「さて、覚悟は良いか? このヨゴレども」
ここは『まほら武道会』が行われている、龍宮神社内の一角にある人気のない場所。そこでは額に井桁をいく筋も浮かべたエヴァが腕を組み、いつぞやのように首まで地面に埋まったチャチャゼロと茶々丸を見下ろしていた。
その一方で、まさに怒髪天を突くといった言葉が見事に当てはまるエヴァとは対照的に、地面に埋め込まれた従者達はきょとんとした表情をすると、おもむろにエヴァへと反論するのだった。
「別に私達はヨゴレてなどいないと思われますが」
「ドッチカッテート、ゴ主人ノ方ガヨゴレダヨナ」
ビシリ
従者達の己の身も振り返らない勇気有る発言の後、世界のどこかで破滅の音が響き渡る。ちなみにその音の発生源はもちろんエヴァの額だ。
よく見れば明らかに先ほどより井桁が増えており、口元も何かの限界を示すかのようにヒクヒクと動いて、いろいろな意味で危険信号を発しているが、従者達はそれに気付くことなく、狙ったかのように的確にエヴァの地雷を踏んでいく。
「き、貴様等……誰がヨゴレだと?」
「ゴ主人以外イネーヨナ」
「ええ、最近はもうすっかりヨゴレというか、楽しい存在に成り下がって……ああ、あの凛々しくも面白かったマスターはいずこへ!」
「今デモ十分ニ面白イゾ、マサニイジクッテヨシ、コスプレシテヨシノ万能選手ダ」
エヴァの怒りを他所に、従者達はさらにエヴァを怒らせていく。そしてついにエヴァの中でなにかが切れた。それはもうバッサリと景気よく。
「やかましー! そもそも私がこんな目にあっている原因の8割が貴様等のせいだろうがー! というか、面白いとはなんだ面白いとは!?」
「確かにその点については否定しませんが……」
「残リノ2割ハナンダロウナ?」
「おそらく、新しい自分を発見して密かに喜んでいるのではないかと思われます」
「アア、目覚メタトイウヤツカ」
「まさに……」
「ちっがーう! 人を変態みたいに言うんじゃなーい!」
エヴァは拳を握り締め、100年の恋も醒めるほどの怒りの形相を浮かべて怒鳴りつける。しかし、彼女の従者達はその程度のことで怯むことなく、むしろ一瞬エヴァがたじろぐほどのキツイ視線をエヴァへと浴びせかけた。
「ならばマスターに問います。マスターは本当にあの時なにも感じなかったのですか? 周囲を埋め尽くす大観衆、その全てがマスターに注目し、誰もがマスターへ歓声を送っていました。あの時マスターは観客達の熱い視線を感じ、共鳴し、その全てを受け入れたはずです!」
「な、何をばかな……」
エヴァは吸い込まれるほどに純粋な視線を向ける茶々丸に気おされたのか、本人が自覚せぬうちに一歩下がり、茶々丸の指摘に荒れ狂う心を必死になだめようとしていた。しかし、茶々丸の言葉は確実にエヴァを追い詰めていく
「いえ、あの時だけではありません。おそらく記憶には無いでしょうが、今までもマスターは幾度となくコスプレし、その身に宿る熱き思いを群集に晒してきました。その時の情熱と思いは確実にマスターの血肉になっているはずです」
「ち、違う!」
エヴァは必死に茶々丸を否定する。しかし、どんなに言葉で否定しようとも、その体は確かに存在しないはずの記憶をもっていた。そう、それは周囲を埋め尽くす群衆に囲まれ、幾たびものカメラのフラッシュ浴びる記憶。そのフラッシュを浴びるたびに、体の奥底からなにか熱い物がこみあげ――
「う、うわぁぁぁぁー!」
エヴァは心の中に生まれた感情を必死に否定するために大声をあげ、頭をかきむしりながら必死に頭を振る。しかし、その行動こそが茶々丸の指摘が正しさを証明する事になることに本人は気付いていなかった。
「マスター、人は誰しも着飾った自分を見てもらいたいものなのです。それが女ならば、むしろ自然なのです」
「ち、違う! 私は……私は本当に目覚めてなどいないんだー!」
「自分に素直になってください。あの時、本当に何も感じなかったのですか?」
「ち、ちが……」
「大丈夫です、ここには私達以外誰もいませんし、このことは決して他に漏らしたりはしません。私はただマスターの従者として、マスターの真なる御心を知りたいだけなのです」
エヴァは優しく微笑みかける茶々丸を直視できぬまま力なく膝を突くと、それでも最後の抵抗とばかりに茶々丸に首を振るが、いくら否定しようともそこに元の力は無い。今やエヴァは茶々丸の言葉責めにより、完全に従者達へのオシオキの件どころでは無くなっていたのだった。
一方、もだえ続けるエヴァを他所に、もう一人の従者であるチャチャゼロは自らの妹の見事な手腕に言葉もなくただ呆然と茶々丸を見上げていたが、ふと茶々丸と目が合うとニヤリと笑う。
「見事ナ洗脳ダナ……口先ダケデゴ主人ヲココマデ悶エサセルトハ……我ガ妹ナガラ恐ロシイ。イツノ間ニソンナ技術ヲ身ニ着ケタンダ?」
「この前木乃香さんに教えて頂いた物をベースに、ネギ先生と一緒に学びました。なんでも占い研で代々受け継がれるマインドコントロールだとか……」
「マインドコントロールッテレベルジャネーゾ、コレハ……」
チャチャゼロは視界の外で未だに自分を否定し続けるエヴァの声に、少しだけこめかみに汗を浮かばせながら茶々丸を見上げる。
「ともかく、これでマスターのオシオキは回避できました。後はコレを期にシラフの状態でマスターを文字通りコスプレマスターに仕上れば完璧です」
「ソウダナ……サテ、次ハドンナ格好デイジクッテヤロウカ」
「そうですね、アレをやった以上、次は当然ロードローラーの……」
ガサ
二人の従者は相変わらず首まで土に埋もれたまま、なにやら再び悪巧みをしようとしたが、ふいに背後で誰かが立ち上がる音がしてその会話を中止する。
そして、異様なプレッシャーが二人を襲う中、背後で悶えていたはずのエヴァが放つ、地獄の鬼もかくやというほどの低い声が従者達の耳朶を打つのだった。
「貴様等、さっきの会話はどういう意味だ?」
「……もしかして聞いてましたか?」
「しっかりとな」
「あの、マスターはひょっとして何か深刻な勘違いを……」
「マア、軽イ冗談ダ。ココハ主ノ度量ヲ見セルタメニモ、笑ッテ許スノガ正解ダゾ」
怒りの気勢を上げるエヴァのあまりの迫力に、従者達は生物ではないにも関わらず背中に汗を浮かべながら必死に誤魔化そうとしていたが、エヴァはそんな二人にニヤリと嫌らしく笑う。
「で、時に貴様等、先ほどロードローラーがどうのとか言っていたな」
「いえ、別にそんなことは……」
「言っていたな!?」
「ハイ……」
茶々丸はエヴァのあまりの眼光に恐れをなしたのか、がっくりとうな垂れると静かに頷く。するとエヴァは我が意を得たとばかりにパンと手を叩き、先ほどから彼女達の側にあった大きな物体にかけられたシートをはがす。
エヴァがシートをはがすと、そこには巨大な、そう黄色くて巨大なロードローラーが無言のまま鎮座しており、まさにちょっとした油断が死の香を振りまいている。
「奇遇だな、ちょうど貴様等のために土木研究会からロードローラーを借りていてな」
「それはどういうことでしょうか?」
「モシカシテ本当ニ目覚メタカ?」
「そ、それでしたら是非そこの鞄の中の衣装を着て乗ってください!」
