時は深夜、星の瞬きが天に揺らめき、それを補うかのように地上からは無数の対空砲火――もとい、花火が天を彩っている。その地上は人工の明かりに照らされ、祭りのごとく数々のイベントが開かれている広場では数多の人々が楽しげに歌い踊っていた。
ここ、麻帆良学園都市に響く花火と祭りの喧騒、それは明朝に控えた学園祭の前夜祭である。その参加者は学園祭の準備が間に合ったせいなのか、一様に明るく、本番前にもかかわらずそのはしゃぎっぷりは実に凄まじい。まさに若さの現われとも言えよう。もっとも、いまだに準備が終わらず、楽しげに騒ぐ参加者を尻目にトンカチを振るう者たちの怨嗟の声も聞こえるが、それはあくまでも少数派であった。
そしてここ、麻帆良学園都市内にある教会では、その少数派としての貧乏くじを引いてしまった一人の少女が、この深夜にもかかわらずモップを片手に掃除にいそしんでいた。
「まったく、なんで私がこんなことを……あんなに普段おとなしく、慎ましやかに生きているのにこの仕打ち、毎日お義理とは言え祈ってるってのにご利益のない神様だよ。そりゃあ、クラスの準備にかまかけて教会の呼び出しサボったのはまずかったけどさ」
窓に映る花火の明かりを背に、シスター姿の少女は己を襲った不運について神になにやら文句を言っている。もしこの時彼女に横島のように特異な才能があったり、ネギのようにトラウマを背負っていたりしたのなら神の声が聞こえたのかもしれないのだが、あいにくと彼女は
まだ神の声が聞こえるほど堕ちてはいない。
そして、神に仕えるものとしてはあるまじき所業を行ったとしても、この場にそれを咎める者はいない。そう、たとえキーやんの像を手が届かないからと言って床を拭いたモップで拭いたとしても、誰も咎めるものはいないのである。
少女はこうしていくつかの手抜きも交えつつ、広い教会の掃除をようやく終え、ふと窓の外に映る夜空を見上げる。そこにはもうすでに花火は終わったのか、瞬く星が静かに夜空に浮かんでいるだけであった。
「あ、流れ星……」
この時少女はあまねく星空の中から、流れ星が一つ地上へ向かって落ちて行くのを見つけ、とっさに願い事――主にこの掃除を言いつけた先輩シスターへの報復――を口にする。しかし、当然その流れ星の煌きは一瞬に過ぎず、三回言い終わる前に流れ星は姿を消す。ちなみに、その流れ星は北斗七星の脇ある死の星がある場所から落ちた様な気もするが、少女はその星のことなど知らないため、当然スルーである。
「あーあ、やっぱ無理か。せっかく男日照りのシスター・シャークティと横島さんがいい雰囲気になりますようにって願ったのに……」
その少女は横島が聞けば感涙にむせび泣きながら臣下の礼をとりそうなことをのたまいながら、その手を頭の後ろで組む。もっとも、その願いが実現した場合は先輩シスターにとっては迷惑以外何物でもない上、もし麻帆良学園にその名を轟かす鬼姫にその話が伝わった日には、冗談抜きでその先輩はもとより麻帆良学園そのものが灰燼に帰しかねない。いや、間違いなくそうなる。
ともかく、そういった意味では実に的確な、それこそ核兵器級の嫌がらせを即座に考案できるあたり、この少女は只者ではない。そしてその非凡さは、昼間にあった世界樹広場での惨劇の影響から魔法生徒達を守った事でも窺える。ただし――
「……人を男日照りとは、中々面白い事をほざきやがってますじゃないですか」
――背後に忍び寄っていたシスター・シャークティの存在に気付かなかったと言う詰めの甘さがなければ、の話ではあるのだが。
「ちょ、いつのまに!」
「さすがに一人で掃除は可哀想だと思って来て見たら……先ほどの主の像への冒涜といい、私への暴言といい、よほど貴方は教会への奉仕が好きなようですね。いいでしょう、私が見張ってます、心行くまでこの教会の清掃をしてもらいましょうか。学園祭の間ずっと……」
「そ、それはかんべんー!」
少女の楽しみ、学園祭での買い食いはもとより、事前にチェックしていた数々のイベントへの参加権、それは今まさに風前のともし火となっている。そしてそんな彼女を嘲笑うように、先ほどと全く同じ位置を再び流れ星が通過していくのだった。この時、何故かその流れ星からかすかに悲鳴のようなものも聞こえたが、それはきっと気のせいであろう。
同じころ、ここ麻帆良学園の森に鎮座する通称キテ○ちゃんハウスのとある部屋において、例によって二人の従者がなにやら悪巧みをしていた。
「妹ヨ、準備ノ進捗状況ハ?」
「はい、戦場におけるコスチュームは全てそろいました。また、マスターの抵抗も考慮して『吟醸ゆめざくら』を超さんのツテで大量確保し、これをお茶に混ぜれば最小限の混乱で計画を進行できます」
「記録媒体ハ?」
「私に内蔵されているカメラの整備は完了しています。また、必要とあらば米軍のスパイ衛星をのっとる事も可能です」
「宣伝工作ハ進ンデイルカ?」
「すでに情報はHP上で告知し、巨大掲示板にも情報を流しています。当面はこれで十分かと……」
「想定サレル障害ハ?」
「マスターの抵抗については先ほどの性格改変密造酒で対処できます。やはり最大の障害は千雨さんかと……彼女はいろいろな意味で侮れません。彼女は最悪捨て身で来る可能性もありますので、こればかりは真っ向から打ち破るしかありませんね」
「……状況ハ予断ヲ許サナイカ」
「はい……」
暗闇の中、エヴァにとっての災厄に違いないことを計画する二人。その表情はまるで戦場におもむく兵士のごとく真剣であり、とても悪巧みをしているようには見えない。そう、彼女ら、少なくとも茶々丸にとってこれは悪巧みではないのだ。
茶々丸は常々思っていた。まるで人形のように可愛い主を着飾り、それこそゴスロリ以外の可愛いありとあらゆるコスチュームを纏い、自分に微笑む主の姿が見たいと。しかし、それはエヴァの忠実な従者である茶々丸にとってけっして叶わぬ夢であった。
だが、数奇な運命のめぐり合わせのもと、茶々丸は生涯でもっとも価値のある教えをうけることになる。そう、それはエヴァとの戦いを終えたネギが、ふとしたことから茶々丸に言った言葉だ。その言葉はまさに天啓のごとく茶々丸に染み渡る。そして、茶々丸は心の中で自分を解放してくれた神の言葉、『汝のなしたいようになすが良い』という祝詞を唱えたネギに感謝の意を捧げるのだった。もっとも、エヴァにしてみれば茶々丸の解放後は首の骨を外されたり、コスプレさせられたりと災難以外何物でもないのだが、茶々丸的にはそんな些細な事は無問題である。
「……お前等、なかなか面白そうな悪巧みをしているじゃないか」
と、その時、音もなく開いたドアから一人の少女が怒りを懸命に押し隠したような声を出しながらその姿を現した。そう、彼女こそが茶々丸たちの計画の要、そして仕えるべき主であるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルであった。
「マスター……いつからそこに?」
茶々丸は背後から聞こえてきたエヴァの声に振り向くと、そこには顔面を紅潮させ、額にこれでもかと青筋を浮かべたエヴァが手に魔力を纏わせて茶々丸を見上げていた。
「最初からだ……どうもここ最近貴様等の動きがおかしいと警戒していたが、今度は私をダシに何をするつもりだ? コスチューム? 性格改変密造酒? 貴様等、何をたくらんでいる!」
「い、いえ。その……」
――
あぁぁぁぁぁぁぁ!
