「私はいったい何をしているんでしょうか……」
試合会場の脇に建っているとある建物の屋根の上でローブ姿の胡散臭いイケメンが膝を抱え、一人寂しく眼下で行われている熱い戦いを死んだ魚のような目で見つめている。これが膝を抱えていじけているのがネギだったり、小太郎だったり、あるいは横島だったりしたならばタマモや刹那を筆頭に3−Aの主要メンバーが押し寄せ、なんとか元気付けようとするのだが、あいにくとこの男にはそんな殊勝な友人はいない。いや、一人だけ友人というか知己がいるのだが、彼女がこの男の現在の状況を知ったならば間違いなく嬉々としてトドメを刺しに来るだろう。
そんな寂しき人生を謳歌している彼の名はクウネル・サンダース。本来その名前は偽名なのだが、本人はえらくこの名前を気に入っているため、今後もこの名前で通す事にしよう。
「なんで私が負け……いえ、確かに小太郎君は決して弱くは無いのですが、それでも負ける要素などこれっぽっちもないはずなのに」
クウネルはいまだに自分の負けが信じられないのか、負け惜しみともとれる発言をかましていたが、それもようやく落ち着きを見せ始めたころ、彼はようやくこの大会に参加した理由を思い出すのだった。
「この際小太郎君に負けたとか、そういうのはどうでもいいです。それよりも、ネギ君の父であり我が生涯の友であるナギとの約束がこのままでは……そうだ!」
クウネルがこの大会に参加した理由、それは行方不明であるネギの父親が関わっているようだ。そしてそのことを思い出したクウネルは懐から一枚のカードを取り出し、それを高々と掲げた。するとそのカードは光を放ち、光が収まるとクウネルの周りにはらせん状に彼を取り囲む無数の本が姿を現していた。
クウネルは自分を取り囲む本の中から一冊の本を取り出し、その本を開く。すると再び周囲を光が包み込み、その光が収まるとそこには今までのクウネルの姿は無く、学生服を着た黒髪の少年が不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。
不敵に笑う少年、その姿はクウネルを倒し、彼の計画を根底から覆した張本人、犬上小太郎その人であった。
「そうです、こうすればいいんですよ……小太郎君には気の毒ですが、私と彼が入れ替わってこのまま決勝まで行けばいいのです」
光が収まると共に現われた小太郎、それはクウネルの変身した姿であった。
彼の持つアーティファクト、その名は『イノチノシヘン』といい、その能力は特定人物の身体能力と外見的特長を完全に再生する事である。それ以外にも『半生の書』を作成した時点での対象の人格、記憶等の完全再生、早い話が完全なコピーを作成する事が出来たりもする。もっとも、その再生時間は10分程度しか無く、一度再生してしまえばその『半生の書』はただの人生録でしかなくなるのでいまいち使い勝手が悪い。しかし、ことこの場合において外見的特徴と身体能力を写し取るだけなら、なんら問題は無いのである。
特に、本来なら外見的特長の再生だけでも自分より強い者なら数分しか持たないのだが、幸か不幸か小太郎はクウネルより明らかに弱い。そのためトーナメント終了まで十分再生時間が持つ事ができるだろう。後は小太郎を呼び出して少し『眠って』もらい、彼と入れ替わるだけである。
クウネルが色々と追い詰められた末に思いついた起死回生の策略、それは事の善悪を考えないならばまさに完全な策であった。
「……そういえば、小太郎君はいったいどういう日常生活を送っていたのでしょうか。いい機会ですから少し覗いて見ましょうか。記憶の覗き見だけでしたら『半生の書』にも影響ありませんしね」
ただし、クウネルが余計な好奇心を刺激されなければの話である。
好奇心ネコを殺す。彼は先人達が残した貴重な言葉を真っ向から無視し、事態打開のメドがたった事で得た心の余裕を見事に最悪の方向へと進ませるのだった。
もしここで小太郎の普段の生活を知る者がいたならば、体を張って彼を止めたであろう。しかし、あいにくとここにいるのはクウネル只一人。ここでも彼の持つ人脈、友人関係の少なさが事態を最悪な方向へと彼を導いていく。それはまるでどこぞの魔王様と某一神教の開祖が裏で暗躍しているのかと思うくらい、見事なまでに彼には破滅の道しか残されていなかったのだった。
「さて、それでは記憶を拝見……」
クウネルは静かに本を開き、小太郎のこれまでの人生の記憶に精神をダイブさせていく。そんな彼の脳裏に浮かぶのは狗族と人間のハーフとして生まれた少年の苦難に満ちた人生であった。
小太郎の半生、それはまさに日々を生きるための努力。幼いころに両親を失った彼は生きていくために強くなり、生きていくために時には悪事にも手を染めても日々の糧を得ていく。そんな彼の人生が変わったのは横島という青年に引き取られてからであった。
