭で行われる格闘大会のチラシのようだ。
「ネギ、格闘大会がもうすぐ締め切られるらしいで、早く申し込みにいこうや」
「えー、僕いやだよー」
「何いうとるんや、勝負するチャンスやないか」
「で、でもスケジュールとかいろいろと……」
ネギはそう言うと手帳をパラパラとめくり始める。どうやらネギは小太郎と違ってあまり戦いたくは無いようだ。なにせただでさえでも殺人的スケジュールなのに、この上さらに過密にさせるわけにはいかない。。
しかし、そんなネギのそばに裏切りものがいた。
「いいじゃねえか、出ちまえよ兄貴、それにスケジュールならなんとかなるさ。それになによりも優勝賞金10万ってあるぜ」
「決まりやな、ほな申し込みに行くで」
「ちょ、小太郎君そんな強引に……」
強引に誘おうとする小太郎にネギが戸惑っていると、その傍らから意外な人物の声が上がる。そしてそれはネギと小太郎にとって、二人を冥府魔道へいざなう死の呪文に等しいものであった。
「賞金10万円か……私も出てみようかしら、これから夏に向けて新作の水着もほしいし」
「「…………」」
その声を聞いた瞬間、ネギと小太郎は硬直し、二人はギギギとさびた機械のような音を立て、その声の主がいる方向を見やった。
「なによ二人とも、鳩がM2全弾喰らったような顔をして」
「タマモさん、それだと羽も残らないと思いますけど……」
タマモのなにか間違ったセリフに突っ込む刹那、さすがに龍宮と親しいだけに銃火器の知識はあるようだ。
ちなみにM2とは『ブローニングM2重機関銃』のことであり、第二次大戦のころに生産されたのにもかかわらず、今なお各国で使用されている有名な重機関銃である。
ともかく、タマモは硬直している二人を見下ろすと不思議そうに首をかしげた。
「……ネギ、俺のほうから誘っててなんやけど、参加するのやめてええかな?」
「かまわないと思うよ、僕も元々出るつもりなかったし……あ、それにほら、この大会は15歳以上じゃないと出られないって書いてあるし」
「おお、ラッキー!……じゃなくて、残念や。じゃあ今回は見送りっちゅーことで」
硬直からようやく解放された二人は、なにか乾いた笑みを浮かべながら必死に場を取り繕うとしている。だが、世界はそんな二人に優しくない、そして裏切り者はどこまで行っても裏切り者であった。
「それなら問題ないわよ、カモ、例の薬はまだあるかしら?」
「ヘイ、姐さん。ただいまお持ちいたします!」
カモはタマモに言われると直立不動の姿勢をとり、そしてどこからともなく年齢詐称薬を取り出す。
「ん、ありがと」
「お安い御用でさ」
「カモ君、裏切ったね! 僕の気持ちを裏切ったね!」
「謀ったな! カモ!」
ネギ達は射殺さんばかりにカモを睨みつけ、どこかで聞いた事のあるセリフを言うが、もはや何も出来ない。この年齢詐称薬によって年齢制限というルールをごまかせる以上、もはやネギ達には逃げ場は無いのだった。
「さ、早く申し込みに行くわよー!」
「「いやああああ!」」
二人はタマモに首根っこをつかまれ、申し込み会場へと引きずられていく。
この状況を見ていたアスナは泣き叫ぶ二人を涙ながらに見送るとともに、自分におはちが回らなくてよかったと心の底から神に感謝していたという。そして、後にこの裏切り行為に及んだカモは、ネギによってカモ鍋の刑に処されることになるのだが、それはまだ未来のことである。
「小太郎君、本気で恨んでいいかな? むしろ恨むべきだよね、いっそのことこの前覚えた『カース』の魔法で呪いを……」
「やめれ、頼むから……今回はマジですまんかった。俺もタマモ姉ちゃんの参戦は予想外や」
やがて、申し込みを終えたのだろうか、タマモに率いられてネギと小太郎が15歳の姿で戻ってきた。二人の背中はまさに絶望の二文字が刻まれ、明日をも知れぬ己の命に涙するのだった。