茶々丸達はエヴァの予想外の行動に目を丸くし、特に茶々丸に至ってはついにエヴァが目覚めたものと確信して、傍らに置いてあった鞄の中の衣装を着るように懇願する。すると、エヴァは無言のまま鞄の中身を手に取り、その中身をマジマジと見つめると、暗く、それはもう人はここまで感情を押し殺したまま笑えるのかというくらい、不気味な笑みをその顔に浮かべた。
「ふん、これか……こんな衣装など私には必要ない」
「しかし、それでは片手落ちでは?」
茶々丸は表情を消したまま笑うエヴァに小首をかしげ、いかにしてエヴァを自分が望む方向に誘導しようか思案していたが、突然エヴァが顔を上げ、茶々丸を親の仇のごとく睨みつけるとその思考を止めた。
エヴァは茶々丸の困惑を他所に、颯爽とロードローラーによじ登り、主を主と思わない不届きな従者達へ向けて最後の手向けとばかりに宣言するのだった。
「安心しろ、既に私は成っている。だからこれからやる事にいっさいのコスプレなど必要ない……」
「あの、それはどういう意味でしょうか?」
「すぐにわかる。すぐにな……というわけで、喰らえ! ロードローラーだ!」
「ソッチカヨー!」
「ああ、マスター! それでは萌えがありません」
「URYYYYYYY!」
エヴァは極限をぶち抜いた怒りのせいなのか、それとも世界樹の影響で封印が弱まったせいなのか、その原因は一切不明だが、信じられないような膨大な魔力で体を強化し、20t以上もある大型ロードローラを担ぎ上げる。
そして、どこぞの奇妙な冒険に出てくる吸血鬼のごとくの奇声を上げながら、なにやら涙を流して不満の声を上げる従者達にロードローラーを叩きつけるのだった。
幾多の名勝負を生み、とある人物の思惑をぶち壊した二回戦も残り一試合、その準備が着々と進行している中、従者二人はついに今までの行動の報いをその身に受けることになったのである。
第45話 刹那、決意の向こう
「ネーギー! アンタは女の子に一体なんて事すんのよー! しかもまた脱がして!」
「はううう! ぬ、脱げたのは僕のせいじゃ……」
「問答無用ー!」
「ご、ごめんなさーい!」
試合会場を襲った限りなく人為的なハプニング、それがようやく終了し、その衝撃映像をしっかりと目に焼き付けた観客達の興奮もようやく収まりつつある。
そして、その試合会場の脇では、イギリス紳士として、いや、人としてやってはいけないことを堂々とやってのけたネギに対して、けっしてそこにしびれも、憧れもしないアスナがここぞとばかりに鬼もかくやという形相でネギへ説教を行っていた。
「だいたい何よ、あの戦い方は! さんざん泣き叫んだ挙句、必死にネギをなだめようとしていた高音さんにあんな不意打ちをして……少しは恥かしいと思いなさい!」
「け、けど恥かしいですむなら恩の字です! 人生命があってナンボ、死んで花実が咲く物かですよ」
「だ・か・ら・なんでそうすぐに切った張ったのヤクザな思考にたどり着くのよ! これは試合、試合なのよ! 普通に戦って、お互いの日々の修行を確かめるために全力をつくすものなの!」
「そうです、これは死合、僕にとって死合なんです! だからいかに相手に全力を出させずに、自分が全力を出すか、これこそが死合において最も重要な……」
「ちっがーう! 勝手に変な漢字変換するんじゃなーい!」
アスナが既に色々と手遅れの感の有るネギに対し、報われぬ努力をしているころ、そのすぐ側では刹那、タマモ、小太郎、そして今まで観客席にいた木乃香が苦笑を浮かべながら二人の漫才を見つめていた。
「一応戦う上では決して間違った考えじゃないんだけどね。横島の基本的な戦い方はそうだし……けど、さすがに女の子相手にあそこまでエゲツナイ事はしないわよ。セクハラはするだろうけど」
「兄ちゃんはともかく、ネギの言う事は確かに間違っとらんのやけど……人として間違っとると思うのは俺がまだ甘いんかな?」
「小太郎君、お願いですからそのまま純粋に育ってください」
「でも、小太郎君がネギ先生と同じ立場になっとったらどーするん? たとえば、負けたらタマモちゃんのオシオキが待ってるとかいう条件がついとったら……」
「う……」
「そこで迷わないでください!」
小太郎は木乃香に突きつけられた条件を頭に浮かべると、急に下を向いて沈黙してしまう。なにしろ小太郎自身が前回の戦いであやかの声援ともつかぬ脅しを受け、その恐怖から火事場の糞力のごとく最後の力をふるったのだ。それを考えれば、とてもネギの行動を否定する事などできない。
しかし、同時に小太郎の心の奥底にある女性は殴れないという考えもムクムクと起き上がり、己の保身と理想が体内でしのぎを削りだす。そういった思考が出来るあたり、小太郎はまだネギよりも傷が浅いのが窺えるのだが、現時点で意識内の抗争はやや保身側に傾いているあたり、小太郎も既に染まりかけているのかもしれない。
「まあ、小太郎はともかく、いったいぜんたいなんでネギ先生はあんなに歪んじゃったのかしら? 私が転校した時はまだもう少しは純粋だったような気がしたけど」
小太郎が脳内で色々葛藤をしていると、そこにタマモがまったく自覚ゼロの発言をかまし、それと同時に周囲は沈黙に包まれる。なにしろこの場にいる全員――タマモ以外――は、ネギが歪んだその原因の大部分を担う犯人について知っているだけに、なんとも表現しがたい表情で互いに顔を見合わせるのだった。
「えっと……タマモちゃん本気で言うとるのかなー?」
「たぶん本気なんやろうな。絶対自分のせいだと自覚してへんで」
「今更責めるつもりはありませんが、お嬢様のトラウマも元はといえばタマモさんが原因なんですよね」
「ん? ウチがどうかしたん? ウチは何も見てへんよ、トラウマなんて一つも……そう、アスナに置いて行かれて、ほんで横島さんが人型を失ったり、電車の中でネギ先生が血染めになっとったことなんか……あれ、なんでやろう? 震えがとまらへん。暗い……寒い……誰か、誰かウチを……ああ、そこにいるのはカーディ……」
「ちょ、お嬢様しっかりしてください! それは夢です、幻です! だから変な神様を見ないでくださーい!」
「アスナー! そっちのネギはもう手遅れだからほっといてこっちに手を貸して! はやくハリセンで木乃香をぶっ叩かなきゃ変なのが降臨するー!」
「な、なんや!? 空間が歪んで木乃香姉ちゃんの服が変わって……って黒!」
「みんないったい何やってんのよ……って木乃香ぁぁぁー、そっち行っちゃダメー!」
「タマモさーん、僕が手遅れってどういう意味ですかー!」
刹那の放ったほんの些細な不用意な発言、それは見事に木乃香のトラウマをがっちりとホールドし、なにやら向こうの世界を垣間見てしまった木乃香に対し、皆はネギをそっちのけで混乱の坩堝を形成していく。
そしてちょうどそんな時、異様に晴れ晴れとした表情を浮かべたエヴァがようやく試合会場に姿を現した。
「何をやっとるんだアイツらは……ん?」
エヴァは、真っ黒い何かを召喚しようとしている木乃香を必死に止めるタマモ達に視線を送り、その中で涙を流しつつ木乃香を羽交い絞めにしている刹那にふと目を止めると、先ほど茶々丸たちに見せたような暗い笑みをその顔に浮かべた。