クウネルの脳裏に浮かぶのはヘルマンとの死闘、そしてタマモのハンマー、挙句の果てにはネギと共に空高く打ち上げられ、泣き叫びながら人工衛星のごとく地球を回っていく小太郎達。そんな小太郎の記憶がまるで実体験したかのごとくクウネルの体を取り込んでいく。
クウネルは小太郎の姿のままいつしか手をギュっと握り締め、額に汗を浮かばせながら小太郎の人生を読んでいく。それはまさに大気圏で身を焼かれ、大地と熱き抱擁を交わし、時には黄金の鬼が振り回すハンマーをその身に浴びているかのようである。しかし、彼とてそん所そこらの修羅場は潜り抜けていない。確かに想像を絶し、今まで体験した事の無いような恐怖と苦痛であったが、それでも彼は何とかそれを耐え切り、小太郎の記憶を読みきるのだった。
「こ、これは……なんとも凄まじい人生ですね。世界を渡った横島という青年に九尾の狐の生まれ変わりまで……いえ、それ以前に小太郎君はこんな生活しててなんで生きてるんですか?」
クウネルは小太郎の記憶を読んだ事により、横島の素性とタマモの正体に気がついたが、それ以前に小太郎の日々の生活に戦慄していた。まあ、異世界を渡った人間だったり、悪名高き九尾の狐、それも金毛白面が現役でいたりすることよりも、小太郎が今生きているということが何よりも驚愕だったのだろう。
ともあれ、こうして小太郎の記憶を読んだクウネルは本を閉じようとする。しかし、その時クウネルは記憶の奥底で封印されている何か、それはもうまるでパンドラの箱を封印しているかのごとく厳重な封印が施された記憶のかけらを見つけだした。
「おや? なにやら厳重な封印が……まあ嫌な予感もしますが、毒喰らわば皿までと言いますし……」
クウネルは己の生存本能の警鐘を無視し、好奇心の赴くままその封印を解いていく。そして厳重に施された封印を解き、手にした記憶の箱を彼は少年のごとく好奇心に満ちた瞳で開くのだった。
――箱を空けて出てきたもの、それはまさに悪夢であった。
箱を空けた瞬間、突如として箱から吹き出した黒煙。それは瞬く間にクウネルの意識を取り込み、周囲を闇で包み込む。
「こ、これはいったい……」
クウネルは自らの意識下で生じた異変に戦慄しながら、突然の事態に何があったのかと暗闇に覆われた周囲に視線を走らせていく。すると、静まり返った空間の中でどこからとも無く足音が響きだした。
カッカッカッカッ
響き渡る足音は、姿は見えないのに確実にクウネルへと迫っていく。
クウネルは言い知れぬプレッシャーに襲われながら、必死にその足音の正体を探ろうとする。しかし、そんな彼を嘲笑うように彼の耳元に恐怖の根源、地獄の使者すら生ぬるいナニカの声が聞こえたのだった。
「この世で最も尊く、儚い物を知っているかい?」
クウネルは突如背後に沸いたおぞましい気配に身をすくませ、即座に振り向く。しかし、どんなに目を凝らしてもクウネルの視線の先には全てを飲み込む闇しかない。そして戸惑うクウネルのその耳に、再びおぞましき声がささやかれた。
「それはね……かみなんだよ」
クウネルは背中に浮かぶ嫌な汗と、幾多の戦いにおいてすら感じる事の無かった恐怖を無理矢理押さえつけ、恐怖の根源の正体を探るべくまさに神速の速さで振り返り――振り返ったと同時にその決断を心底後悔する。
クウネルが捉えた恐怖の根源、それは暗闇よりなお暗い闇の人影、その胸のあたりには不自然なまでに十字架が光り、その光を受けた頭頂部が神々しいまでに光り輝いている。しかし、その影が持つ波動はまさしく闇。ともすれば魔王クラスの瘴気すら放つその人影は、金縛りにかかったかのように動かないクウネルを見据えたまま、手にした巨大なハサミをゆっくりと持ち上げるのだった。
「塵は塵に、灰は灰に、禿は禿に……我が復讐は聖戦なり、偉大なる神の名のもとに全ての髪を……殲滅する!」
「小太郎君、あなたは本当にいったいどういう人生を歩んで来たんですかー!」
クウネルの記憶はその叫び声を最後にプッツリと消えている。そして彼が次に目を覚ましたのは、試合会場を見渡す屋根の上ではなく、本体が眠る麻帆良学園図書館島の奥深くであった。
小太郎の記憶の覗き見を敢行した勇者、クウネル・サンダース。これ以後、彼は少なくとも神を信じるのは止め、その後も悪夢にうなされたという。そして色々と重要な事があったはずの小太郎の記憶は、その悪夢によって完全に塗りつぶされ、クウネルの記憶にカケラとて残っていない。
小太郎の記憶の奥底に封じられ、クウネルによって開放されたパンドラの箱、その中に最後に残された物はまさに『絶望』であった。
なんに対して、誰の絶望なのかはあえて語るのはよそう。ともあれ、こうして武道会の表舞台から姿を消したクウネルの行動にあえて教訓を見出すならこの言葉しかないであろう。すなわち――
『仏ほっとけ、神かまうな、触らぬ髪にタタリなし』
――合掌。
第44話 「悪夢との戦い」
ガシィ!