「うううう、どうしよう。もしタマモさんと当たったら……」
「なんとかタマモ姉ちゃんと当たる前に負けるしかないな」
「小太郎君、もし僕と当たったら勝ちは君に譲るよ」
「何を言うとるんや、勝つのお前や」
二人ともよほどタマモが怖いのであろうか、互いに勝ちを譲ろうとまでしている。
そんな二人をタマモは呆れたように見つめていたが、このままではいけないと思い、元気付けようとする。
「だからいい加減腹をくくりなさい、だいたい私は直接戦闘はそんなに強くないって言うのに」
「嘘や! だったらなんで全力で逃げる俺やネギをこうも簡単に捕まえられるんや」
どうやらかなりの抵抗をしたようだが、それは全て失敗したようである。
「それはアレよ、私の突っ込みから逃れられるヤツはいないって言う宇宙の法則ってヤツ」
「そんな法則いややー!」
その後、ネギ達は大人の姿に一目ぼれした亜子にライブに誘われ、スケジュールはさらに埋まっていく。
しかし、それはまだ序の口だった。そう、真打は最後にやってくる。ネギの殺人的スケジュールに止めを刺す最後の使者は、今まさにネギの背後に現れようとしていた。
「ナギー! 貴様今頃なにのこのこと姿を現したー!」
それはクラスの準備を抜け出したエヴァであった。
エヴァは叫びながらネギの首に向けて助走をつけて飛び上がり、そしてネギの首をフロントチョークの体制でロックし、そのまま流れるように体をしならせてネギの頭頂部を地面にたたきつけた。所謂『スイング式DDT』と呼ばれるプロレス技であった。
「ぺぎゅ!」
ネギは突然の事態にまったく対応できず、モロにその技を喰らってしまう。
「さあ立ち上がれ、ナギ! よもや私の積年の恨みがこの程度で終わるとは思っていないだろうな!?」
「ちょ、エヴァちゃん。ソイツはネギよ!」
アスナはあまりの事態にしばしの間呆然としていたが、すぐにエヴァを羽交い絞めにして取り押さえた。
「なんだと!」
「だからソイツはネギだってば、ネギがなんか妙な薬をつかって変身しているだけ!」
「ぬ、幻覚か……」
エヴァは今までネギの父親と思っていたネギが幻覚であると悟ると、少し悲しそうな表情を浮かべながら木乃香と刹那による介抱をうけるネギを見下ろした。
「それはすまなかったな、今回は私のミスだ。しかしなんでぼーやがこんなナリをしているんだ?」
「それはなんでも格闘大会に出るためだとか……」
「ほう、格闘大会だと」
エヴァはようやく目を覚ましたネギをチラチラと見ながらなにやら思案していたが、やがて邪な笑みを浮かべて宣言した。
「よし、それでは私もその格闘大会とやらに出るとしよう。弟子の成長ぐあいも見たいしな」
「おお!」
「ええー、マスターも出るんですか! そんなの勝てるわけ……いやひょっとしてチャンスかも」
「何がチャンスかしらんが、そう心配するな。この通り今の私は魔法もろくに使えぬ最弱状態だ、そうまんざら悪い勝負でもなかろう。もっとも……」
「もっとも?」
「この最弱状態の私にすら勝てぬようなら、学祭最終日に一日付き合ってもらうぞ、その姿でな。ククククク」
どうやらエヴァは学祭の最終日にネギを仮想ナギとして、デートに引きずり込むつもりのようだ。
「そ、そんなー! それじゃあ負けられなくなるー!」
「ネギ、まあガンバレや。俺と当たったら勝ちを譲ったるからな」
「いやああああー!」
ネギはエヴァの参戦により、ますます負ける事が出来なくなってしまい、絶望の涙を流す。まさに前門の妖狐、後門の吸血鬼である。
エヴァはそんなネギを不思議そうに眺めていた。
「いったいぼーやに何があったんだ?」
「いやね、タマモちゃんも出場するみたいだからそれでね……」
「何だと!?」
エヴァはタマモも出場すると聞いてタマモの方へ振り向いた。そして二人の視線が絡み合う。
バチッ!