「ククク、そういえばここにも私のフラストレーションの元凶がいたな……あの時刹那が勝たなければ……いや、負けても困るが、ともかくこの私に恥をかかせたその報い、存分に受けてもらうぞ」
エヴァのそれは完全なる逆恨み以外何物でもない。しかし、あの時の醜態はこれまで600年生きた中でそれこそ最大級の恥辱だったのだ。それだけに、恨みの方向性は多岐に渡ることになる。
そして試合中に横島を叩きのめし、クウネルを存分にいじくり、裏で糸を引いていた茶々丸達に制裁を加えた今、残された恨みは刹那只一人へと向かうのだった。ちなみに、アスナへの制裁として、後でネギと一緒くたに修行の時にいじくり倒す事が既に決定されていたりもする。
「それでは、まもなく二回戦第四試合を始めます。桜咲刹那選手、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル選手は舞台へ上がって下さい!」
エヴァが新たなる生贄をロックオンし、アスナの尽力により木乃香の黒化と世界の崩壊がギリギリの所で防がれたころ、そのタイミングを見計らったかのように舞台の準備が整い、エヴァと刹那がついに試合場へと呼ばれる。
そして試合前にいろいろな意味で消耗した少女と、今まで溜まりに溜まりまくったフラストレーションを晴らさんと息巻いている少女がついに対峙するのだった。
「あの……何故私を睨んでいるんですか?」
「なに、貴様を少しいじめてやろうと思ってな。ククククク」
「え、えっと……それはまた何故?」
刹那はエヴァの突然の『いじめ』宣言に目を丸くし、頭にハテナマークを浮かべるが、あいにくと何をどう考えてもエヴァを怒らせるようなことをした記憶などない。
故になんとかその理由を知ろうとするのだが、エヴァはそれを聞くと薄気味悪く笑う。
「私にとってのちょっとした余興だ。貴様のせいで受けた恥辱のうっぷんを晴らそうと思ってな」
「そ、それはいったいどういうことで?」
「クククク、覚悟するがいい。貴様に今から私と同等の、いや、私以上の恥辱を与えてやるとしよう」
「ちょっとー!」
エヴァのどこかイってしまった表情と、その物言いに刹那は思わず涙を浮かべてエヴァに抗議する。なにしろエヴァのその目を見る限り、どう見ても彼女は本気だ。このままでは、本当に試合中にとんでもないハプニングが刹那を襲いかねない。
それだけに刹那は必死で猛抗議をするのだが、エヴァは刹那の抗議を完全にスルーし、いかにして刹那をいたぶり倒そうか思案している。
「そうだな、ここは一つヤツが言っていたネコミミ&スク水&セーラー服がいいかな。おお、そう言えばこの前タンスに『8』の字が書かれた男物のランニングとトランクスあったな、あれも中々……」
「ちょ、エヴァンジェリンさん! なんですかその不吉な取り合わせはー」
刹那はなんとかエヴァを正気に戻そうと涙ぐましい努力を続けるが、エヴァの妄想は止まらない。エヴァの脳内では、いかにして刹那をいじくり倒すかということしか考えられないでいた。
そして散々刹那を己の脳内で陵辱した末、今のエヴァはなにやら自分の不幸な境遇と、刹那の幸せな境遇にまでグチを言いはじめる。
「だいたいただでさえでも私は『登校地獄』なんぞというふざけた呪いに犯され、従者どもの悪ふざけはエスカレートしてどえらい目にあわせられているのに……貴様は念願の近衛木乃香と友誼を取り戻し、タマモや神楽坂アスナたちと楽しみ、あまつさえ横島に恋だと? ふざけおって……」
「えっと……エヴァンジェリンさん?」
刹那は何とかエヴァを正気に戻そうと努力をしていたが、ここでふと手を止め、改めてエヴァの口から漏れるグチに耳を傾ける。すると、そこから漏れる内容はどう考えても逆恨みとしか思えない。
まあ、エヴァのグチを要約すれば『一人で勝手に幸せになりやがって、この裏切り者!』となるので、逆恨みとしか受け取る事ができないのは当然であろう。そして、そのことに気付いた刹那は先ほどまでのうろたえた表情から元の落ち着いた表情に戻り、若干目を細めながらエヴァに声をかけた。
「まったくもってけしからん。元々貴様は私と同じ不幸キャラだったはずなのに、なんでこれほど違いが……ってなんだ、桜咲刹那?」
「あの、もしかして先ほどの私をいじめるというのは、ひょっとしてただの逆恨みですか?」
「……」
多少なりとも自覚があるのだろうか、刹那の冷たい視線を受けたエヴァは、頬に一筋の汗を浮かばせながらしばしの間沈黙する。
そしてエヴァが沈黙してより20秒後――
「貴様はトルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一説、『幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ』というのを知っているか?」
――分が悪いとでも思ったのか、エヴァは刹那の冷たい突っ込みを華麗にスルーし、一気にその話題を変える。ここでもしエヴァの目の前にいるのが刹那ではなく、タマモや横島であったのなら、このあからさまな話題転換にも動ずることなく、的確にエヴァの弱点をえぐりぬいていただろう。
しかし、ここにいるのはボケや突込みに対して些か修行の足りない刹那である。そのため、刹那はあっさりとエヴァの術中にはまる事となるのだった。
「えっと、それがいったい……」
「ま、幸せなやつはみな似たり寄ったりだが、不幸なやつはそれぞれに違うとゆーことだな。これが何を言っているかわかるか?」
「あ、あのーさっきからいったい何の話で……というか、さっきまでの私への」
「幸せなやつはつまらんということだ」
「は……?」
刹那は強引にセリフをかぶせ、話題の方向を修正してくるエヴァに思わず沈黙する。すると、エヴァはニヤリと笑い、頭にハテナマークを浮かべる刹那に答えた。
「幸福な輩に語るべき物語はない。不幸と苦悩こそが、人の魂に火を宿す……あのぼーやのようにな」
「ま、まあ確かに最近のネギ先生の生きざまというか、その人生はすさまじい物がありますけど……」
この時、刹那の脳裏にふとネギの日常の姿が浮かべて黙り込む。
それはまさに人生波瀾万丈、数え10歳にして世間の荒波に放り出され、ほんのわずかなミスが致命的なミスを呼び込む隣り合わせの灰と青春な毎日。文字通り魂を燃やして生きるネギの姿は、何よりもドラマチックであり、エヴァの言うことに説得力を感じさせていた。
エヴァは黙り込む刹那を見ると、その口に浮かべた笑みを益々深くし、攻撃の手を緩めることなく刹那を追求していく。エヴァとしては、せいぜい試合前に刹那を精神的にいたぶり、動揺させ、その隙をついて試合を有利に展開させようという腹づもりのようだ。
ちなみに、エヴァ計画による『刹那いじり』の予定として以下のプランが立てられていた。
1.刹那が幸せにおぼれて腑抜けていることを自覚させる。
2.1のプランが上手くいけば当然刹那は動揺する。それにつけこんで糸で拘束し、色々と恥かしい格好をさせる。なお、この時当然言葉責めは継続。
3.可能ならばその後幻術を使用し、幻想空間内でガチバトル。(全力戦闘によるフラストレーション発散が主な目的)
4.幻想空間内において、究極の選択を賭けとして突きつけ、散々いたぶり倒した後、幻想空間から開放。
5.最後に脱がす!