試合場の中央で凄まじい打撃音が響き渡る。その打撃音が響き渡ると同時に、今まで香港映画のアクションシーンすら軽く凌駕する人外魔境の動きを見せていた少女二人、楓とクーは試合場の中央で完全に動きを止めていた。
「さすがはクー殿、見事な腕前でござった」
「楓こそすごかったアルよ。私も思う存分戦えて満足アル」
二人は中央で止まったまま、互いに笑みを浮かべながら相手の強さを再認識すると――
ドサリ
――全く同時に大地へと倒れ伏した。
「ダ、ダウーン! 両者見事なまでのクロスカウンターの末、壮絶な相打ちです!」
朝倉の白熱した実況と無情なカウントが響き渡る中、壮絶な戦いの末に相打ちとなった楓とクーは倒れ伏したままピクリとも動く事は無い。そしてそのままカウントは続き、ついに二人は立ち上がることなく床に横たわったまま10カウントを聞くことになるのだった。
「ダブルKO! 二回戦第二試合は両者同時KOで勝者なしとなります。その結果、自動的に犬上小太郎選手の決勝戦進出が決定しましたー!」
朝倉の実況が試合結果を観客達に告げ、小太郎の決勝進出を声高く宣言していく。しかし、それを受けた観客達の反応は何故か薄かった。
朝倉は予想と違う観客の反応に首をかしげ、まばらな拍手を送る観客達と床に横たわる二人を交互に見つめる。そんな中、朝倉はふと試合中も何故か盛り上がりが小さかったような気がしていたのを思い出したが、この時は特に気にすることもなく救護班の手配をしていく。
そして後に朝倉は学園祭の関連記事を書く上で観客の一人にインタビューを行い、この時の観客達の反応の理由を知る事になる。そして朝倉の手によって発行されたその記事には、彼女達の試合に関して観客のコメントとしてこんな記事が載せられるのだった。
「あの試合は確かに凄かった。中国拳法の奥義である発勁や東洋の神秘の分身の術、その攻防は確かに凄かった。でも……あの試合には俺たちの魂を揺さぶるナニカが足りなかった。そう、あの試合には萌え、色気、チラリズム、ネタ、そしてなによりも……
濃さが足りない!」
後世に残る幾多の激闘が行われた『まほら武道会』、その試合は小太郎の度肝をぬく実力に始まり、正等派なクーと龍宮の試合をへて、やがて萌えの筆頭として語り継がれるアスナと刹那の戦いと、観客達を爆笑と戦慄の渦に放り込んだ横島やネギの戦いへと続く。そして極めつけとなった小太郎VSクウネルの死闘によってすっかり目が肥え、ネタバトルに慣れてしまった観客達にとって楓とクーの真っ向勝負は地味なものでしかない。
こうして主催者の思惑はともかく、まっとうなガチンコ勝負が行われるはずだった『まほら武道会』に対して観客が求めるものは、もはや純然たる戦いではなく、ただひたすら笑いと萌えを追求するイベントへと成り下がっていたのだった。
「あは、あははははははは」
「あの、超さん大丈夫ですか?」
「なんで……なんでこうなるのかナ? 魔法の存在を世に知らしめるための伏線としてこの大会を開いたのに、これじゃあなんの意味もないネ」
とある場所にある秘密基地、その一室で大会の様子をモニターで見ていた超が虚ろな笑い声を可愛らしい口元からもらしながら、頭を抱えて机に突っ伏している。そんな彼女の傍らではハカセが額にでっかい汗を浮かばせながら、完璧超人として名高い超がうちひしがれて頭を抱えるというレアな姿を呆然と眺めていた。
「ま、まあ次こそは……うん、次こそは大丈夫ですよ。だって次はネギ先生と高音さんで、両方とも魔法使いじゃないですか。この組み合わせならきっとドハデな魔法がポンポンと……」
「本当にそう思うカ? 高畑先生とネギ先生の時も魔法を使ってたのにも関わらず出来上がったのはただの爆笑ネタ映像だたヨ」
「あれは確かに面白かったですねー、後で映像を編集する時に最後のシーンのサウンドエフェクトには鐘の音を……じゃなくて、さすがに連続でネタ映像にはならないと思いますよ。いくらネギ先生が暴走気味とは言え、高音さん相手にアレは使えませんし、高音さんも一回戦の恥をそそぐためにも全力で行くんじゃないかと」
「だったらいいのだガ……」
「ええ、大丈夫ですよ……たぶん……きっと」
ハカセはすがるような目をして自分を見上げる超に対し、微妙に目を逸らしながら答えたが、やはりどんなに言い聞かせたところで、いろいろと切羽詰っているネギが真っ当な試合をするとは思えず、そして高音に関してはなにやら呪のごとく不幸な未来が待ち構えているような気もしてくるため、その言葉にはどうにも説得力がなかった。
「ともかく、このままじゃ色々とまずいネ。なにかいい案は無いカ?」
「いい案はと言われても、さすがにこれ以上はどうしようもないんじゃないかと」
「かといって残ったメンツでまともに魔法戦闘をやってくれそうなのが誰もいないネ。エヴァンジェリンは封印されているし、刹那サンもよほどのことが無ければ神鳴流を使わない上、ネギ先生達にいたってはなんかさらに悪化しそう予感がする……そうだ!」
「なにかいい方法がありますか?」
「状況が膠着状態になったのなら、状況を動かせばいいネ! ここは一つ、相打ちになった楓達の代わりにリザーブとしてタマモさんを出場させればいいヨ!」
「タ、タマモさんですか!? たしかにタマモさんが相手なら誰が相手でも命を賭けて全力戦闘をやってくれそうですね、特にネギ先生と小太郎君が……でもいいんですか? 彼女は予選で負けてますよ?」
「その程度は主催者の意向としてどうとでもなるネ。こっちの目的のためには少々の横紙破りは気にしないヨ」