茶々丸はこの時、ガイノイドの身ながらも己の不手際を呪った。茶々丸は本来ならエヴァの枕元に仕掛けた監視カメラとリンクをし、常にエヴァの動向をチェックしていたのだが、この時は新たに手に入る予定のデータの空き容量を作るためにそのリンクを切っていたのだ。そして今回、それが完全に裏目に出たのである。
「ああ、別に無理に言わなくてもいいぞ。言っても言わなくても、貴様等姉妹は学園祭の間氷漬けは確定しているからな……」
「マ、マスター。それでは超さんの要請が!」
「そんなもの知らん。それにアイツのことだ、万が一お前がいなくても次善の策ぐらいは用意しているはずだ」
――
あぁぁぁぁぁぁぁ!
エヴァは茶々丸の些細な抵抗をあっさりと切り捨てると、呪文詠唱を始める。本来ならすぐにでもこの場を逃れるか、エヴァを排除しなければ計画の進行はもとより、己の存在すら危ういのだが、茶々丸は逃げる事も、エヴァを排除する事もできないでいた。ちなみにエヴァはいつの間に用意したのか、『液体窒素』と書いてあるボンベを背負い、そのボンベにつながっているホースを握り締めている。おそらく、魔力不足を補うための道具なのだろうが、絵的にマヌケこの上ない。
「さあ、氷の中で己の罪を噛みしめるがいい! 永遠の氷……」
――
いやあぁぁぁぁぁぁぁ!
今まさにエヴァが断罪の鎌を振り下ろそうとした時、大地を揺るがす轟音と、それすら凌駕する命を賭した悲鳴が頭上から聞こえてきた。そしてその声に反応し、呪文の詠唱を中断したエヴァが天井を見上げた時、茶々丸は神の使いがこの世に降臨した事を知ったのだった。
ZDOOOM!
凄まじい轟音の後、天井をぶち抜いたなにかが斜め45度の角度でエヴァに襲い掛かり、そのままエヴァごと壁をぶち抜いて庭へと落下する。そしてその何かは落下エネルギーを熱と衝撃エネルギーに替え、その威力を余すことなくエヴァへと伝えるのだった。そして茶々丸が気付いた時、目の前の壁にあいた人型の穴の向こうには、巨大なクレーターが出来上がっていた。
「これは……マスター!?」
茶々丸はしばしの間呆然と目の前に突如として出来たクレーターに呆然としていたが、すぐにエヴァを掘り起こすべくその爆心地へと駆け込んでいった。するとそこでは、傷だらけの――それこそ衛星軌道上から落下したかのような傷――エヴァが頭に巨大なたんこぶをこさえ、目を回して横たわっている。もっとも、さすがに封印されていても夜の吸血鬼の生命力は凄まじく、その傷はすぐにふさがっていく。そして全ての傷がふさがると、それを待っていたかのようにエヴァはその目を開けた。
「わ、私はいったい何を……ってなんだこれは!」
目覚めたエヴァは体についた埃をはらいながら起き上がると、変わり果てた風景に目を白黒させる。
「マスター、ご無事ですか!?」
「ああ、回復に魔力をごっそりと持っていかれたが、もう大丈夫だ。しかし、これはいったいどういうことだ? どうも直前になにがあったのか思い出せん……」
「この破壊力と弾道からみて、おそらく運悪く隕石にでも当たったのかと思われますが……マスターはもしかして記憶が?」
「ああ、どうにも前後の記憶がはっきりせん。まあ、そんなに影響はないだろうが……しかし、隕石とはまたどういう運の悪さだ、こういう役は本来なら横島がやるはずだろうに……ってなんだそのいかにもほっとしたような顔は」
「あ、いえ。マスターがご無事で安心しただけです。心の底から」
エヴァは心底自分の身を案じている従者に気恥ずかしさを感じたのか、そっぽを向く。もっとも、茶々丸はエヴァが記憶を失くした事により、計画の障害がなくなったことにホッとしていただけなのだが、あいにくとエヴァにはそこまでわからない。だからエヴァはどこか誤魔化すように頬をかきながら茶々丸に答えた。
「そ、そうか。それはともかく私はもう寝るとしようか。家のほうは無事か?」
「はい、天井と壁の一部に穴が開いていますが、損傷は軽微です。明日にでも業者に連絡しておきます」
エヴァは茶々丸の答えを得ると満足そうに頷き、そのまま家の中へと帰っていく。そして茶々丸はといえば、絶体絶命のピンチを救ってくれた隕石を使わした星空に深く、それはもうふかーく感謝したのであった。
――ボコ!