それは実に壮大なプランだった。
もしエヴァの計画するこのプランが完遂された場合、おそらく刹那は二度と戦士として、いや特に5が実行された場合、女としても二度と起ちあがる事はできないだろう。真祖の吸血鬼、闇の福音の面目躍如、まさに外道の計画である。
エヴァは脳内に浮かぶ刹那の泣き顔に背筋をゾクゾクとさせながら、計画の第一段階を実行すべく、トドメの言葉を発した。
「貴様もそう思うか……しかし、それに対して貴様はどうだ? ええ、幸せそうじゃないか」
「ハイ、とっても幸せですよ」
「……」
沈黙する事10秒、試合場に何故か乾いた風が吹く。
刹那による完璧に予想外の回答に、エヴァはアホの娘のように口をあんぐりと開け、ただひたすら沈黙する。それに対して刹那は、さも機嫌よさそうにニコニコと笑みを浮かべていた。
エヴァはしばしの間、自分と違って純粋な笑顔を見せる刹那を無言のまま見上げていたが、やがて気を取り直したのか、頭痛を抑えるかのように頭に手をやると再び刹那に声をかける。
「あー……貴様本当にそう思っているのか?」
「そうですけど、それがなにか?」
「だからなんでそこで素直に肯定する! いいか、私は不幸こそが人生の糧になると言ったんだぞ、だったら普通話の流れからいって自分が幸せかどうか疑問に思い、なおかつ自分が幸せになっていい存在なのか葛藤するのが筋だろうが! 貴様の場合は特に!」
「そう言われても……お嬢様と普通に過ごす事ができて、アスナさんやタマモさんとも親しくなりましたし……そ、それに横島さんともいっしょに居られて……私にとって贅沢すぎるくらい幸せです」
「だーかーらー、それがいかんと言うとるんだ! なんだその不抜けた、いや、色ボケたその顔は! かつてその生まれや、自分のままならぬ思いに囚われていたころの貴様はもっと鋭い顔をしていたぞ!」
エヴァはキョトンとした表情で自分を見つめる刹那に、思わず怒鳴りつけてしまう。なにしろエヴァにしてみれば、勝手ではあるが刹那の境遇に共感を覚えていただけに、現在の刹那の状態は失望以外何物でもない。
確かに以前の刹那、特に自分の幸せに対して否定的な思いを持っていた刹那ならば、間違いなく最初のセリフで十分なゆさぶりが可能だったであろう。しかし、今エヴァの前に立つ刹那はいとも簡単に自らの幸せを肯定して受入れ、そのことに対して微塵も疑いを持っていない。これでは当初の計画における、第一段階の崩壊を意味している。それを察知したエヴァは、なんとか刹那の動揺を誘うため必死の説得を行っていた。
一方、必死の説得を続けるエヴァを他所に、刹那は首をかしげながらエヴァを見つめている。
幸せになるチャンス、それは誰にでもある。人の幸せと不幸、それは幸せになるチャンスを逃さず、確実に掴みとる事が出来たか否かの違いでしかない。
刹那はその数少ないチャンスにアスナやネギ、そしてタマモと横島によって導かれ、今まで頑なに拒んでいた幸せに向かって手を伸ばした。そして、その幸せそのものもまた刹那へと手を伸ばし、決して離さないようにその小さな手を掴んでくれたのだ。
刹那はその幸せ、つまり木乃香やアスナ達、そして横島とタマモが伸ばした手のぬくもりとその思いを知るが故に、エヴァの言葉に動揺することなく、自信を持って自分が幸せであると主張できたのだった。
「だいたい、修学旅行の前までの貴様はどこへ行った! あのころの貴様は影を背負いながらも、カミソリのような切れ味があったはずだぞ! この私のように!」
「は、はあ……確かにエヴァンジェリンさんも今ではすっかり別の意味の影を背負って、すっかり面白い人に……」
「貴様もそれを言うか、この野郎!」
エヴァはどうにもままならない展開にエキサイトしてきたせいか、小さな体をジタバタとさせながら刹那をなんとか追い込もうと無駄な努力を続けていく。しかし、エヴァがいくら言葉を費やそうと、刹那の心はいっこうに揺るがない。むしろそれどころか、刹那がなんとはなしに切り返したセリフでエヴァ自身のほうが深い傷を負っているような気もする。
刹那はそんなエヴァの姿を眺めながら、いつになったら試合が始まるのだろうかと考える。この時、チラリと横目で朝倉のほうを見ると、彼女は二人の会話に割って入るべきか否か思案しているようだ。
刹那はここで一つため息をつき、いっこうに終わりそうもないエヴァの話をいいかげん終わらせるべく、自らのカードを切る決意をするのだった。
「あの、エヴァンジェリンさん……」
「なんだ?」
「先ほど、幸せな人間はどこにでもあるつまらない人生を送っていると言われましたよね。つまり、幸せになった私もつまらない人生を送っているということですか?」
「そうだ、不幸こそが人生の糧であり、人の成長を促す。だのに貴様はなんだ、すっかり不抜けてしまいおって」
エヴァはようやく話が通じたと感じたのか、冷静さを取り戻すと刹那を追い詰めるために一気にたたみかけようとする。しかし、それに対して刹那はどこまでも冷静に、顔色を変えることなく、子供に言い聞かせるように自らの考えをエヴァに披露した。
「確かに私は幸せですけど、横島さんやタマモさんと一緒の日々、これってどこにでも転がっている普通の幸せなんでしょうか?」
「……」
エヴァと刹那の間に再び沈黙の帳が下りる。そしてその沈黙の中、エヴァは刹那の言わんとすることを理解する。
確かに刹那は幸せだろう。しかし、その内容はといえば”あの”タマモ達、特に『災禍の中心』と仲間内で囁かれる横島と一緒に過ごしているのだから、その一日の濃さは尋常ではない。
それに、エヴァは刹那を不抜けていると言ったが、あいにくと不抜けていては横島やタマモの隣に立つことなど決して出来ないのである。なにしろ、横島は目を離せばすぐにナンパをするので、刹那はタマモと共にそれを防ぐために超人的な隠行能力を発揮する横島を追跡し、マタギのごとく獲物を追い詰め、確実にし止めねばならないのだ。また、怒りのあまり暴走するタマモを押さえる事は、正直魔物100体を切り伏せる事よりも難しい。
そんな困難で波乱万丈な毎日を過ごす刹那は、以前とはまったく別の意味で精神や体の緊張を保ち、常在戦場の心得を体現しているのだ。これで不抜けているとか、どこにでもある普通の幸せかと問われれば、誰だって全身全霊で持って否定するのは当然の事であろう。
「ここ最近、正直手前味噌かもしれませんが、以前より確実に反応速度が上がってるんですよね」
「そ、そうか……というか、強いな貴様……」
「強くなくちゃあの人達の隣に立てませんから」
エヴァは刹那の日々を思い、言葉少なくただ純粋な笑みを見せる刹那を眩しそうに見上げる。エヴァはことここに至り、自らの計画した『刹那いじり』のプラン1及び2が瓦解した事を思い知るのだった。
「あのー……お取り込み中の所すまないんだけど、そろそろ始めちゃっていいかな? 試合……」
「あ、ハイ。お願いしますね」
「さっさと始めろ……くぅ、こうなったら力ずくで泣かしてやる」
と、そこに話に割って入るタイミングをずっと計っていた朝倉が、ようやく話に一段落ついたと見て試合の開始を二人に促す。すると、刹那はどこまでも笑顔のまま答え、それとは対照的にエヴァは憮然とした表情のまま物騒な事を口にする。
朝倉はそんな二人の試合展開に一抹の不安を覚えながら、ようやく試合開始を告げるのだった。
「カミソリの切れ味ねー……確かに以前の刹那はどこか危なっかしいような、触れれば切れる感じだったけど」