「そこまで言うんだったら反対はしませんけど……どうやって説得するんです? うかつにこっちから接触すると厄介なことになりかねませんよ。何故か学園側のマークが外れている事だし、ここは次のチャンスを待ったほうがいいんじゃないですか?」
「そこはそれ、彼を使えばいいネ!」
超は心配そうなハカセを他所に、笑みを浮かべて懐からリモコンを取り出してとあるボタンを押していく。ハカセはそんな超の姿を遠巻きに見つめながら、胸に湧き上がる嫌な予感を抑えきれないでいた。
「うふ、うふふふふふふ。これで今までの失敗は帳消しネ!」
「なんだろう、今この瞬間に死亡フラグを立ててしまったような気がするのは気のせいかな?」
薄暗い秘密基地の中、そこからは自らを悪とする少女の邪悪な笑い声がいつまでも、いつまでも響き渡るのだった。
「うふ、うふふふふふふふ……」
「あの、お姉さましっかりしてください。もうすぐお姉さまの試合が始まりますよ」
超が秘密基地で悪役にふさわしい邪悪な笑みを浮かべているころ、黒いローブを目深にかぶった少女が選手待機場の隅で一人膝を抱えて不気味な笑みを漏らしていた。
虚ろな瞳で虚ろに笑う少女、その名は高音・D・グッドマン。
彼女は一回戦で行われた壮絶な死闘の末、満場の観客達に全裸を晒したショックから未だに復活していなかった。
そんな彼女の傍らには、高音を心配そうに見つめている中学生ぐらいの少女、佐倉メイがなんとか彼女を元気付けようとむなしい努力を続けていた。
「お姉さまー、本当にこのままだと負けちゃいますよ。次はいよいよネギ先生となんですよ」
「うふふふふ……ってネギ先生ですって!?」
「お、お姉さま?」
今までどんなに声をかけようと虚ろに笑うだけだった高音だが、メイがネギの名を口にした瞬間、突然顔を起こすと炎を背負って立ち上がる。そのあまりに突然な復活劇にメイは思わず尻餅をつき、大きく口を開けながら呆然と高音を見上げていた。
「そうです! ネギ先生です! 彼を懲らしめるために私はこの試合に参加したのでした。メイ、ありがとう。もう少しで初志を忘れるところでしたわ」
「あ、いえ……お姉さまを助けるのは当然の事ですし」
「それでも感謝します。というわけで、これからネギ先生に……」
「あの、どうかしましたか?」
メイは突然電池が切れたかのように止まった高音を不思議そうに見上げていると、ようやく再起動したのか、高音はギギギと変な首の音を立てながらメイに視線を向け、何か酷い悪夢を見たかのような表情でメイを問い詰めだした。
「そういえば私とネギ先生が対戦するということは、まさか高畑先生は……」
「た、高畑先生ですか!? そ、それはその……」
高音は目を妖しく光らせながら、微妙に脅えるメイの肩をつかむ。するとそれを受けたメイはネギと高畑の死闘の顛末をぽつり高音に語って聞かせるのだった。
そして3分後――
「そうですか、ネギ先生はそんな破廉恥かつ卑怯な手を使って高畑先生に勝ったのですね……いいでしょう、ならば高畑先生の仇はこの私、高音・D・グッドマンが必ずとります! ネギ先生、貴方には全力で、それこそ操影術の奥義もって答えてあげましょう!」
――そこには一人の修羅が生まれ出でていた。
選手待機場の片隅で仁王立ちする少女。その背後には全てを焼き尽くす炎を背負い、今まさに高畑の仇を討たんと気勢を上げる。 そしてそんな彼女を茫然と見つめるメイの目の前で、どこからともなく現れた死神が手にした貼り紙を高音の背中に気づかれないように張り付けた。
「え、今のはなんなの? ってそれよりもお姉さ……ぶふっ!」
メイは張り紙を背中に付けるとすぐに消えていった死神に戸惑っていたが、ふと目にとまった張り紙の内容に思わず口を押さえ、こみあげてくる笑いの衝動を必死に抑え込んだ。
メイが必死に笑いを我慢するその張り紙の内容、それはあまりにタイムリーというか、気の毒すぎて涙が出るどころか思わず笑ってしまうほどなのだが、いつまでもこうしておくわけにもいかず、メイは必死に笑いを押し隠し、背中の埃を取るふりをしてその張り紙をそっとはがす。そして高音はと言えば、背中の張り紙に気づくこともないまま、ネギへの仇討を天に誓い続けるのだった。
メイはそんな高音を見上げながら、ふと手にした貼り紙に目を落とす。そこにはえらく達筆な文字で『裸王』と書かれていた。
「……なぜでしょうか、気のせいか今この瞬間にお姉さまの未来が確定してしまったような……」
「おほほほ! ネギ先生、せいぜい首を洗って待ってなさいよー!」
死神が張り付けた張り紙、それは予言なのか、それともただの悪戯なのか、それは誰にもわからない。しかし、メイはなぜかこの文字が高音の行く末を暗示しているかのようにしか思えなかったという。
「うおーいネギ、次はお前の番やな」
「あ、小太郎君!」
高音がネギとの対戦へ向けて気勢を上げているころ、その対戦相手たるネギは静かに整備されていく試合場を見つめていた。そんなネギの肩を叩いたのは、楓とクーの相打ちによって決勝進出を決めた小太郎だった。
「なんや不景気なツラしとんなー。せっかく高畑のオッサンに勝ったっつーのに、それじゃあ次の試合でコケてまうで。なんか心配ごとでもあるんか?」
「ん、なんでもないよ。ただ……一回戦の事を考えていただけだよ」
「一回戦か……ひょっとして後悔でもしとるんか? 具体的には最後のトドメを……」
「違うよ、あの戦い方は確かに卑怯とも言えなくもないけど。あの時僕がタカミチに勝つにはあの方法しかなかったんだ。だから僕は後悔なんかしないよ」
「ほならなんでそんな辛気臭い顔をしとるんや?」