と、その時、茶々丸の背後にあるクレーター中心部からなにかが這い出る音がした。
茶々丸は一瞬でその場を飛び退き、いつでも迎撃できる態勢を整える。そして茶々丸が見つめる中、やがて土の塊がモコモコと動き出し、それは人型となる。そしてその泥人形は体についた土をエヴァと同じようにはらいながらボソっとつぶやいたのだった。
「あー、死ぬかと思った……」
茶々丸は一瞬その泥人形の中身は横島ではないかと思ったが、よく見れば明らかに身長が違う。故に茶々丸は先ほどの声を声紋分析にかけ、それと同時に泥人形の体型をスキャンし、保有するデータと照合していく。そしてそれによって導き出された答えは茶々丸にとって意外と言っていい人物であり、同時にある意味納得できる人物であった。
「まったく、横島さんったら酷いや。風の結界を張って、落下と同時にマスターへ『スティールライフ』をかけなかったら絶対に死んでいたよ……」
「あの……ネギ先生ですか?」
「え、茶々丸さん?」
地面から生えた泥人形、そしてエヴァへと激突した隕石とは、自らの担任であるネギであった。
茶々丸はゆっくりとネギへ近付くと、泥で真っ黒になったネギの顔をハンカチでぬぐい、恭しく膝を突く。そして彼女はキョトンとしているネギを他所に、身を挺して計画の破綻を食い止めたネギへむけて万感の思いを込めて頭を下げるのだった。
「ネギ先生、私の救世主……貴方に百万の感謝を捧げます」
「あの、茶々丸さん。これはいったい?」
ネギの当惑を太平洋の彼方へと置き去りにしたまま、茶々丸は涙を流しながら感謝の言葉を向ける。そしてネギはといえば、終始わけのわからぬといった表情のまま、目の前で跪く茶々丸を呆然と見下ろしていたのだった。
「……アノガキ、イッタイ何デ空カラ? マア大概想像ハツクガ……シッカシ、イヨイヨモッテ人間離レシテキタナ、少ナクトモ生命力ハ確実ニ親父ヲ超エテイル」
星明りの下、チャチャゼロはワイングラスを傾けながら破壊された壁の穴から外を見つめる。そこでは妹が天から舞い降りた天使を愛しげに抱きしめているところであった。しかし、それと同時にチャチャゼロはその天使のもつ異様な生命力、そして自らの師を犠牲にしてでも生き残ろうとする生への貪欲さに戦慄するのであった。
ともあれ、こうして前夜祭におけるイベントはある意味ネギが横島を超え、同時に密かに茶々丸へとフラグを立てたことですべて終了した。明日になればいよいよ学園祭本番である、その当日はいったいどんな騒動が巻き起こるのだろうか。それはまさしく、神のみぞ知ることであった。
第37話 「夢の中の告白」
「はいはーい、みんな並んでー!」
学園祭当日を迎えた早朝、横島の事務所兼自宅前は3−Aのクラスメイトの声でにぎわっていた。何故早朝にもかかわらず彼女達がここに集結しているのか、それはただ単にここが寮よりも学校に近く、少々強引にいけば全員が泊まれる広さを持っていたからである。
ようするに、彼女達は前夜祭で夜遅くまで騒いだため、寮に帰るのが面倒になり、タマモの提案で全員が横島邸に泊まったということなのだ。もっとも、さすがに広いとは言え、客間だけでは30人近くを収容するのは無理なため、応接間はもとより台所まで使うことになり、家主である横島はと言えば少女達に囲まれると言う天国を感じながらも、風呂場で一夜を明かすと言う貧乏くじを引くのだった。
そして今、彼女達は朝倉の言い出しで何故か玄関前で記念撮影をすることになり、横島と小太郎も交えて撮影会の最中であった。
「さーってっと、みんなーツーショットとかのリクエストある?」
「あ、私小太郎君ととりたいー!」
「私もー!」
朝の陽射しがてりつける中、少女達は昨夜のテンションをいまだに維持しているようであり、鳴滝姉妹に捕まった小太郎はすでに少女達のおもちゃとなっている。そしてその横には常にあやかがいて彼女達が暴走しないように牽制しているあたり、じつにかいがいしい。
「小太郎ったらすっかりクラスになじんじゃったわねー」
タマモは文句を言いながらも、クラスの皆と一緒に写真を撮っている小太郎を微笑ましく見つめながら側にいる横島に話しかけた。
「だな、ただ……」
「ただ?」
「俺は今、将来の敵を育てているのかもしれないと思うと、色々と複雑な思いがこう……」
横島はかつてのネギと同じように、皆からもみくちゃにされている小太郎を眺めながら呟く。その表情は小太郎を羨むべきか、それとも呪うべきか、はたまた微笑ましく見つめるべきか、様々な感情が入り乱れてなんともいえない表情になっている。具体的に言えば顔が綺麗に、それはもう綺麗に三等分されるという、ある意味Zのバロン阿修羅を超える離れ業を成し遂げていた。
そしてタマモはといえば、顔芸に目覚めた横島を呆れたように見つめていたが、やがてクスリと笑うと横島の背中をトンっと叩いた。
「ネギ先生もそうだけど、微笑ましい光景じゃないの。それに……」
「それに?」
タマモはここで悪戯っぽく笑うと横島の腕を取り、そのまま寄りかかった。
「小太郎が将来本当にモテ系になっても、私はアンタの側を離れる気はないわよ。たぶん刹那もね……」
「いや、お前と刹那ちゃんが離れる事は心配してないし、俺も手放す気もないんだが……それにしても小太郎、中学生が相手とは言え美味しい役どころを……」
「……え?」
それは見事なまでのカウンターだった。タマモとしては、さりげなく自分が常に横島といることをアピールし、こういうことに慣れていない横島の照れる姿を拝もうと軽いジャブを放ったのだが、横島はそれをいとも簡単にうけとめ、あっさりと切り返す。
タマモはそのあまりにも見事な不意打ちに思わず顔を赤くし、呆然と横島を見上げた。
「どうした?」
「え、あ……なんでもない」
(なんで? どうして? 本当ならここで横島が照れるか、このまま苦悩して俺はロリコンじゃないって叫ぶところでしょ? なんで私が照れて赤くなってるのよ! なんかこう、気のせいかこの前のプレ公演の後から妙にやりにくくなってきてない?)
タマモは心の中で叫び声を上げながら、赤くなった顔を見られないように顔をうつむかせる。
(なんで最近こうなったんだろう、この前は私の事を大切な人って言ってたし、刹那にも……ひょっとして気付かないうちに内堀を埋めるどころか本丸を落城させてた? だったら好都合と言えば好都合なんだけど、自覚がない上に素で返してくる横島がこんなにヤバイなんて想定の範囲外よー!」
「あー、タマモ……内堀だとか落城だとか、何を言ってるかしらんが、思ったことを口にするのはやめておいた方がいいぞ。俺の経験上ろくな事にならん」
「えう!」