ようやく試合が始まり、刹那とエヴァが互いに対峙すると、それを観客席で見ていたタマモは妖狐特有の聴力で聞いていた二人の会話を思い出しながらボソリと呟く。すると、その隣にいたあやかがタマモに答えるように相槌を打った。
「最近は良い意味で柔らかくなってますものね」
「そうね、今はカミソリと言うより、折れず曲がらずよく切れる日本刀って感じよね。このまま行けば将来はきっと稀代の名刀に……ってアヤカ、今の二人の会話が聞こえたの!?」
「え!? ええ、そう言えば以前から耳は良い方でしたが、今回は何故かよく聞こえましたわね」
タマモは人類として常識外の聴力を見せたあやかに、思わず驚愕の表情浮かべて彼女の顔を見つめる。すると、あやかは頬に手を当てながら頭にハテナマークを浮かべて小首をかしげた。
タマモは内心この原因は横島と同一存在であるあやかの魂が、より強い魂である横島に引きずられているのではないかと当たりをつけたが、この時は特にそれを言及することなく、すぐに話題を切り替えることにする。
「ま、それはそれとして、アヤカはこの試合をどう見る? アヤカも一応武術を嗜んでるんでしょ」
「どう見ると言われましても……刹那さんもエヴァンジェリンさんもかなり強いとの事ですし、私程度では計りきれませんわ。タマモさんの方こそ、どちらが勝つと思いますか?」
「うーん、どっちが勝つかといえば……刹那が迷うことなく奥義全開で行けば、今のエヴァならよほどのことがない限り負けることは無いと思うんだけどね。けど……」
「やはりエヴァンジェリンさんは一筋縄ではいきませんか」
「そうね、伊達に年食ってるわけじゃないし、特に戦いの場では私達には無い老獪さって物を持ってるしねー」
「老獪さって……一応エヴァンジェリンさんは私達と同い年という事なんですが。まあ、確かに実年齢ではかなりお年を召してらっしゃるようですけど……」
エヴァが聞けば、怒髪天を突くであろう会話を二人は続けていく。ちなみに、タマモも実年齢で言ったら中学生どころか、3歳でしかなかったりする上、転生前の年齢をそれに加算した場合はエヴァをはるかに超える数千年単位での年齢になるのだが、あくまでも乙女であるタマモはその点に関して決して言及することは無い。
まあ、転生前の記憶はほぼ全てなくなっている上、精神年齢で考えれば間違いなく15歳に相当しているため、この点に関してあまり深く突っ込む必要も無いし、突っ込んだ場合は命の保障が無い。
ともあれ、二人が刹那達の戦いの展望を話しているうちに、当の刹那たちは互いに刃を交え、白熱の戦いを繰り広げていく。
吸血鬼としての力を封印されているエヴァは、刹那と比べてどうしても身体能力的に劣る事になるのだが、日本に来たばかりのころに覚えた――エヴァの言うところのチンチクリンの爺さんに教わった――合気柔術を披露しつつ、刹那を拘束しようと糸を張り巡らす。
一方、刹那の方は身体能力的に圧倒的に優位に立ちながらも、決して油断することなく周囲に気を張り巡らし、自分を拘束しようと迫るエヴァの糸を巧みに避け、エヴァの100年に渡る年季を持った合気に苦戦しながらも互角の戦いを繰り広げ、いつしか二人は互いに動きを止めたまま鋭い視線を交差させる。
エヴァと刹那の戦いは今、見事なまでの膠着状態に陥っていた。
「なにか……動きが止まりましたわね」
「お互いに決め手が無いからしょうがないかもね。刹那は奥義を見せるわけには行かないし、エヴァも元々身体能力が負けてるし……ん?」
「どうしました?」
互いに動きを止めた刹那達を見ていたタマモだったが、ふと何かに気付いたのか、その視線を鋭くさせる。
「どうやら戦場を変えるみたいね……」
「戦場を変える? それはいったいどうやって?」
「幻術よ、エヴァが今幻術を使って刹那の意識を別の場所に移動させたわ。一種の幻想空間と言った方がわかりやすいかしら。どうやらそこでお互いに全力で決着をつけるみたいね」
「幻想空間ですか……その内容を見ることは出来ないのですか?」
「さすがに無理よ。妨害なら出来るけど、他人の幻術に干渉してその内容を覗き見るなんて横島の文珠でも使わない限り無理ね」
幻術のプロフェッショナルであるタマモは、エヴァの行おうとする事を正確に看破した。しかし、看破する事は出来ても、その内容まで見ることは出来ず、あやかと共に悔しそうな表情をする。
ちょうどその時、二人の会話に割り込むようにアスナの大声がタマモ達の耳に響き、次いでその声の主であるアスナが二人の前に姿を現した。
「タマモちゃーん!」
「突然どうしたのよ、そんな大声を出して」
「いいからこっちにちょっと来て。大事な……そう、大事な用があるのよ」
「大事なって、今ちょうど刹那の試合が……」
なにやら必死の形相で迫るアスナに、思わずタマモはのけぞってしまうが、アスナはそれにかまうことなくタマモの耳に口を寄せ、タマモにしか聞こえないように小さく囁いた。このことにより、タマモはアスナの用件が魔法がらみであることと予測をつける。
「だから、それがらみで大事な用があるのよ。タマモちゃんと刹那さんは横島さんと仮契約を結んでるでしょ」
「そうだけど、それがどうしたの?」
「ネギが言うには、今刹那さんはエヴァちゃんの幻術で幻想空間って所に居るらしいの。それで、タマモちゃんの仮契約カードを経由して刹那さんとリンクすれば、私達もその内容を見ることが出来るらしいのよ」
「それ、本当なの?」
「本当よ」
タマモは自信たっぷりに頷くアスナを見て、次いで背後に居るあやかに目を向ける。するとあやかは全てわかっているという風に笑みを見せると、静かに頷いて見せた。
「わかったわ、じゃあ行きましょ。アヤカ、ちょっとアスナと行って来るわね。すぐ戻るから」
「ハイ、私はここで待ってますから」
「いいんちょごめんね、タマモちゃん借りるわよ」
「アスナさん、後でちゃんと返してくださいね。傷つけたら承知しませんわよ」
「誰が傷つけるか! ていうか、アタシがタマモちゃんをどうにかできるわけ無いでしょ!」
タマモはあやかに一言断りを入れ、あやかもまたアスナと軽い言葉の応酬をしつつタマモを見送る。そしてタマモ達の姿が他の観客達の間に埋もれると、ホウっと息を一つ吐き、誰にも聞こえないような小さな声でそっと呟くのだった。
「知っているのに知らない振りをするのも、少し寂しい感じがするものですわね」
あやかはアスナ達の輪に入ることが出来ず、ただ待つことしか出来ない自分に歯がゆい思いを感じる。しかし、それと同時に自分の力の無さも十分に自覚しているため、それ以上不満に思うことはない。
確かにどんなに歯がゆい思いをしようと、自分は横島やタマモ、刹那のように魔法がらみの危険に対して有効な力を持っておらず、戦いの場においてはただの足手まといでしかない。しかし、ようは戦い以外で自分が出来る事をすればいいのだ。
戦い以外で自分が出来る事、それはタマモ達の日常を守る事。横島が気楽にナンパし、その隣で刹那とタマモが怒り、そんな二人を小太郎と共に苦笑しながら眺める。そんな当たり前の日常こそが自らの力を発揮する時なのだ。
非日常の世界は横島達に任せる。しかし、それ以外の日常の世界は決して誰にも邪魔はさせない。だからこそ、あやかは非日常の世界を知りながらも、決して日常の世界を出ないと決めたのだ。
あやかはそんな決意を胸に、改めて刹那とエヴァを見つめる。そして二人のクラスメイトが無事に帰ってくるようにそっと祈るのだった。
「いやー! また裸ー!」
「ですから仕様ですって」