小太郎はどこと無く沈みこんでいるように見えるネギの隣に座ると、心配そうにネギを見つめる。そんな二人の姿はまさに戦いを前にして沈みこむ少年とそのライバルという絵面であり、それを目にした観客達の中でもとある特殊な趣味を持つ女性達は何故か興味津々な視線をネギ達に送る。
そして、当然そ我が3−Aが誇る同人漫画家、早乙女ハルナはそんな美味しいネタを見逃すはずが無く、ネギ達にインスピレーションを刺激されたのか、持っていたスケッチブックになにやら一心不乱に絵を描き始め、それを覗き込んだのどかが気絶し、夕映が必死にそれを介抱しつつもハルナの書くスケッチブックから目が離せなくなるという一コマもあったりした。
ともあれ、当の本人であるネギ達はそんな周りの反応に気付くことなく、本人にとっては深刻な話を続けていく。
「それはまあ、アレだよ。横島さんとマスターの共倒れを期待……いや、どっちが勝つにしても勝った方も只ではすまないと期待してたのに、あんなに一方的に横島さんが負けたのがちょっとショックで」
「あー……うん、あの試合は確かに意外やったな。せやけどエヴァンジェリンも十分にダメージを負ったと思うで。主に精神的に」
小太郎は横島が医務室に連れられた後、試合会場の片隅でネギの次の対戦相手の高音と一緒に膝を抱えて蹲っていたエヴァの姿を見ているだけに、エヴァも十分なダメージを負っていると判断する。なにしろあの時のエヴァは小太郎からして見れば、勝者よりもむしろ敗者にしか見えないかったのだ。案外あの状態のままエヴァが復活することが無かったのなら、物理攻撃無効化の特殊能力を得たネギならばいい勝負どころか勝つことも十分可能なはずだと考える。
もっとも、小太郎のその考えは些か早計に過ぎない。なぜならばエヴァは既に復活しており、今は色々とやり場の無い怒りを腹に抱え、暴発寸前ともいえる状態になっているため、ある意味最初よりたちが悪くなっているとも言える。
ちなみに、エヴァ復活のきっかけとなったのは、小太郎がクウネルを負かしたことがその大きな要因だったりするので、人生とは実にままならないものと言えよう。
「まあ、これである意味一番タチが悪い横島さんとの対戦が無くなったのはいいんだけど、あとはマスターか……刹那さん、勝てるかなー」
「刹那姉ちゃんとエヴァンジェリンかー。どうやろうなー、封印されとるエヴァンジェリンが相手なら負けることは無いと思うんやけど」
「普通はそう思うよね。でも、マスターはアレでけっこう体術も凄いんだよ。僕がどんなにがんばっても最後には顔を踏みつけられて……」
「ま、こればっかは姉ちゃんしだいやな。せいぜい力の限り応援するしか無いで……ってお前普通は自分の師匠を応援せんといかんのとちゃうか?」
「ハハハハ、何を言ってるんだい。マスターが刹那さんに勝ったら最終日の僕の生存率はゼロに限りなく近くなるんだよ、そんな前提条件があるのにマスターを応援できるわけないじゃないか」
「いや、まあ確かにそうなんやろうけどな」
小太郎は真剣な眼差しで自分を見つめるネギに、こめかみに汗を一滴たらしながら呆然と呟く。
そんな時だった。彼らの背後に何者かがゆらりと姿を現し、その気配を感じてネギと小太郎がビクリと動きを止めたのは。
「ずいぶんと余裕ですわね、まるでアナタが次の試合で必ず勝つ事が決まっているかのようですけど」
「あ、アナタは……高音さん!? よかったー、てっきりマスターかと思ってました」
「普通こういう場合、悪口なりなんなりを言っている相手が出てくるのがお約束やからな。なんにしても命拾いしたで」
ネギと小太郎が振り返ると、そこには顔を微妙に引きつらせ、額に小さく青筋を浮かべた高音が腰に手を当て、泣く子も黙る鬼相浮かべて自分達を見下ろしていた。
「なんで私を見て安心しているのですか……じゃなくて、ネギ先生、この私を無視して準決勝を語るとは言語道断です! 次の試合、高畑先生への非道な振る舞いの報い、しっかりと受けてもらいますわよ」
「え? いや、タカミチとの試合は勝つために仕方がなく」
「いくら勝つためとは言え、やっていい事と悪いことがあります!」
「そんな! だって日本には『勝てば官軍』という先人達の残した偉大な教えがあるとマスターに聞きましたよ!」
「それはどっちかっつーと相手を揶揄する時に使う言葉やな……兄ちゃん達の座右の銘もそんなんやろうけど」
「ともかく、次の試合はせいぜい覚悟してください。この私が全力を持って、完膚なきまでに叩きのめしてあげます!」
高音は戸惑うネギにそう言い放つと、凄まじい怒りとプレッシャーをネギに与えてその場を後にする。この時、ネギは高音の背後に炎を背負った虎を目撃し、自分が眠れる虎の尾を踏んでしまった事に遅まきながら気付くのだった。
「ねえ小太郎君……」
「なんや?」
「僕、今からでも後悔してもいいかな?」
「まあ、なんや……昔から言うやろ『後悔役にたたず』って」
「それは『後悔先にたたず』だと思うけど。まあ、それでも間違いじゃないような気もするね」
「せやろ。ま、とにかくがんばって生き延びようで。俺は一足先に決勝でまっとるからな」
「うん、僕もがんばるよ。でも……今更だけど僕にとってこの大会の意義って、勝つことじゃなくて生き延びるためなんだね……あは、あはははははは」
ネギは足音高らかに自分達から離れていく高音の後姿を見つめながら、虚ろに笑う。
この大会に参加する理由は金のため、名誉のため、強者と戦うためと千差万別だが、ここにいる少年は生き延びるために戦うのだった。彼が平穏を手にするのは何時の日か、それは誰にもわからない。しかし、少なくともこの学園祭が終わるまでは平穏という言葉とは対極の人生を謳歌する事になるのは、たとえ神でも抗う事の出来ぬ絶対的な運命であった。