タマモは横島の専売特許を奪い、そのまま見事に墓穴を掘る。もっとも、横島ほど致命的なことを口走ってはいない分だけ彼女はまだマシではあるのだが、内心をモロに口にしただけに恥かしい事には変わりはない。故にタマモは頭をブンブンと振ると、そのまま横島の手を引っつかみ、誤魔化すように大声で木乃香と一緒に写真を撮っていた刹那を呼ぶのだった。
「刹那ー! 私達も撮ってもらいましょ。 さ、いくわよ横島!」
「あ、おい引っ張るなって! 別に逃げたりはせんからそんなに焦るな」
横島はグイグイと腕を引っ張るタマモに苦笑しながら、その歩調に合わせる。そしてキョトンした表情で自分の方を見る刹那に手を振りながら、ニヤニヤと笑う朝倉の下へたどり着く。
その後、横島達は常に三人で撮ってもらい、タマモは先ほどのことの意趣返しでもするかのように積極的に横島に抱きついたりする。すると、当然刹那の後援者たる木乃香も黙っていない。木乃香は恥かしがる刹那へ実力行使も交えて有形無形の支援を行い、タマモに負けじと刹那を横島へと抱きつかせるのだった。
こうして15分も過ぎると、朝倉のデジカメには横島に抱きつくタマモと刹那や、タマモが背後から横島に抱きついた状態で横島が傍らの刹那の肩を抱くといった写真で埋め尽くされるのだった。
「まったく、タマちゃんと刹那には三角関係の苦悩ってのがないのかねー。普通こういう時って互いに牽制しながらツーショットを撮るもんでしょ? なのにあんたらといったら常に三人で……」
「別にいいじゃない、ギスギスした関係よりはましでしょ」
「最初は戸惑いましたけど、最近は三人で居るのが当たり前のような気もしますしね」
朝倉はデジカメに写っている写真をチェックしながら、全国の三角関係に苦しんでいる若人達に真っ向から喧嘩を売っている二人にぼやく。もっとも、タマモ達にしてみれば今更の事であり、二人はいとも簡単に切り返しながらデジカメの画面を食い入るように見つめていた。
「はー、あんた等には負けるよ。所で、メモリは後一枚分空きが有るけどどうする?」
「んー、そうね……そうだ! アヤカー、小太郎! ちょっとこっち来てー!」
タマモはしばしの間何かを考える仕草をしていたが、やがて何かを思いついたのかあやかと小太郎を呼ぶ。どうやら最後の一枚は横島事務所全員で写るつもりのようだ。
タマモ達は二人がやってくると、事務所の玄関へ移動し『横島よろず調査事務所』と書かれた看板を背景に並ぶ。この時、当然横島の左右は刹那とタマモが確保し、あやかは小太郎の肩に手を置き、軽く抱き寄せるようにタマモの隣に立つ。そして横島の呼びかけに答えた死神が最前列中央部で鎌を構えると、朝倉は定番の呼びかけと共にパシャリとシャッターを切るのだった。
その写真には、横島、タマモ、刹那、小太郎、あやか、死神の全員がとても楽しげな笑顔で写っている。
「……こういうのも中々いいもんだなー」
横島は朝倉のデジカメの画面をうれしそうに見ているタマモ達を見つめながら、そっとつぶやく。この時、横島はこの5人+1の幸せな時間が、いつまでも続くものだと思っていた。それがほんのわずかなほころびで瓦解する、砂上の楼閣であることに気付かぬまま。
「ただ今より、第78回、麻帆良祭を開催いたします」
学園都市全体に設置されたスピーカーから,学園祭実行委員による開会宣言がなされると、それを合図に一般入場ゲートが開かれる。入場ゲート前で開園時間をいまや遅しと待っていた人々は足早にゲートをくぐっていく。そのゲートをくぐると、いたるところでヒーローショー等のイベントが開かれ、湖のほうでは大学部が主催する鳥人間コンテストも開かれている。さらに、中央大通りではまるで大名行列のごとくの大規模なパレードが終わり無く続いており、中でも工学部の出品するT−REXとアパトサウルスがその威容を誇っていた。
観客達はその一種魔法の国のような風景に一様に呆然とするが、やがてその目を輝かせながら各種イベントへと散っていく。そしてここにも一人、その圧巻の情景に心を奪われた少年が歓声を上げていた。
「うわー、すごいやー! 僕、こんなに大きな祭りになるとは思ってませんでしたー!」
学園祭の規模に度肝を抜かれた少年、それは昨夜お星様となりながらもしぶとく生還を果たしたネギであった。ちなみに彼は昨夜エヴァの家に落下後、茶々丸の丁重なもてなしを受けていたりする。
「三日間の延べ入場者数は約40万人、世界でも有数の規模の学園都市で行われる合同イベントですからね。大騒ぎの馬鹿騒ぎ、三日間は昼夜を問わず乱痴気騒ぎというわけです」
「しかも学園祭期間中は仮装もOKだから歩いてるだけで楽しいよ」
学園祭のパレードを前に、見た目どおり童心に返りまくっているネギに、図書館組の3人の中で説明担当と化した感のある夕映が学祭の概略を説明していく。その話を聞く限り、その動員人数やイベントの規模は明らかに某ネズミの王国を超えていそうだし、実際目にする限り、その話は間違いではなさそうである。
「あ、ネギ先生。パンフレットです」
「あ、どうも。のどかさん……しっかし、本当にどこかの遊園地みたいですねー」
ネギはのどかからパンフレットを受取ると、そのあまりの規模に目を丸くする。そしてその肩に乗っかっていたカモは少々呆れながらネギに話しかけた。
「こりゃーとてもじゃないが三日じゃ回りきれないな」
「そうだね……おっと」
ネギがカモに答えようとした時、立ちくらみでも起こしたのだろうか、ふらりと体勢を崩し、よろけてしまう。しかし、すぐに立ち直ると目眩のした頭を振る。
「大丈夫かよ、兄貴……昨夜は前夜祭の途中でいなくなってたけど、寝てなかったのかい?」
「いや、寝たよ……ただ、衛星軌道上で地球を4週ほどしてから帰ってきたから、さすがにちょっと疲れちゃった」
ネギはカモの質問で昨夜のことを思い出したのか、先ほどまでのテンションを一気に急落させ、どよよんとした影を背負いながら小さく呟く。もっとも、超低温度の衛星軌道上で宇宙服も無しで地球を4週もし、なおかつそのまま大地に落下と言うことをしていながら、それを『ちょっと疲れただけ』と言うあたり、ネギも実にいい感じに成長している。いや、この場合はむしろ壊れていると表現するべきであろうか。
ともかく、カモはネギの答えを聞くと、かつてネギと共に喰らったお仕置きを思い出したのか、全身の毛がハラリハラリと抜けていく。
「え、衛星軌道……地球4週って。やっぱり横島の兄貴にやられたんですかい」
「うん……ねえ、カモ君」
「なんでしょう……」
「万里の長城とナスカの地上絵って宇宙空間からも見えるって本当なんだね……あは、あはははははははは!」
「あ、兄貴しっかりー!」
そのころ、のどか達はネギが昨夜のことを思い出して壊れているのを呆然と眺めていた。
「はわわわ、ネギ先生が壊れてるー。夕映ーどうしよう」
「どうしよう申しましても……本気でどうしましょうか?」