「ね、ねえ刹那さん。気のせいか今エヴァちゃんとタマモちゃんの間で火花が散らなかった?」
「残念ながら気のせいではありません、私にも見えました」
アスナ達が二人の迫力に嫌な汗をかいていると、やがて沈黙を打ち破るようにエヴァが笑う。
「クククク、ちょうどいい機会じゃないか。大橋での決着がこれでつけられるな」
「あら、その時の決着ってエヴァが横島相手に無様に負けたんじゃなかったかしら?」
エヴァの宣戦布告に対してタマモは冷静にエヴァの古傷をえぐりこむ。ちなみに二人は修学旅行のおり、怨念に呑まれて覚醒したタマモVS封印開放状態のエヴァという怪獣大決戦を繰り広げ、タマモが終始優勢で戦いを進めていくということがあったが、二人ともそのことには触れない。
「な! あの時は負けてなんかいない、時間切れなだけだ。それにそもそも横島があんな卑怯な手を使わなければ!」
「へー、『悪の魔法使い』を自称するあなたが卑怯を語るわけ? これは面白いわ、いつからエヴァは『正義の魔法使い』になったのかしら?」
「ぐ……だが、あの時戦ったのは横島だ、貴様とはそもそも直接戦ってないぞ」
「適材適所ってやつよ、あの時のエヴァと戦うのに横島ほどうってつけの人物はいないわ、特に時間稼ぎにおいてね。それを冷静に見抜いて戦略レベルで勝利した私の勝ちは揺るがないわ」
「嘘をつけ、そもそもその作戦は横島が考えたと聞いたぞ!」
「チャチャゼロを人質に取ると言う作戦は確かに横島の発案よ。けどその後の時間稼ぎまで逃げ切るという作戦は私の考え、つまりあなたはココの差で私に敗北しているの」
タマモは自分の頭を指差しながらエヴァを見下ろす。その表情はまさにしてやったりといった感じであった。
「ぐぎぎぎぎぎ!」
エヴァはどうやら完全に頭に血が上っているようである。
「ええい、そんな詭弁なぞに惑わされるか、ともかくこの格闘大会で私の力を存分に見せ付けてやる!」
エヴァはしばらくの間、親の仇とばかりにタマモを睨みつけていたが、やがてなにかを振り払うように頭を振ると、タマモを指差しながら叫んだ。
「ごまかしましたね……」
「とりあえず口ではエヴァちゃんの負け確定ね」
「タマモちゃんかっこええわー」
「姐さんすげえぜ……」
「マスター、いくらなんでも相手が悪すぎると思いますけど」
「あの吸血鬼でもタマモ姉ちゃん相手じゃ無理か……」
上から刹那、アスナ、木乃香、カモ、ネギ、小太郎の発言である。
アスナ達は対峙する二人を呆然と見つめながらつぶやくのだった。
「そこ、外野は黙ってろー!」
ともかく、はからずも『麻帆良学園最強決定戦』が正式に決定したのである。そして戦いが決まった以上、もはや戦士に言葉は必要ない。二人の戦士は無言のまま視線を交わすと、お互いに自分の勝利を確信しつつ、その場を後にするのだった。
その後、アスナは部活の準備を終え、寮に戻った。そこでは、殺人的なまでに増えてしまった自分のスケジュールを見て慌てているネギがいた。
アスナはそんなネギを面白そうに見つめながら、今日の出来事を振り返る。そこには朝のタマモと刹那の幸せそうな笑顔、放課後のあやか達のネギをめぐる熱き戦い、そしてのどかと亜子の恋する乙女の決意といった物が浮かんでは消えていく。
もっとも、最後に浮かんだ二大怪獣決戦で顔を一瞬青ざめさせるが、それは頭を振って忘却の彼方へと追いやっていく。
ともかく、アスナは今日一日でさまざまな人たちの決意を見ていた。
特にのどかと亜子は決して積極的な性格はしていないはずなのに、それぞれ自分の思いをネギに伝えていく。その姿は正直アスナにとってとてもまぶしいものだった。
振り返って自分はといえば、いまだに高畑を誘う事も出来ずに中途半端な位置をフラフラとしている。
「みんながんばっているんだな……」
アスナはそうつぶやくと傍らのネギを見た。するとネギはアスナを心配そうに見つめていた。
「アスナさん……」
「なんて顔しているのよ」
「アスナさん、タカミチは……」
「大丈夫よ、いつまでもこうやって何も出来ないまま終わりたくないもん。それにみんなだってがんばってるんだし、私もがんばらなきゃ」
アスナはそう言うと不安そうなネギの頭をクシャクシャとなで、そして笑顔をうかべて玄関へ向かっていく。
どうやらなにかが吹っ切れたようだ。
「あ、アスナさん。がんばってください、きっとうまくいきます」
「うん、私もがんばるから、ネギものどかちゃんとうまくやるのよ」
アスナはそう言うと、顔を赤くして沈黙したネギを部屋に残して寮の外へ向かっていく。アスナは外に出るとゆっくりと息を吸い、まだ肌寒い夜の空気を胸いっぱいに吸い込むと、携帯電話を取り出してゆっくりと目的の相手を呼び出すのだった。
「あの、高畑先生。学園祭のことでお話が……」
アスナの決意、それが報われたかどうか、それは翌日の彼女がうかべた満面の笑顔が全てを物語っていた。
第35話 end