「それでは、二回戦第三試合……Fight!」
時は移り、ついにネギVS高音の因縁の対決の火蓋が気って落とされた。
ネギの前に立ちはだかるは高畑の仇討ちに燃える一人の少女。その意気込みはともすれば強力な眼光となってネギを襲う。そしてその眼光を一身に受けるネギはといえば――
「十字架怖い、十字架怖い……髪が、髪の使者が、光り輝く悪魔が来る! ああ、神様助けてー!」
――何故か高音のかぶるナースキャップモドキに描かれた十字架に酷く脅え、頭を抱えてカタカタと小動物のように震えていた。
「ちょ、ネギ先生! 人の事をいきなり悪魔よばわりとはなんですかー!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……僕じゃないけどゴメンなさいー!」
「おっと、これはどうしたことだ? 何故か試合開始早々ネギ選手が高音選手に土下座しています! これはひょっとして高音選手の鬼気迫る表情に脅えてしまったかー! やはり10歳の少年では女の怒りに耐えられなかったようです」
「ちょっとそこの審判! 人の事を勝手に鬼よばわりしないでくださーい! っていうかネギ先生、いい加減土下座はやめてちゃんと戦ってください」
高音を含め、誰もが首をかしげる中、ネギは試合中にも関わらず高音に向かって、正確には高音の頭に鎮座するナースキャップに向かって横島のような芸術的な土下座を敢行していく。当然そのようなことをされる謂れのない高音は、ネギのあまりの変わりように戸惑い、高畑の時のようになにかの罠ではないかと警戒する。しかし、それが罠でもなんでもないということを、観客席でそれを見ていた少女はよく知っていた。
「あー……やっぱり強烈過ぎて文珠でも消しきれなかったか」
「タマモさん、それはいったいどういうことです? ネギ先生になにかあったのですか?」
観客席でネギの醜態を見つめ、その原因に心当たりがある少女タマモは、頭痛を我慢するかのように額に手を当て、がっくりとうな垂れており、その隣にいるあやかは心配そうにネギを見つめつつも、なにやら原因を知っているような仕草を見せるタマモを問い詰める。
「いやね、ちょっと前にネギ先生と小太郎の新技開発の助けになればと思って横島の過去を追体験させたんだけど、どうもそれが見事にトラウマになったみたいなのよ。まあ、あの時は横島の文珠でその時の記憶をまるまる消したはずなんだけどね」
「じゃあ何故ネギ先生はあのように脅えているのですか?」
「たぶんあの高音っていう人がつけてる十字架のせいで記憶の一部が蘇ったんじゃないかな? どうやらネギ先生にとってインパクトが強烈過ぎて文珠でも消しきれなったみたいね」
「いったい何を見ればネギ先生があんなふうになるというのですか!?」
「……知りたい?」
「う……」
あやかは一瞬ネギが見たという横島の過去に興味をそそられたが、タマモの虚ろな目を見てその考えを改める。あやかはこの時、タマモの目を見た瞬間にタマモすらその横島が体験したという過去に脅えているのだという事を理解したのだ。
タマモが脅える。それはあやかにとって想像の範疇をはるかに超える事態である。それゆえ、あやかはタマモから目を逸らし、これ以上この話題について口にするのを控え、ネギの試合に集中するのだった。
「あーもう! ネギ先生、何に脅えているのか知りませんが、いいかげん正気にもどってください!」
「ヒッ!」
あやかが自らの保身のために事態の追求を諦めたころ、試合場ではいまだに自分を見て脅えるネギに業を煮やした高音がネギの傍らに進み出てその手を取る。すると、ネギはまるで親に怒られた子供のように目に涙を溜め、もはや爆発寸前なほど顔を恐怖にゆがめて高音を見上げた。
そしてこの時、ネギは不幸にも再び高音の頭上にあるナースキャップのマークを直視し、その高音の背後に闇の中から闇よりなお暗い影をはっきりと見た。
その影は闇より暗いにもかかわらず、何故かその輪郭ははっきりと見え、首にかかる十字架を光らせながらゆっくりとこちらにやって来る。そしてその影は自分に近付くにつれ徐々に頭頂部が光だし、やがて高音と同じように自分に向かってゆっくりとその手を伸ばした。
「え? ちょっと、ネギ先生……」
高音はわけがわからなかった。
ネギは試合開始早々自分を見てなにかに脅え始め、とりあえずネギを正気に戻そうとネギの手を掴んでみたら、まるでお化けでも見た子供のように目に涙を溜めている。おそらく、このまま放って置けば間違いなく子供特有のガン泣きがこの試合会場で披露される事は確実で、下手をすれば衆人環視の中、一睨みで子供を泣かせた鬼としてその噂は麻帆良全土を駆け巡る事になるだろう。
故に高音はなんとかネギをなだめようとぎこちない笑みを浮かべるのだが、もはやネギは止まることはなかった。
そして20秒後――
「ウワアアアアアーン、アスナさん助けてー!」
――高音の幾多の努力もむなしく、ネギはついに泣きだしていた。
「ネギ先生泣かないでくださいー! むしろ泣きたいのは私です! なんか観客の皆さんの視線が白いような気が……」
高音はもはや恥じも外聞もなく泣き叫ぶネギをなんとかなだめるためにネギを抱きかかえようとするが、当のネギは高音が近付くたびに益々脅え、ジタバタと手を振り回して高音の手から逃げ出そうとしていた。
パサリ
そんな時、ネギを抱きかかえるためにしゃがみこんだ高音の頭を彼女から逃れるために振り回したネギの手が掠め、それと同時になにかが地面にポトリと落ちた。
「う、うひいいー!」