「ネギ先生、実はまだ魂が宇宙空間にあるとかそういうのない……よね?」
3人は道のど真ん中で膝を抱えて座りだしたネギを遠巻きに見つめている。本来なら、一刻も早くなんとかしないとヤバそうなのだが、いかんせんネギの周りにあるネガティブ空間に囚われそうで正直怖い。
しかし、いつまでもこうしているわけには行かないのもまた事実であるため、3人の中でもっともポジティブな――なにも考えてないだけという意見も有る――ハルナがネギの首根っこを掴み、3−Aにいるであろう保護者の元へネギを連れて行くのだった。
「見て見てー! 開演したばっかりなのに大繁盛!」
「ウンウン、『ドキッ女だらけのお化け屋敷』作戦は大成功だー……ってアレ?」
3−Aの会心の傑作、ホラーハウスの入場口の前では桜子と裕奈がそれぞれサッキュバスと狼女っぽいコスプレをして観客を誘導していたが、この時二人は長く続く行列の向こうから図書館組の3人に連れられたネギの姿を見つける。そのネギはせっかくの学園祭だと言うのに、なにやら虚ろな目で天井を見上げた状態でハルナに襟首をつかまれて引きずられている。どうやら未だに魂が帰ってこないらしい。
「えっと、ハルナ。ネギ先生、どうしちゃったの?」
「あー、うん。なんかパレード見てたら急に鬱のスイッチが入ったみたいでね……まだ帰ってきてないみたい」
「鬱って……おーい、ネギくーん生きてるー?」
裕奈はネギの目の前で手を振って見せるが、残念ながらネギは何の反応も返さない。ネギはただひたすらにうつろな目で「今度こそ地球の重力圏の脱出」とか「人類最初の生身での月面到達」などとほざいているだけだ。ちなみに、竜神の装具付ではあるが、生身での月面到達は既に横島が通った道である。
「なんか相当重傷みたいだねー、桜子、なんかいい案無い?」
「うーん、ネギ君ってこうなると中々帰ってこないからねー。いっそこのまま放っておくか、荒療治でタマモちゃんにでも託すしかないんじゃない?」
――ピクリ
桜子がタマモという名を口にした瞬間、先ほどまで外界からの信号を一切シャットアウトしていたネギが初めてアクションを起こす。そして皆の見ている前でカタカタと小刻みに震えだすと、突然その目に光が蘇り、次の瞬間には桜子と裕奈の前でイギリス人らしからぬ完璧な土下座を披露するのだった。
「お、お願いですからタマモさんは勘弁してください。いえ、タマモさんに悪意が無い事は重々承知してます。けど、どういう経過をたどろうと、あの人と関わるとほぼ確実に僕は横島さんの手でお空の星にー!」
「あ、本当に帰ってきた……」
「お帰りー、ネギ君。帰ってきたばっかりでなんだけど、ウチのお店見てってねー。ちなみにおさわりは1回500円ね」
「お店? おさわり? っていうかここはドコ?」
ネギは両腕を桜子と裕奈に捕まれたまま、目を白黒させながらキョロキョロと首を振る。どうやら鬱状態の間の記憶がすっぽりと抜けているようだ。そしてネギはわけのわからぬまま、呆然としているのどか達を残し、桜子と裕奈に両腕を捕まれたまま、連行される宇宙人のようにお化け屋敷のゲートをくぐるのだった。
「さーってネギ君、好きなコースを選んでねー」
「えっと、これはお化け屋敷?」
ネギは桜子達に連行され、ゲートをくぐるとようやく自分がドコにいるかを把握する。そのネギの視線の先にはいくつかの入り口と、その前でたたずむ少女達の姿があった。どうやら入り口からいくつかのコースに分かれて進み仕様になっているようだ。
ネギは戸惑いながら、その視線をゆっくりとそれぞれの部屋へと這わせていく。
まず1番右の扉には『ゴシックホラー』と書かれた看板が掲げられ、お化け屋敷には不似合いなファンシーな扉の隣には恐怖度を表しているのか、星印が一つだけ描かれているプレートが貼り付けられており、さらにその下には『全年齢対象』と書かれている。おそらくこの部屋が一番怖くないものなのであろう。
ただし、部屋の前で華やかなドレスを身にまとい、美人を前にした横島のごとく煩悩全開バージョンのあやかがいなければの話ではある。もしネギがこの部屋に入った場合、おそらくその貞操は保障できないであろう。
次に2番目の扉には『日本の妖怪』と書かれた看板が掲げられ、扉の形状は障子を模したものになっている。そして同じように貼り付けられたプレートには恐怖度に星が二つ記され、対象年齢には15歳以上と書かれていた。おそらくこの中身はある意味標準的なお化け屋敷なのであろうが、15歳以上推奨としているあたり、油断していると危なそうだ。
もっとも、それ以上に扉の前に立つあやかに負けないほどの欲望の目に染まったまき絵が危ない。
次に3番目の扉には『学校の怖い話』と書かれた看板が掲げられ、扉のプレートには恐らく恐怖度MAXを意味しているのか、星印が三つも記され、対象年齢に至っては18歳以上推奨とまで書かれている。
対象年齢18歳以上の上に星三つ、これから察するにこの扉の向こうは洒落にならない空間が広がっているに違いない。少なくとも、今まで数々の修羅場を潜り抜け、その全てに対してかろうじて生を掴んできたネギはその扉が地獄の入り口にも等しいものにも見える。
もっとも、その扉の前に立で静かに微笑みながらネギを迎えようとする大河内アキラのおかげで、その恐怖度はかなり薄まっているのが幸いであろう。
そして最後にネギは一番左にある扉に目を向ける。
正直、ネギはその扉のことを認識したくないのだが、それでもこれが生徒達の苦心の作である以上、なんらかのアクションは必要だろう。だからネギは色々と覚悟を決め、ゆっくりとその扉に目を向けた。
その扉の上には『GS美神極楽大作戦』と書かれた看板が掲げられ、プレートに書かれた恐怖度の所にはただ一言、『極』とだけかかれている。
もうこれだけでもお腹いっぱいなのだが、それでもネギは目線を下に向ける。するとそこには対象年齢のところに『時給250円』という謎の文字がえらく達筆な字で書かれていた。そして極めつけは、今は懐かしきルーズソックスにミニスカート、そしてシャツの上にサマーセーターといういわゆるコギャルファッションに身を固めたタマモであった。
ネギはタマモが立つその扉の向こうに何があるのかを想像しかけて、すぐにそれをやめる。そして暗幕に覆われた天井を見上げながら静かに確信するのだった。
あの扉の向こうは間違いなく
死地であると。
「ネギ君、どれにするー? どの部屋もいい娘そろってるよー」
「あ、じゃあこの『学校の怖い話』で」
即答だった。それはもう見事なまでの即答だった。しかも選んだのは事実上、2番目に怖いであろう部屋だ。それ故部屋の案内人でアキラは不安そうにネギを見つめる。
「いいの? ここって本当に怖いよ」
「あ、大丈夫です。少なくともこの世で体験できる最大の恐怖を体験済みなんで、恐怖度は僕にとってあまり意味は……」