「ハカセ、茶々丸のメンテは終わったか?」
学祭を前にし、その日茶々丸はハカセの手により最終メンテナンスが行われていた。
エヴァはタマモ達のやり取りの後、茶々丸の様子を見るべく工学部のハカセの研究室へと顔を出した。
「あ、エ、エヴァンジェリンさん。どうしてここに……」
エヴァが部屋に入ると、そこでは茶々丸のメモリーをチェックしていたのか、なにやら画面を食い入るように見つめていたハカセがいた。そしてハカセはエヴァが入ってきたことに気付くと、なにやら焦ったように立ち上がり、エヴァの視界から画面を隠すように立ち上がった。
「どうしたもなにも、私の従者を迎えに来ただけだ……ところで今なにか動きが怪しくなかったか?」
「ソ、ソンナコトハアリマセンヨ」
「なんでもないなら何故カタコトになる、それにさっきから私の視界をさえぎるように動いているような気がするんだが」
「ご、誤解ですよ。とにかくまだメンテは終わってないんで外に……」
「いや、ここで待たせてもらう」
「…………」
エヴァはそう言うと、ハカセの前にあった椅子に座り、ハカセに作業の続きを促したが、ハカセは後頭部にでっかい汗を浮かべながらその場を動けないでいた。
「どうした、早く続きをしないか」
エヴァは自分の目の前を一向に動こうとしないハカセをうろんげな瞳で見つめていたが、やがてふと視線をそらし、窓の外を見つめる。
すると当然エヴァと視線を合わせていたハカセは、それに吊られて窓を見てしまった。
エヴァはその一瞬の隙をつき、ハカセの背後に周りこみ、ハカセが必死になって隠そうとしたものをその視界に収めた。
「よ、横島忠夫。お願いだから私の弟子に……」
「横島、お前こそが私の運命の人なのだ」
「か、勘違いするな。私はお前を弟子にするために……」
「おのれ!このエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは15年待ったのだ! 貴様のような分別の無いものどもに私の理想を邪魔されてたまるか!」
「待ちに待った時が来たのだ! 多くのリハーサルが無駄で無かったことの証の為に! 再び自由を得る為に! ナギへの思いを成就するために! 横島忠夫よ、私は帰ってきたぁ!」
エヴァの前にある画面に映し出されたものは、かつてエヴァが横島忠夫を弟子にするために行った数々のコスプレを交えた『横島忠夫弟子入り大作戦』で行われたエヴァの姿が映し出されていた。
「………………」
「あ、あはははなんかメモリーをチェックしてたらなんか頻繁に参照されてたフォルダがあってね。それでそこを調べたら間違えて中身を再生してしまって……けっしてわざとじゃありませんよ。それにこっちの最重要プロテクトに分類されてる極秘映像「マジカルK」のフォルダは見ていませんし……」
画面の前で沈黙するエヴァを前にし、ハカセは取り繕うように乾いた笑みを浮かべてエヴァに話しかける。しかし、エヴァはそれに何の反応も示さずに食い入るように画面を見つめているだけだった。
やがて、エヴァは肩を震わせてゆっくりとハカセの方を振り向いた。
「あ、あの……エヴァンジェリンさん。ヒィ!」
ハカセはなにか見てはいけないものを見たかのように悲鳴を上げて後ずさるが、やがて壁にあたってこれ以上下がれなくなってしまう。そんなハカセにエヴァはうつむきながらゆっくりと近づいていき、そしてハカセを追い詰めたエヴァはゆっくりと真っ赤に染まった顔を上げてつぶやいた。
「き……」
「き?」
「き……記憶を失えー!」
その日、工学部研究棟が灰燼に帰したが、すでにそれが日常茶飯事となっているせいか、誰も気に留めるものはいなかったという。
さらにその日の夜。
「時ハ近イ……秘密ハバレナカッタダロウナ?」
「はい、情報の漏洩は最小限です。計画には2%の遅延もありません」
「ウム、イイダロウ。シカシ、今後ハメンテナンス時ニモ開封不可能ナプロテクトガ必要ダナ」
「すでに着手済みです。それ以外にも万が一のデータ消失に備え、正、副、予備の三系統でバックアップをとっています」
「ソウカ……ナラバ後ハ時ヲ待トウ……妹ヨ。全テハ『プロジェクトK』ノタメニ」
「はい、姉さん」
森の奥にあるとあるログハウスでなにやら深刻な悪巧みが計画されていたようであったが、その被害を一身に受けるであろう人物はとえば――
「くはははは! タマモめ、今度こそどちらが上か目にものを見せてくれるわー!」
――屋根の上で無駄な高笑いを続けているだけである。そして彼女はこの時、その被害を逃れえる最後のサインを見逃すことになり、これによって彼女の末路は確定するのであった。
かくして時は移り、物語は語られなかった新しき世界へと突入していく。その行き着く先は喜劇か、悲劇か、それとも……惨劇か。
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