ネギは高音の頭から帽子が落ちたのに気付くと、その帽子から距離を取るべくもがき始め、それを見た高音はようやくネギが何に脅えていたのか理解するのだった。
「これは……ひょっとしてネギ先生はこの帽子に脅えてたということですか? 一体何故……」
高音はネギが帽子に怯えているということに気づくと、即座に原因と思しき帽子を池へと投げ捨て、子供をあやすように背中をさすりながらネギを慰めていく。その姿は先ほどまであった高畑の仇討の鬼としての気配はかけらも残っておらず、それはまさに聖母のごとくの雰囲気すらまとっていた。
「ネギ先生、もう大丈夫ですよ。アナタが脅えていた帽子はもうありません」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、ですから早く泣き止んで私とちゃんと試合を……」
「試合を……」
ようやく泣きやんだネギと高音は互いに顔を見合わせ、自分たちがどういう状況にあるのかをようやく思い出した。そう、彼らは当初のドタバタで完全に忘れていたが、今はまだ試合の真っ最中のはずである。そして、その事に気づいたネギと高音はお互いに顔を引きつらせながら、ぎこちない笑みを浮かべるのだった。
ネギと高音の二人は今、互いに顔を見合わせながらお互いを必殺の間合いにとらえている状態にある。いや、正確に言うならネギのほうが高音を必殺の間合い捉えていると言えるだろう。なぜならネギは高音に正面から抱きかかえられているような体勢のため、高音の内懐に完全にもぐりこんだ状態となっているのだ。対して高音はと言えば、ネギとの身長差が災いし、ここまで接近を許したネギに対する攻撃手段を持っていなかった。
これで、もしネギがタマモ達に出会うことなく、普通に今までの時を過ごしてこのような状態になったのならば、ネギは迷うことなく高音から距離をとり、お互いに仕切り直しという形で試合を始めていただろう。しかし、ここにいるネギはあいにくとこの世の現実と厳しさをお腹一杯になってもまだ詰め込まれ、ある意味究極のリアリストと化してしまったネギだった。それ故――
「必殺! 雷華崩拳ー!」
「ひ、卑怯ですわー!」
――まさしく一切の躊躇もなく、己の最大威力の攻撃を高音のみぞおちへと叩き込むのだった。
「こ、これは決まったかー! なにやらよくわかりませんが、あれほど高音選手に脅えていたネギ選手が大逆転です!」
ネギの必殺技をモロに食らった高音はそのまま床に倒れ伏し、起き上がってくる気配を見せない。本来なら彼女は試合前にネギに宣言したとおり、自らの全力である操影術の奥義であり、物理攻撃に対して絶対的な防御を誇る『黒衣の夜想曲』をもって相対しようとしていた。
しかし、序盤のドタバタとネギの奇襲のため、結局術の発動すらできずにそのまま意識を混濁させていく。そして、彼女が静かに意識を手放した時、もう一つの悲劇が彼女を襲ったのだった。
高音が着ていた服、それは黒の派手目なドレスだったが、そのドレスは高音の魔法によって操る影によって作られたものだった。なぜ高音がそんな服を着ていたのかといえば、一回戦で田中との死闘の折、その戦いの激しさから全裸になってしまったため、今度は脱げることがないようにと魔法によって服を生み出していたのだが、今回はそれが完璧に仇となってしまった。
高音がまとう服、いや、影は先ほど説明したように基本的に高音の魔法によって形が維持されている。だが、高音は今完全に意識を失ってしまい、影を制御する魔法を維持することができなくなっていたのだ。
こうしていくつもの要因が重なり合い、それによって一つの悲劇が少女を襲う。その悲劇とは――全裸であった。
「こ、これは……」
朝倉たちの見ている前で、高音の服は瞬く間に消えていく。当然、その姿は観客たちにもばっちりと見えることになり、高音は生まれたままの姿を惜しげもなく観客たちにさらしていく。これが横島だったりしたのならば、新たなる性癖に目覚めたりしたのかもしれないが、あいにくと高音にそんな趣味はない。
それゆえ、気絶してすぐに目が覚めると、ネギの着ていたローブを奪い取り、泣き叫びながら試合場を後にするのだった。
「えー……またも大変なハプニングがありましたが……ネギ選手の勝利ー!」
こうしてネギはまた一つ己に課された山を越えることに成功した。後は次の試合で刹那が勝つか、それともエヴァが勝つか、それによってネギの今後の生死が決まることとなる。
はたしてネギを待つ運命は生か、死か。それとも、死にも勝る地獄の責め苦か。それはまだ、誰にも分らなかった。
第44話 end
「シクシクシク……」
「あー元気出すね、横島さん」
ここは麻帆良学園内のどこかにある秘密基地。そこでは目の前に広がる巨大スクリーンに向かって膝を折り、人目もはばからずその顔を涙で濡らす男と、それをなんとか慰めようとする一人の少女の姿があった。
「超ちゃん、なんでこんな時に限って俺をこんな所に? せっかくの眼福の映像を生で、いやチャンスがあれば直接いけたかもしれなかったのに」
「いや、そこでナチュラルにセクハラ宣言されても困るネ」
「これって私たちは犯罪を未然に防止したことになるんでしょうか……」
スクリーンの前で膝を抱える青年、それは先ほどまで医務室で枕を涙で濡らしていた横島だった。
彼は自らの心を苛む原因不明の悲しみに涙していたが、突如医務室のベッドの真下に大穴があき、まるでダストシュートのゴミのごとくこの場所まで運ばれてきたのだった。
ちなみに、その仕掛けは超とハカセが『こんなこともあろうかと』と言う科学者の本懐を成し遂げるために設計した無駄装置だったのだが、今回横島を強制召喚するために使用されることになったのである。