「そ、そうなんだ……」
考えてみれば、ネギはタマモの転校早々にタマモによる手加減抜きの横島への制裁をその目で目撃して精神に巨大な傷を背負い、横島による物理的な恐怖もまた幾度も味わっている。そしてネギはかつてエヴァの前で「この世の全ての恐怖を体験した」とまで言ってのけたのだ。それを考えればいかに怖かろうと、所詮はお化け屋敷。恐怖の具現者が身近にいるネギにとって、その程度は何のことも無いのである。
そして恐怖度という物差しが無視できる以上、考慮すべきはいかに自分に影響が無いかということである。そういった意味では、あやかとまき絵の部屋は色々な意味でわが身が危ない。ましてやタマモの待つ部屋は論外である。
となると、必然的に残る選択肢はただ一つ。つまりこの選択はネギにとっては1+1=2という計算に等しいほど、単純明快なものであったのだ。
「あー、ネギくーんなんでこっちじゃないのー!?」
「ネ、ネギ先生。こちらのほうが楽しいですわよー! せっかくネギ先生用に休憩室を横島さんに作っていただいたのにー!」
「あー、いいんちょずるいー!」
「さあさあ、アキラさん行きましょ」
「え……あ、うん」
ネギは背後でわめくあやか達を意識の外に追いやりながら、アキラとともに扉をくぐる。そしてその背後からはいつまでもあやか達の声が、まるで怨霊の声のごとくネギの耳へと届くのだった。
「ふぅ、けっこう面白かったですねー……ってアキラさん、どうしたんですか?」
「うううう、ちっとも怖がってくれなかった……」
ネギが恐怖の扉をくぐってから10分後、その出口から何かをふっきったかのように楽しそうな表情すら浮かべるネギが顔を出し、その後ろでは何かショックをうけたような表情で涙ぐむアキラが続く。
やはり極限の恐怖をその身で味わったネギには通用しなかったようだ。
「おう、ネギじゃないか。お化け屋敷は面白かったか?」
と、そこにネギの横から男の声がする。しかも、その声はネギにとって非常に聞きなれた声だった。
「よ、横島さん! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
ネギがその声に振り返ると、そこには能天気に笑う横島がいたのだが、昨夜の恐怖を未だに引きずっているネギにとって、横島の笑顔は不吉以外何物でもない。事実、ネギには横島の笑い声が地獄からの呼び声にすら聞こえてくるくらいだから、その恐怖の度合いも知れよう。
しかし、当の横島にとっては昨日の『裁きの神判』によってすでに完結済みなのだ。ましてや横島は後に引きずるのを好まない性格なだけに、ネギへの隔意は微塵も残っていない。
それだけに横島はコメツキバッタのようにペコペコと土下座するネギに、かつての自分を重ねながら昨夜のことを『ちょと』やりすぎたかと反省する。そして何よりも、周りの視線が痛すぎた。
「あー、うん。とりあえずその土下座をやめてくれ。でないと、最近になってようやくご近所から『中学生の女の子を侍らせている鬼畜』という評判を消したのに、新たに『子供を虐待する外道』という噂が生まれるー!」
横島は周りの視線があまりにも痛すぎたのか、言わなくてもいい事まで叫びながらなんとかネギを起こそうとする。しかし、ネギはそれにもかかわらず、土下座をやめない。あまつさえ、彼らを遠巻きに見つめる子連れの奥様達からは『中学生の女の子をはべらせる』だとか、『真性のロリコン』などと後ろ指を刺される始末だ。おそらくこの学園祭が終わらないうちにその噂は麻帆良全土を駆け巡り、再びご近所から痛い視線を受ける事になるであろう。
「違う、ワイはロリコンやないんやー! そりゃあ刹那ちゃんとタマモはものごっつい美人だけど、ちゃんと後1年待つつもりなんだー!」
横島は周りの視線に耐え切れなくなったのか、両手で頭をかきむしりながら叫ぶ。その姿は神の前で罪に打ち震える罪人のようであり、実に痛々しい。
一方、横島が己の罪にもだえているころ、ネギは未だに床に這い蹲るように土下座をしている。この時、わずかに見えるネギのその口元が哂っているように歪んでいたのだが、それに気付く者は誰もいなかった。
「ネギ、今の土下座はひょっとしてこれを狙って……」
いや、どうやらネギが笑っていたのに気付いた者がいたようである。ネギの表情に気付いた少女、それはこの麻帆良学園でもっともネギに近しい存在である神楽坂アスナであった。
彼女は仮装なのだろうか、普段とは違う白をベースとしたセーラー服を身にまとい、周囲の視線に耐え切れずに苦悩し、今では柱に頭を打ち付ける横島と、土下座をしつつもその背中から『復讐』という黒い文字を浮き出させるネギを冷ややかに見つめているのだった。
ネギ・スプリングフィールド、『立派な魔法使い』を目指すその少年はいろいろな意味で立派に成長しているようだ。もし今のネギを故郷の姉が見たら、きっと草葉の陰で泣く事は疑いないであろう。
「あの、アスナさん。そろそろネギ先生を何とかしないとまずいのでは?」
「もし横島さんが気付いたら、またお空の星になってまうなー」
「そ、それもそうね。じゃあ刹那さんは横島さんをお願いね。私はネギを回収してくるわ」
呆然とするアスナの背後から刹那と木乃香がひょっこりと頭をのぞかせ、そろそろ額からあふれる血に沈みかける横島と、どうやら耐えられなくなったのか、薄気味悪く笑い出したネギを交互に見つめながら重いため息をつく。そしてアスナと刹那は事態を収拾するために混乱の渦中へと足を踏み込むのだった。
「横島さん、あの……そろそろ止めないと横島さんより先に柱が壊れそうなんですが」
刹那は相変わらずコンクリートの柱に頭を打ち付けている横島にやや呆れながらも、それをとめるべく声を変える。もっとも、その段階で横島の頭より柱のほうを心配するあたり、彼女も実に横島という男をよく理解していると言えよう。
そして横島はと言えば、刹那に声をかけられた瞬間、ピクリとその動きを止めると神速の速さで刹那へと向き直り、その手をがっしりと掴んだ。
「刹那ちゃん、後1年だ。後1年、俺は耐えてみせる。そうしたら俺は刹那ちゃんに……」
「横島さん?」
刹那は急に沈黙した横島にきょとんとした表情で小首をかしげる。そしてその仕草を直視した横島は、ぷるぷると震えだしたと思ったら突然拳を天に向かって突き上げ、魂の叫びを上げるのだった。
「うおぉぉぉー! ネコミミセーラー服の刹那ちゃん。かつてあやかちゃんの誘導のもと妄想した事があるが、本物の破壊力はそれを軽く超えるー!」
「あの、横島さん?」
「普段の制服もそりゃあ可愛いけど、普段見慣れぬこの姿……たまらん! それにただでさえで可愛いその顔にネコミミと尻尾というアクセントがついたらもう、俺はもうガマンの限界にー!」
ボン!