「いくら仕様だからって納得は……ってなんでタマモちゃんは服着てるのよー!」
あれから5分後、タマモとアスナはネギの元へ向かい、ネギの魔法によって見事に刹那達が闘う幻想空間――エヴァの別荘――への進入に成功していた。
もっとも、相変わらずネギが使うサイコダイブの魔法はアスナ達を素っ裸にひん剥く事になっているのだが、何故かタマモだけは普段の麻帆良学園の制服を着ていた。
「単純に慣れの問題よ。妖狐の私は衣服ごと変化できるから、こういう場合でも自分のあり方を衣服込みで捉える事が出来るのよ」
「ずるーい!」
「いや、ずるいって言われてもね……ってもう始まってるみたいね」
タマモは涙目でタマモに掴みかかるアスナを冷静にあしらっていると、前方から凄まじい爆音が響き渡る。どうやら既にエヴァと刹那のガチバトルは始まっているらしい。
それに気付いたタマモ達は互いに顔を見合わせ、即座にその場所へと急行する。すると、まもなくタマモ達の前に純白の翼を広げた刹那と、黒いマントを羽織ったエヴァが壮絶な空中戦を繰り広げている場所に到着した。
「ふはははは! どうした刹那、貴様の力はその程度か!」
「くうう!」
どうやらこの幻想空間内ではエヴァは全力戦闘が可能なため、刹那はかなりの苦戦を強いられているようだ。もっとも、エヴァは律儀にも大会規定である『呪文詠唱の禁止』をしっかりと守っているため、その攻撃のほとんどは無詠唱呪文である。これでもしエヴァが大会規定を無視して呪文詠唱も含めて戦闘を行っていたら、おそらく刹那は苦戦どころかあっという間に敗退していただろう。
「刹那、その程度の力では近衛木乃香を守るどころか、横島とすら共に居る事は出来んぞ!」
「く……な、なにを」
エヴァは無詠唱にもかかわらず、ネギとは比べ物にならない魔法を連発していく。刹那はそれに対して札や奥義を駆使してなんとか対応しているが、防御に徹するばかりでとても反撃の暇など無い。
それゆえ、完全にジリ貧状態となった刹那はわずかな隙をつかれて背後を取られ、そのまま強力な打撃を受けて別荘の広場へと落下していった。
「ちょ、刹那さーん!」
「な、なんなのよこの大砲の打ち合いみたいな戦いは!」
「刹那もよくがんばってるけど、さすがに分が悪いわね。このまま行けば負けるわ……」
ネギとアスナは、刹那達による戦艦の艦砲射撃に匹敵する凄まじい戦いに完全に度肝を抜かれ、口をあんぐりと開けたまま呆然としている。その一方で、タマモは冷静に戦況を見つめていた。
すると、タマモのあまりにも冷静な物言いにカチンと来たのか、アスナはタマモに詰め寄るとその肩をがっしりと掴む。
「分が悪いってそんな簡単に! 刹那さんが怪我でもしたらどうすんのよ!」
「アスナ、ここは幻想空間よ。ここにいる私達も含めて、全員がいわば幻。今風に言えば『ばーちゃるりありてぃー』だっけ? つまり、現実の存在じゃないからいくら怪我しても現実の体には何の影響もないわ」
「そ、そうなの?」
「そうなの。ま、だからこそエヴァも遠慮なく大技ブチかましてるんだろうけどね。けど……それにしたって尋常じゃない攻撃ね」
アスナはタマモの言葉でようやく冷静さを取り戻したのか、少しばつが悪そうにタマモから手を離すと、すぐにペコリと謝る。そしてタマモは気にしてないという風に手を振りながらも、決して刹那から目を離さず、二人の戦いの帰趨を見つめていく。
そして、そのタマモの視線の先では、エヴァが右手の爪に宿した刃を刹那がかろうじて防ぎきっていた。
「ふん、よく今のを防いだな……確かに今の貴様は不抜けてなどいないようだ。先ほどまでの言葉は撤回しよう」
「エヴァンジェリンさん……」
「だが、それでもまだ甘い!」
「……え?」
エヴァは呆然として見上げる刹那の表情を見てニヤリと笑うと、すぐに表情を厳しくさせて刹那に指を突きつけ、その内心ではようやく刹那が罠にはまったとほくそえんでいた。なにしろ、本来なら試合開始前のやりとりで刹那を動揺させ、試合開始後はその動揺に付け込んで存分にいたぶる予定だったのに、何故か刹那は動揺せず、試合開始後も隙が全く無かった。
それゆえ、予定を前倒ししてこの幻想空間に引き込み、文字通り力づくで刹那を追い込んだのだ。
これでようやく『刹那いじり』を実行できる。本来Sの気十分のエヴァは、軌道修正できた喜びから思わず邪悪な笑みが浮かびそうになるのを必死に抑えつつ、再び言葉責めを再開する。
「以前の貴様は物事に対して完全に優先順位をつけていた。そう、貴様の言うお嬢様とやらが第一、そしてそれ以外という風にな」
「そ、それは……」
「しかし、今の貴様は複数の大切な者が出来ている。近衛木乃香はもちろんの事だが、同時に貴様はそれと同格の位置に横島やタマモを持ってきている」
「それがいったい……私にとってお嬢様やタマモさん、そして横島さんはとても大切な……」
「そんな状態で以前のように近衛木乃香を守る事が出来るのか?」
「で、出来ます!」
エヴァは表情をしかめたまま、刹那を追い詰めるために少しずつ堀を埋めていく。その一方で、刹那は己の心を守る堀を埋められていることに気付かぬまま、ただ一方的にエヴァの口撃に耐えていた。
そして、最後にエヴァが言ったセリフに刹那は思わず顔を上げ、エヴァを睨みつけながら強く宣言した。それはまさに刹那にとって己の心の発露。長い間慕い続け、今も共にあることを望む少女を守る事は、刹那にとって何よりも優先される事だ。
エヴァはそんな刹那の顔をしばらく見つめつつ、内心『Fish!』と叫ぶ。もはや獲物は完全に針にかかり、後はその手ごたえを楽しみながらゆっくりと手繰り寄せるだけである。エヴァはこみ上げる歓喜を必死に抑制しつつ、いざトドメを刺すべく刹那の心で最も弱い部分を突くのだった。
「ならば聞こう、もし一人しか助けられない時に横島と近衛木乃香、二人が助けを求めていたら貴様はどちらを助ける? 貴様が助けねばどちらか一人は確実に死ぬ。そんな時に貴様は選ぶ事が出来るのか?」
「それは当然お嬢様です!」
――
アレ?
永遠とも思える沈黙の中、エヴァの脳内は瞬く間にハテナマークで埋め尽くされる。
本来のエヴァの思惑では、質問を受けた刹那はどちらも選ぶ事が出来ず、その結果二人とも助ける事が出来なくて苦悩するはずだったのだ。だが、実際は間髪をいれず、それこそ一切の躊躇も無く、神速の速さで答えが返ってきた。それも想い人である横島をこれまた綺麗さっぱりと切り捨てて。
「……あー、ちょっと聞くが貴様は横島の事が好きなんだよな?」
「え!? そ、それはその……好き……ですけど」
「今更照れるな! だったら何故迷わない、普通こんな時はどちらを助ければいいか苦悩するだろうが!」
「いえ、そういう場合ですと間違いなくタマモさんが横島さんを助けますので」
エヴァは己の計画が崩壊する音を聞きながら、今更のごとく照れる刹那に怒鳴りつけた。しかし、それを受ける刹那は涼しい顔をしたまま、特に気負った風もなく、当然のように答える。そしてその答えに思わずエヴァは納得しそうになったが、すぐにその表情を険しくさせると再び刹那を問い詰めだした。
「だ、だったらさっきの二人に加えてタマモも助けを求めていたらどうするつもりだ!」
「そうなったら私がどうこうする前に、確実に横島さんがお嬢様とタマモさんを助けると思いますが……助けた後は自分が危機におちるでしょうけど、その後は私が横島さんを助ければ完璧です」
「だ・か・ら・なんでそういう答えに行き着くんだー!」
「そう言われましても、横島さんたちを信じていますし」