そして、スクリーンには『まほら武道会』の会場が映し出されており、ついさっきまでネギと高音の戦いがデジタルハイビジョン映像で流れ、当然最後に高音を襲った全裸ハプニングも高画質で映し出されていたのだが、超の作成した自主規制プログラムにより、肝心な部分が完全にモザイク処理をされてしまったため、横島は見事にお宝映像を見逃していたのだった。
「ま、まあとにかく、横島さんを呼んだのはちょっと頼みごとがあったからネ」
「んあ? 頼みごとってなんだ? 借金なら無理だぞ」
「お金には別に困ってないネ。私の頼みはタマモさんのことネ」
「タマモだと?」
横島は超からタマモの名を聞き、超がタマモの何かに感づいたのかと警戒し、少しだけシリアスな顔になる。
「ああ、そんなに警戒しなくていいネ。私が頼みたいのはタマモさんに格闘大会の本戦にリザーブとして出てもらいたいから、その説得を横島さんにお願いしたいというだけヨ」
「タマモを本戦に? けど、あいつ予選で負けてたろ」
「そこはそれ、こっちは泣く子も黙る主催者ヨ。その辺は特別推薦なりなんなりでどうとでもなるネ」
「それならそれでかまわんが……なんでタマモなんだ?」
「それはまあ、肝心の本戦で少しコマ不足というか、タマモさんが出ればもっとこう血沸き肉踊る展開を期待できると思ってヨ」
「血沸き肉踊るねー……あいつが本気で暴れたら『
血吹き出て肉潰れる』って状態になるような気がするんだが」
横島はタマモが本戦に解き放たれた場合を想像し、そのスプラッタな映像のあまり背筋を寒くさせる。元々タマモは賞金のため張り切っていたのだし、この提案がタマモになされた場合、横島の想像した絵は確実に現実のものとなること請け合いである。
「そ、その辺はまあ救護班を倍待機させるとか、一応対策を取るから大丈夫ヨ」
「ならいいんだが……けど、それ以前に俺に頼むなんて回りくどいことやってないで、直接本人に頼んだほうが早いんじゃないのか?」
「んー、それが可能だったら話は早いけどネ」
横島は額に汗を一筋垂らす超を見ながら、ふと自分の背後を指さす。すると、そこにはなにやら円筒形の機械に捉われているちびタマモとちび刹那の姿があった。彼女たちは横島を看病している最中に、横島と一緒にここに運ばれてきたのだが、到着早々に超によってこの封印機に捕えられ、本体への連絡もままならない状態となっていたのだった。
「ちょっと超! あんた横島に何をする気よ! とっとと私をここから出しなさい!」
「超さん、なんでこんなことをするんですか! ハッ! まさか超さんも横島さんを狙って……」
「いや、それはナイナイ」
超はちび刹那の見当違いの発言を即座に手を振って否定した。そんな彼女の脇で、横島はあまりにあっさりと美少女に切って落とされたため、ちょっぴりへこんでいたりする。
「じゃあなんなんですか!」
「何と言われても、さっき横島さんに説明したことが全てネ」
「信用できません!」
「右に同じよ!」
超は気持ちがいいくらいにキッパリと拒否の姿勢を示すちびタマモとちび刹那に、少しだけ額に青筋を浮かべたが、すぐに気を取り直すとニヤリと笑い、懐から何かを取り出して二人の前に広げて見せる。
「それは残念ネ。私の頼みを聞いて本体を説得してくれて、ついでにこの基地のこととか横島さんの事とかを秘密にしてくれるならコレをあげようと思ってたのに」
「そ、それは!」
「すでに横島さんのサインは完了しているネ、後はタマモさん達の名前を書いてしかるべき手続きをすれば……アレ?」
超が二人の前に掲げた物。それはいつぞや横島が酔っぱらった時に書いた2枚の婚姻届であった。超としては、かつて横島に切り札としてコレを見せた時にあっさりとスルーされただけに、凍りついた表情をする二人にその溜飲が下がる思いだったのだが、ふと気がつくとさっきまで確実に持っていたはずの婚姻届が跡形もなく消えていた。
超は突然のことに頭を混乱させ、キョロキョロと周囲を見渡していると、部屋の中央にある机の上で、いつの間に封印機から脱出したのか、ちびタマモとちび刹那がペンを片手に一心不乱に書類に名前を書いているのだった。
「さ・く・ら・ざ・き・せ・つ・な……これでいいですね?」
「よ・こ・し・ま・タ・マ・モ……こっちも書けたわよ」
二人は婚姻届に名前を書き終わると、嬉々とした表情で横島の周りを飛び回り、全身でその喜びを表現している。横島はそんな二人に冷や汗を垂らしながら、なんとなくこのまま人生の墓場へと一直線に突き進んでいく自分の未来を幻視し、そのあまりの幸せそうな未来に身もだえするのだった。
「えっと、ほとんど冗談で出したんだけどネ」
「一瞬の躊躇もなくサインしましたねー」
「どうやら自立型の式神だけに、主の願望が素直に出やすくなってるみたいネ……横島さん、愛されているみたいヨ」
「けど、それ以前にどやってあの拘束から脱出したんでしょうか?」
「えっと……愛を拘束することはできないということカナ?」
超は横島にしがみつくように婚姻届を見せるちびタマモとちび刹那を見ながら、茫然とつぶやく。そんな彼女の傍らではハカセが苦笑しながら、超が普段見せることのないバカっぽい顔を物珍しそうに見ている。
ともかく、超の思惑は予想外の展開もあったがとりあえず一応の成功を見せそうである。もっとも、はたして成功してよかったのか、そんな一抹の不安がハカセの脳裏をかすめるが、とりあえずその不安を黙殺し、ハカセは笑顔のまま幸せな未来に苦悩する横島を面白そうに見つめるのだった。
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