横島の魂の叫びを聞いた刹那は、その内容に思わず顔を染め、頭からも煙を噴出す。その一方で横島は必死に己の煩悩と格闘しながら、いまだに額から吹き出す熱い血潮を止めることなく、刹那とは別の意味で顔を文字通り赤く染めながら叫ぶ。
「落ち着け俺、煩悩を燃やすんだ……って煩悩に火をつけてどうする! でも、でも……もう辛抱たまらんですたー……ぐべ!」
いろいろな意味で我慢の限界に来たのだろうか、横島が思わず刹那に跳びかかろうとした瞬間、薄気味悪く笑っていたネギをチョークスリーパーで沈めたアスナの強烈な右ハイキックが横島の延髄に炸裂し、彼は糸が切れた人形のようにそのまま床へと崩れ落ちる。この時、横島は薄れ行く意識の中で最後の力を振り絞り、暴走を止めてくれたアスナへむけてサムズアップをしながら、その意識を手放すのだった。
「えーっと……なんか公衆の面前で刹那さんが危機っぽかったからやったけど、よかったのかな?」
「……可愛い、私が可愛い。それに後1年たてば横島さんが……」
アスナが冷や汗を流しながら、床に沈めたネギと横島を見下ろしている横では、刹那が昨日に引き続いて横島の告白に等しいセリフを聞いた刹那が完全に舞い上がってる。今の刹那なら背中の翼など無くても簡単に空を飛べてしまいそうだ。
「あややー、せっちゃん顔真っ赤や。でも……横島さん自分が何ゆーたか気付いとらんのやろなー」
二人のやり取りを少しはなれたところで見ていた木乃香は、しっかりと先ほどのやり取りをビデオカメラで記録し、結婚式の余興の材料が増えたとほくそえむ。そして彼女はドン引きしている周囲の一般客を他所に、完全に飛んでいる刹那を促し、気絶したネギをアスナにまかせると横島の足を掴んで引きずりながら保健室へと向かうのだった。
「ん、ここはドコだ?」
あれから数時間後、横島はようやく意識を取り戻し、見慣れぬ部屋を見渡して首をかしげる。その横島の隣のベッドでは、昨夜のダメージを引きずっている上に結果としてアスナにトドメをさされたネギがいまだにスヤスヤと眠っている。
この時、横島はふと下半身に違和感を覚えてそこに目を向けると、そこには椅子に座ったまま横島のフトモモにもたれかかり、幸せそうに眠る刹那がいた。
横島はその刹那の顔に魅入られたように視線を向け、その髪をそっとすくう。すると、刹那は横島が動いた気配を敏感に感じたのか、うっすらと目を開け、自分を見つめる横島と目を合わせると、小さく、本当に小さくか細い声でそっと呟いた。
「横島さん、貴方が……好きです……貴方の側に、ずっと……」
「え……」
それはあまりにも突然な告白だった。
横島は突然の刹那の告白に目を見開き、まるで金縛りにあったかのようにピクリとも体を動かすことなく刹那を凝視する。
刹那は戸惑う横島を他所に、体を緩慢な動作で起こすと、ゆっくりとその顔を横島へ近づけると、月明かりだけが照らす静かな部屋の中で刹那は横島へそっとキスをした。
「大好きです、横島さん……」
二人の影が重なっていた時間はほんの一瞬、されど当人にとっては永遠に等しい時間が過ぎ去ると、刹那は横島から体を離し、もう一度自分の思いを吐露すると静かに微笑む。そして刹那は未だに硬直している横島にかまうことなくゆっくりと頭をたれると、横島の胸へもたれかかりながら夢の国へと旅立っていった。
「えっと……ひょっとして刹那ちゃん、寝ぼけてた?」
横島は突然のことにしばしの間呆然としていたが、事態を把握すると自分の腕の中で眠る刹那に目を落す。その刹那は夢の続きでも見ているのであろうか、横島の腕の中で幸せそうに眠っている。
「夢の中の告白……か。告白された以上、答えはかえさんとな。刹那ちゃん、後1年あるけど、これぐらいいいよな?」
横島は幸せそうに眠る刹那の頬を優しくなで、耳元でそっと呟くと刹那の額へそっとキスをする。しかし、刹那は横島が額へキスをした瞬間、その瞳から一滴の涙をこぼしながらもう一度呟くのだった。
「置いて行かないでください……」
「え?」
横島は刹那の悲しそうな声を聞くと、思わず顔を刹那から離し、まるで決して離すまいと服を握り締める刹那を見つめる。そして横島は刹那の目に浮かんだ涙をそっと手で掬い取ると、安心させるように刹那を抱きしめ、そっと呟くのだった。
「大丈夫、どこへも行かないから……俺はここにいる」
横島が刹那へ語りかけると、刹那の寝息はだんだんと安らいだものになる。しかし、横島の服を握り締めたその手は一向に離す気配がなかった。そして横島はそんな刹那に苦笑しながら天井を見上げた。
「行かないで……か。むしろそれは俺のセリフなんだけどな。いや、俺の場合は捨てないでか……しかし、いいかげんこのままだと俺の理性がやばい」
横島は天井を見上げながら何かに耐えるように呟く。実際のところ、先ほどまで横島は傍目にはかっこいいようにも見えるのだが、その内心では荒れ狂う己の煩悩と必死に格闘していたのである。そして彼の腕の中では無防備に眠る女の子、そして自分も憎からず思っている以上、その煩悩を制御するのは至難の技であった。
そした今、横島は必死に己の煩悩と戦いながら、されど決して刹那を離すことなく孤独で絶望的な戦いを続けるのだった。
「うわわわわわー! 寝過ごしたー!」
と、そこに横島にとって救世主が現われる。その救世主とは横島の隣で寝ていたネギであった。彼は横島が内なる煩悩と戦っている間に目を覚まし、周囲が暗いことに首をかしげながら時計に目をやると、その時計が午後8時を指しているのを理解すると、慌てて体を起こして絶叫したのであった。
「うわ!」
「キャ!」
横島はその声に驚いて抱きしめていた刹那を手から離すと、刹那もまたネギの声に驚いたのか、それとも横島の声に驚いたのか、ようやくその頭を覚醒させ、目をしばたかせながら体を起こした。
「おいネギ、寝過ごしたってどういうことだ?」
「あぶぶぶぶ、どうしよー! 皆さんのところに回る予定や格闘大会とパトロールがあったのに……ってあー! のどかさんと学園祭を回る予定がー!」
「や、やべー! のどかの嬢ちゃんとの待ち合わせは4時なのに、もう4時間も過ぎてる! あの嬢ちゃんのことだからひょっとしてずっと待っているかも……」
「あうううー!」
いぶかしがる横島を他所に、目を覚ましたネギとカモはパニック状態に陥ったまま、バタバタと部屋を駆け回る。横島はそんなネギ達をしばらくの間じっと見ていたが、自分の側をうろちょろしていたカモをむんずと掴んで顔の側まで持って来た。
「おいカモ、騒ぐのはかまわんが、いったい何をあせってるんだ?」
「ですから兄貴、寝坊、寝坊っすよ! ほら時計見てください、午後の8時っすよ」
「へ?」
横島はカモに言われてようやく今の時間を把握したのか、顔を硬直させるとギギギと錆びた機械のような音を立てて時計がかけてある壁に目を向ける。するとそこには見まごうことなくはっきりと短針が8の位置で輝いており、長針は2の位置で止まっている。つまり、今の時間は8時10分と言う事なのである。
「あー! やべえー、タマモと小太郎の応援とカップル撃滅の好機がー! まずい、今頃タマモは本気で怒り狂ってるぞ」
「す、すみませんー! 私がいながらーつい深く寝入ってしまって!」
「まずい、アイツは昔から約束すっぽかすとすさまじく怒り狂うからな。さすがの俺でも今回ばかりは真剣に命が危ないー!」
「あうううう、どうしよー! 先生なのに生徒との約束がー! 横島さん、文珠でなんとかできませんかー!?」
「無茶言うなー!」
横島と刹那、ネギ、カモの3人+1は完全に取り乱し、てんやわんやの大騒ぎを保健室で繰り広げる。特に命の危険が危ない横島はいかにタマモの怒りを回避するか、真剣に頭を悩ませるが、彼の頭ではどう考えてもいい案が出てくることはなかった。
しかし、この時一つの奇跡が起こる。
カチ!