エヴァの質問は本来なら決して答えの出ない問題だったが、刹那はそれに対して明確に答えを出す。しかも、その回答はエヴァの想定の斜め上を突きぬけていたため、エヴァは頭をかきむしりながら怒鳴る。
全く想定外の答え、それだけならエヴァもここまで動揺する事は無かっただろう。だが、あいにくと刹那の答えには様々な意味で説得力がありすぎるため、エヴァの突っ込みは弱いものでしかない。
この時、エヴァの頭の中では自らの立てた計画が崩壊する音が響き渡る。そして、そのことを自覚した瞬間、エヴァは体勢を立て直すために刹那へと揺さぶりをかけた。
「信じる……信じるだと? 信じた程度で厳しい現実を覆す事などできん。横島もタマモも決して完全な存在ではないし、その手が届く範囲は有限だ。それゆえいつか必ずその信頼は裏切られる事になるんだぞ!」
「たしかに横島さんやタマモさん、そして私の力には限界があります。ですから私がいくら手を伸ばしても助けられない、切り捨てる物を選ばなくてはならない時が来るでしょう。そしてそれは横島さんたちも同じです」
「そうだ。貴様等がこちら側にいる限り、必ずそういう時が来る。お前の言っていることは所詮理想でしかないのだ」
「ですが……」
「まだなにかあるのか?」
「私が助けられない人達、切り捨てた人達は横島さんとタマモさんが助け、タマモさんが取りこぼせばそれを横島さんと私が助けます。そして横島さんが助けられなかった分は、私とタマモさんがそれを補う……一人では助ける事が出来なくても、私達三人なら不可能すら可能にしてみせる。横島さんと一緒にいると何故かそんな気にさせてくれるんです」
エヴァは空中に浮かんだまま腕を組み、いかに刹那が甘い考えを持っているかを語る。そして刹那もまた裏の世界の厳しさを知るが故に、先ほどの発言は理想でしかないという事を悟った。
だが、それでも刹那の瞳からは光が失われる事は無い。
刹那はエヴァの突きつける現実に対し、それに抗うかのように決意に満ちた視線をエヴァへと送り、己の内にある決意、それこそ横島達と共にいるうちに胸の中に生まれた思いを毅然とした表情で宣言するのだった。
「驚いたわ……」
「驚いたって、どういうこと?」
タマモは対峙する刹那達を遠巻きに見つめ、驚愕で目を見開きながらポツリと呟く。タマモの隣にいるアスナは、タマモが何故そんなに驚くのかいまいち理解できないのか、首をかしげながらタマモに問う。すると、タマモは刹那から視線を外さぬままそれに答えた。
「刹那のさっきのセリフよ。刹那は今、横島がもつ最大の傷に対して答えを出して見せたの」
「傷? 横島さんが?」
「正直想像がつかないんですけど……」
アスナとネギはタマモの答えに首をかしげ、頭にハテナマークを浮かべる。どうやら彼女達は、横島がギャグ以外で傷を負うシーンが思い浮かばないようだ。
タマモはそんな二人に大きくため息をつきつつも、横島の普段の行いを考えれば無理も無い事だと思い、どこか諦めたような表情を浮かべると肝心な部分をぼかしながらアスナ達に説明していく。
「当時私はいなかったけど、以前横島は辛い選択を迫られた事があったの。たぶん、今でも少しはそれを引きずってるわね。だからいつも何かを助けようとした時は、必ず限界を超えて無茶をするのよ」
「あ、そういえば京都でもタマモちゃんを助けようとして……」
「正直、あの時の事はあまり思い出したくないけど、確かにあの時なんかがいい例ね」
アスナはタマモの言っている意味がわかったのか、京都での横島の行動を思い出す。すると、タマモはギシリと歯を食いしばり、嫌な記憶を振り払うかのように首を振った。
タマモにしてみれば、京都での事件は結果的に無事だったとは言え、横島が死の一歩手前まで行き、自分も過去の怨念に囚われて刹那達を殺そうとしていたのだから、それも無理も無い事であろう。
「あの時の横島さんの行動の背景にそんなことがあったんだ……」
「そういうこと。それにしても……刹那ったらもう仮契約とかそんなの関係無しで、最高のパートナーになってるじゃない。これほど横島を理解して、なおかつ隣に立てる女は美神以外じゃ初めてだわ。いえ、ひょっとしたら美神以上かもしれないわね」
アスナはあの時の横島の行動の原動力となったドシリアスっぽい背景と、普段の行動のギャップに驚きつつ、改めて刹那たちに目を向ける。そしてタマモもまた気を取り直すと、どこか満足そうな表情をしながら、誇らしげに刀を構える刹那を見つめた。
そしてちょうどその時、互いに対峙したまま動きのなかった二人の気が一気に膨れ上がり、それに気付いたネギが両手でメガフォンを作りながら刹那に声援を送るのだった――
「あ! どうやら二人とも最後の勝負に出るみたいですよ。刹那さぁぁーん、担任の僕が許可します、最大奥義でマスターにとどめを! 僕に明日の朝日を拝ませてくださぁぁ−い!」
――己の命も顧みずに。
「あ、あのガキ……結果がどうあれ、後で死ぬほうがマシだというほどいたぶり尽くしてやる」
「……ほ、程ほどにお願いしますね」
ネギの全身全霊の魔力と魂のこもった声援は確かに届き、その応援を受けた片方はそれに答えるように一気に魔力を吹き出させる。
ちなみに刹那とエヴァ、どちらがパワーアップしたかはあえて説明するのよそう。いや、説明するまでも無いというほうがこの場合は正しいのだろうか。
ともあれ、互いに戦闘準備の整った二人、特にネギへのお仕置きを心に決めたエヴァは再び刹那を睨みつけ、改めて刹那を問いただす。
「まあ、あのぼーやはとりあえず後回しだ。刹那、貴様本当にそんなことが出来ると思っているのか?」
「最初に言ったはずですよ。私は信じてると……私達三人なら必ず出来ます。いえ、そうならなくちゃいけない気がするんです!」
刹那は自らの愛刀を構え、エヴァの暴風のような魔力に抗いながら己の気を高めていく。
エヴァはそんな刹那を冷然と見つめながら、己の計画の第4段階が完璧に崩壊した事を悟り、ふと自虐的な笑みを浮かべる。考えてみれば、今回の計画のように他者をギャグの世界に貶めるのは自分の闘い方ではない。むしろ、横島やタマモにこそふさわしい闘い方だ。
エヴァはそれに気付くと同時に、今までの刹那への苛立ちも消えうせる。そして刹那がその甘い考えのままどこまでやっていけるのか、見てみたくなった。
「いいだろう、そこまで言うのならその生き方を貫いて見せろ! ただし、今の私に負ける様では、とてもアイツらの隣に立つことはできんぞ!」
エヴァは刹那にそう言うと、爆発的に高まった魔力を右手に集め、横島の霊波刀のような形状を作り出す。それは横島の霊波刀の出力を完全に凌駕しており、エヴァの持つ魔力の凄まじさを刹那に思い知らせる結果となる。
刹那はエヴァの凄まじい魔力を肌で感じながら、圧倒的な実力差を見せ付けるエヴァに怯むことなく夕凪を構えてエヴァと対峙する。しかし、その内心ではエヴァの圧倒的な力に押しつぶされようとしてた。
(じ、実力が違いすぎる……これではとても勝つことなど……ん?)
と、その時、刹那は自分を心配そうに見つめるアスナとネギ、そしてタマモの姿に気付いた。
この時、刹那はアスナネギと順に視線を移し、最後にタマモで視線を止める。そしてタマモと目が合った瞬間、刹那はこの空間の秘密を思い出したのだった。
(そうか、ここはあくまでも幻術で作られた幻想空間、確かに私は『今の』エヴァンジェリンさんには勝てない。でも、『別の』エヴァンジェリンさんなら……やってみる価値はある!)