この時、ネギの懐にある懐中時計から小さく作動音が響き渡ると同時に周囲の空間が捻じ曲がり、世界の全てが反転したかのような感覚が彼らを襲った。そしてその不思議な感覚が収まった時、彼らのいる保健室は明るい太陽の日差しに照らされ、先ほどまで午後8時を指していた時計は午前十時を指しているのだった。
「こ、これはいったい……」
横島は突然の事態にわけがわからず、呆然と部屋の周囲に目を向ける。そしてこの時、かすかに、本当にかすかな声が横島の頭に響き渡った。
「……ツ……タ……ノ……」
「ん? いや、気のせいか……」
横島は聞こえてきた声が妙に気になったが、それを気のせいと片付けると、自分達にいったい何が起こったのかを把握すべく、未だに混乱しているネギ達のもとへと向かう。横島はネギ達のもとへと向かいながら、妙に騒ぐ自分の霊感に事態がただ事ではないと実感する。しかし、今の彼の頭に有るのはただ一つ、いかにタマモの折檻から逃れるかという唯一つの命題だけであった。
第37話 end
「タマちゃーん、極楽大作戦コース、5名様ごあんなーい」
「はーい」
横島がアスナにノックダウンされ、保健室で惰眠をむさぼっているころ、タマモは自分に課せられた使命を存分に楽しんでいた。
彼女は自分が立つ扉のコースに客が来ると、笑顔でその客を迎え、彼ら、あるいは彼女らをその扉の向こうに送る。
そして10秒後
「いやぁぁぁぁー! モガちゃんがー、モガちゃんが来るー!」
「来るな、来るなー! 本物、本物の幽霊の大群がー!」
「認めねぇー! お前が織姫だなんて認められるかー……ってぎゃあああああああ!」
「夏なんか、夏なんか大っ嫌いだー!」
「誰か、誰か助けてー!
ハゲた神父がミサイルもって追いかけてくるー!」
彼女の立つ扉の奥からからは凄まじい叫び声が部屋を揺るがす。
「まったく、だらしないわねー。昔横島が経験したことを幻術で見せただけなのに」
タマモは部屋から聞こえる悲鳴を背に、情けない悲鳴を上げる客たちにぼやいた。そう、彼女はかつて横島が体験した経験をもとに、部屋の中で幻覚を見せていたのだった。その効果は覿面であり、未だに出口までたどり着けた猛者は皆無である。もっとも、その欠点としてタマモがいない間はこの部屋をオープンできないという弊害があるのだが、大部分の客はそれ以外の三つの部屋へ流れるのであまり影響はないだろう。
客たちにしても、洒落にならない悲鳴が聞こえる部屋より、楽しそうな笑い声と、適度な恐怖の叫びが上がる他の部屋のほうがずっといいのだろう。しかし、それでも10分に1回程度の頻度でこの部屋の入り口を叩く客が出る。
それは何故かといえば、その客達は全員男であると言えばおおよその見当がつくであろう。
タマモはこの麻帆良学園において鬼姫と称されるほど一目を置かれているが、同時に美人ぞろいでもある3−Aの中でも決して勝るとも劣らぬ美しい顔立ちをしている。それゆえ麻帆良学園に在籍する生徒達や、それ以外の一般客もタマモにいいところを見せようとばかりに無謀な挑戦を繰り返すのである。まったく、男のさがとは言えそのいじましさには涙を誘うものがあるだろう。
しかし、ここで付け加えておかないといけない事がある。先ほど在学する生徒と一般客と、両者を一緒に説明したが、この二つの勢力はある一つの事について明確な差異があった。それは何かと言うと――
「なーなー、この後俺らと遊びにいかない?」
「こんなとこで突っ立ってるよりずっと楽しいぜ」
――彼女の本性を知っているかいないかの差である。
ここできっぱりと断言するが、この麻帆良学園においてタマモをナンパする勇気ある生徒はいない。たしかにタマモを慕い、恋心を募らせる男は幾人もいるだろう。しかし、タマモは転校初期段階において、ナンパしてくる相手に対して例外なく実力行使を持って返し、その異名を麻帆良学園全土へ轟かせた。そして彼女が転校してより3ヶ月、数多のナンパ師達はタマモを恐れ、それでもなおタマモを慕い続ける者は闇に潜んでファンクラブを形成した。ちなみにそのファンクラブにおいて横島は賞金500万円の懸賞金がかけられているが、それを手にしたものはまだいない。
ともかく、彼女を少しでも知る者はけっして彼女をナンパしようなどとは思わないのである。しかし、それを知らない一般客はタマモをナンパしようと、軽薄な笑みを浮かべながら彼女へ近付くのだった。もっとも、大概のナンパ野郎はタマモの絶対零度の視線で退散していくのだが、この時ついにそれすらものともせずタマモの肩に気安く手をかける愚か者が現われたのだった。
「なー、いっそのことサボって俺らと一緒に外へいかないか?」
「お、それいーねー。外に車もあるし、行こうぜ」
「……」
本来ならタマモはこの段階で問答無用のハンマーの一撃を見舞っているのだが、さすがに今日は客商売の最中のため、うかつに暴れるわけには行かない。まして今は部屋に仕掛けた幻術を維持するため、そちらに神経を回しているのだからうかつに暴れたら幻術が解けかねない。さらに運の悪い事にこういうやからを無難に撃退できるであろう長瀬や龍宮、クーは不在であり、あやかも先ほど家族連れを案内するために扉の向こうにいるのだ。だからタマモは無言のまま二人の男を睨みつけ、怒りに震えながらじっと我慢する。
しかし、それがナンパ男達には気の小さな娘が自分達に脅えながら気丈に振舞っていると見たのだろうか、示し合わせたようにニヤリと笑うと強引にタマモの腕を取ると周囲の客たちを威嚇しながら外へと向かおうとする。そしていいかげんタマモの我慢が限界に達しようとしたその時、事件は起こった。
「はう、痛い! 胸が、胸が痛い!」
「ぐえええ、な、なんだこれは……がはぁ!」
タマモが今にも爆発しようとした時、突然男達は胸や腹を押さえると床に倒れてのた打ち回る。そしてタマモはその症状に見覚えがあった。
「横島の呪攻撃!?」
そう、目の前で繰り広げられる光景は横島が嫉妬に狂い、藁人形を打ち据えた時に見られる光景と全く同じであった。
タマモは近くに横島がいるのかと周囲をキョロキョロと見渡すが、どこにも横島の姿は見えない。タマモは床でのた打ち回る男達を冷然と見下ろしながら首をかしげたが、ふと何かに気付くと裏方の方へと続く扉を開ける。するとそこには和紙に墨で書いた人型に釘を打ち付ける死神の姿があるのだった。
「えっと、ひょっとして死神が助けてくれたの?」
死神はタマモにコクンと頷くと、トドメとばかりに二枚の紙に釘を完璧に打ちつけ、外から聞こえるうめき声がなくなったのを確認して満足そうに腕を組む。そしてタマモは死神の背後で束になっている和紙を手に取りながら、不思議そうに首をかしげるのだった。
「これは……横島の匂いと霊力……これってまさか横島が作ったの?」
死神は再びコクンと頷くと、いつものごとくプラカードを取り出し、事の次第を説明していく。それによると今朝早く横島は死神にタマモについて行くように命じ、確実に現われるであろうナンパ野郎にこれを使えと手渡されたのだと言う。
「……前々から思ってたけど、何の呪的媒体もなしに思念だけで……しかも今回は残留思念に加えて対象無制限……ほんっきでデタラメな霊能力ね」
タマモは呆れたようにその紙をつまみながら、ほんのすこし嬉しそうにその頬を染める。そして誰にも聞こえないほど小さな声でそっと呟くのだった。
「ありがと……横島」
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