ようやく見出したわずかな光明。刹那はそれに気付くと体内の気を最後の一滴まで絞り上げ、現状を打破するための、いや、エヴァに勝利するための奥義の準備をする。
エヴァは刹那の気が十分に高まったころを見計らうと、それを待っていたかのように腕を振り上げた。
「覚悟は出来たか……では行くぞ!」
「私は負けません! 横島さんの隣に立つ為に、そしてお嬢様をお守りするためにも絶対に!」
エヴァの放つ一撃『エクスキューショナーソード』と、刹那の放つ神鳴流決戦奥義『真・雷光剣』が二人の間で激突する。
気と魔力、双方共に極限まで研ぎ澄まされた攻撃は、衝突した瞬間に周囲の空間そのものを巻き込みつつ、建物を一気に崩壊させていく。
刹那はこの時、双方の攻撃を冷静に見つめている。彼女はある一瞬の時を待っていた。それは攻撃のエネルギーの余波がこの幻想空間そのものに影響を及ぼし、内部のエネルギーが飽和現象を起こしたその瞬間だった。
そして、ついに刹那の待っていた時が訪れる。
刹那はそれを確認した瞬間、精神を研ぎ澄まし、静かに呪言を唱えた。刹那の唱えた呪言、それはかつて京都でネギと戦った小太郎を封じ込めた空間閉鎖の術である。
本来ならその術は結界などに空いた穴を修復するためのものなのだが、今刹那が求めるものはそんな効果ではない。いや、効果そのものを望んでなどいなかったのだ。
刹那が望んだもの、それはこの空間に干渉するほんのわずかなきっかけ。それが作れるものなら何でもよかったのである。そして今、刹那の唱えた呪言は飽和状態となった空間に干渉し、この幻想空間を維持する力場にほんの少しだけ穴をあけることに成功したのだった。
「ちょ! なんなのよこれはー!」
「せ、刹那さぁぁぁーん! 負けちゃダメー!」
そのころ、人知を完璧超えたすさまじい破壊力を目の当たりにしたネギ達は、荒れ狂う魔力の余波から必死に身を守っている最中であった。
もっとも、慌てているのはネギとアスナだけであり、タマモは冷静に刹那を見つめ、ふと刹那の姿が揺らいだのを確認すると、その顔をネギたちのほうに向けた。
「どうやら気付いたみたいね……アスナ、ネギ先生、すぐに逃げるわよ!」
「に、逃げるっていったいドコに?」
「いいから刹那とのリンクを切りなさい! 今すぐに!」
「イ、イエッサー!」
タマモに睨まれたネギは惚れ惚れするするほどの敬礼を見せ、即座に刹那とのリンクを切る。すると、ネギ達の視界がすぐに歪みだし、何かに吸い込まれるような感覚が彼らを襲う。
そしてネギ達の意識が現実に帰ってくると、そこではネギ達より少し早く現実に帰ってきた刹那が、体中に気を張り巡らせた状態で神速の一撃を無防備なエヴァに叩き込んだ瞬間であった。
「マクダウェル選手ダウンー! これは決まってしまったかー!」
刹那の攻撃をまともに受けたエヴァはそのまま倒れ伏し、やがて無情なテンカウントが場内に鳴り響く。そしてその瞬間、刹那の勝利が決まった。
周囲の観客にとっては動きの少ない地味な試合、そうとしか受け取れない試合展開ではあったが、刹那にとってこの試合の意味は何よりも大きい。
長きすれ違いの末、ようやく友誼を取り戻した近衛木乃香を守り、そしてタマモと共に横島の隣に立つことを決意した刹那。彼女のその決意が、はたして報われるか否かは誰にもわからない。
ただし、今言えることはそんな刹那を心配して駆け寄る木乃香と、刹那と同じように自分の周りにいる友を守り、横島と共にあることを望むタマモがいる限り、きっと刹那の未来は幸せな未来であることは確実だ。
そして、その幸せは決してエヴァの言うどこにでもある平凡な幸せなどではない。それは刹那だけの、そう、この世で刹那ただ一人が持ち得るたった一つの宝物であった。
「せ、刹那さぁぁーん! よくマスターに勝ってくれました! お礼に一学期の成績は担任権限で5割増しにしておきますからねー!」
一方、この世のどこにもない、世界でただ一つの不幸を本人の自業自得と、タマモと横島のとばっちりで背負うことになる少年は、エヴァの額に浮かぶ井桁にも気づかぬままきっちりと自らの未来にとどめを刺していた。
願わくばこの少年にわずかなりとも幸有らんことを願おう。
第45話 end
「エヴァンジェリンさん! 大丈夫ですか!?」
試合が終わり、刹那は自らの攻撃の直撃を受けたエヴァの体を心配し、彼女に駆け寄る。するとエヴァはようやく体を起こし、刹那の手を取って立ち上がろうとする。
クラスメイトが敵味方に別れ、死闘の末友情を取り戻す。はたから見ればまさに感動のシーンであるが、それを見た観客達の反応は薄い。
まあ、確かに序盤は激しく動きがあったのだが、後半は一般の観客たちにとってはただ睨みあっていただけである。それ故、萌はあったであろうがどうにも消化不良は否めない。そんな試合であった。
もっとも、本人達は別の空間でほぼ最大級の破壊を伴うすさまじい戦いを繰り広げていたのだが、あいにくと観客達はそれを知る由もない。それだけに、ネタバトルを期待する観客達の不満はつのっていった。
エヴァはこの時、周囲の観客達の反応を見ながら、ふと自らの計画がほとんどなされていないことに気づく。なにしろ計画した中で唯一まともに出来たのは、第三段階の全力戦闘のみである。
確かに計画はほとんど崩壊した。しかし、まだ実行可能なプランはある。なにしろ、エヴァの目的は刹那をいじり倒すことにあるのだ。ならばその究極の行動である第五段階、『脱がす』ことに躊躇いはない。そしてそれはきっと観客たちも望む究極のハプニングとなるであろう。
エヴァは刹那の手を握りながら、ニヤリと笑う。それを見た刹那は何故か背筋に怖気が走り、エヴァの手を振りほどこうとした瞬間、その事件は起こった。いや、起こってしまった。
――ハラリ
「こ、ここここれは……」
布が落ちる音が、妙に静まり返った空間の中で唯一の音源を作り出す。そして、顔を真っ赤に染めて戸惑う刹那をよそに、満員の観客席は一気に爆発した。
――ウォォオオオオオー!
満場を埋め尽くし、歓喜の声を上げる観客達。その盛り上がりはすさまじく、特に男性客は雄たけびを上げながらその視線をただ一点に集中させていた。
彼らの視線を一点に集めるもの、それが何なのか。それは――
「ちょ、ちょっとまてー! 見るな貴様らー!」
――刹那を脱がそうとした瞬間、なぜか自分の服がきれいさっぱり無くなり、真っ白な肌を晒したエヴァであった。
何故刹那ではなく、エヴァが脱いでいるのか。それはエヴァが無意識のうちに目覚めていて、観客の視線を浴びたかったからでは決してない。
ただ単に、刹那の気合の入りまくった攻撃がエヴァの服の限界強度を超え、着衣としてのその存在を維持できなくなってしまっただけである。つまり、エヴァが脱げたのはあくまでも刹那のせいということになるのだった。
「刹那……貴様よくもこの私に恥を……」
「えっと……これってもしかして私のせいですか?」
「もしかしてもクソも有るか! いいから貴様の服をよこせー!」
「え! ちょ、エヴァンジェリンさん、いったい何を……いやぁぁー!」
あまりの事態に完全にテンパッてしまったエヴァは、素っ裸のまま刹那の服を奪うべく刹那に躍りかかる。これにより、主催者の思惑をこれでもかとばかりに完璧に無視したエヴァVS刹那の第2ラウンドが開始されることになる。
そんな彼女たちの上空では一枚の半紙を手にした死神が、どちらにその紙を張り付けるべきか、思案に暮れていた。その彼が持つ紙にはただ一言、
『裸皇』という文字が記されている。
はたしてその称号はどちらの少女に輝くことになるのか、それはこれより30秒後、刹那を助けるべくタマモが試合に乱入するまで、しばしの間待たなくてはならない。
そして、タマモの乱入後、背中に半紙を貼り付けた人形のような金髪の少女が目撃されることになるのだが、それが誰かはあえて明言するのはよそう。まあ、言わずもがなと言うような気もしないではないが、そこの辺は突っ込み禁止としていただきたい。
一方、とある場外では――
「何故でしょうか……究極のシャッターチャンスを逃したような気がするのですが……」
「アア、オレモソンナ気ガスルナ……」
いまだに地中に生き埋め状態になっている従者たちが、生物ではないにもかかわらず、何故か究極の瞬間を逃したことをその本能で察知していた。
そして彼女たちが地中に埋まっているその頭上では、なぜか千雨が青い顔をしたまま上の空で何かをつぶやいている。
「……これは脱ぐのか? もう脱ぐしかないのか!? 茶々丸のやつめ、なんて恐ろしいことをエヴァにやらせるんだ……」
ものの見事にエヴァの行動を茶々丸の差し金と勘違いした千雨は、絶望とともに踏み出してはいけない一歩を踏み出そうとしていた。はたして彼女がその一歩を勇気を持って踏み出すのか、それとも正気に戻るのか、それは本筋には一切かかわりのない話ではある。
願わくば、彼女が一刻も早く正気に戻ることを願うこととしよう。
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